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【55冊目】i / 西加奈子

明日から4連休です。
本日14時-22時です。閉店時間が早まっておりますのでお気をつけくださいませ。

明日から4連休です。
本日は明日からの準備のため、閉店時間を早めておりますのでお気をつけくださいませ。
またビールの新規開栓も予定しておりません。昨晩2タップが空き、残すはほぼサイダーとギネスのみです。当店の美味しいビアーを楽しみにしてくださっている方には申し訳ありませんが、何卒ご理解のほどお願い申し上げます。もしかしたら1タップは繋ぐかもしれません。

さて。
そういうわけで明日から4連休です。明日からなんていうのは7月なわけですから。夏休みがスタートしたぞ、って感じですね。自由研究と、絵日記と、読書感想文って感じですかね。つまりは当店月初のお決まり、ウィグタウン読書部ですかね。今回は月初にやってる暇がなさそうなので、月末の本日です。

というわけで6月の課題図書は西加奈子『 i 』。シリア出身の女の子がアメリカ人の父、日本人の母に養子に迎えられて成長していくという物語ですがね。面白かったですね。主人公のアイが自身の境遇に戸惑いながらも世界との摩擦に真摯に目を向け、違和感から逃げずに自分の答えを見つけ出す物語ということが言えるわけなんですがね。アイ自身もそうですが、両親や友人、彼氏、アイを取り巻く全ての登場人物が、世界に対してまっすぐな瞳を向けていて、つまり誤魔化しをしていない。人間誰しも見たくない現実からは目を逸らして、自分に都合のいい、耳障りのいいストーリーだけを追い求めてしまいがちですが、今作の登場人物は自分自身に対しての自己詭弁はもとより対話の相手に対しても、ものすごくはっきりした物言いをする。相手の主張が間違っていると感じればそれを伝えるし、受け入れられないことにはキッパリと「NO」を突きつけた上で、それでも相手のことを理解しようとすることをやめない。相手も相手で、受け入れられないことを理解した上で自分の気持ちを誤魔化したりせず「私はこういう性質を持っていて、それがあなたにとって受け入れ難い性質なのも理解している。だから私はあなたに、なぜ私がこういう性質を持っているのかについて頑張って説明するね。聞いて欲しいの」といった具合で、これに対して「イヤ!聞きたくない!そんなの信じられない!」と耳を塞ぐのは簡単だけれど、今作の登場人物は決してそれをしない。「理解できないと思うけど、頑張って聞いてみるね」といった感じで、決して対話を諦めたりはしない。「多様性」というワードに象徴される時代において、最も重要なのはこの姿勢で、つまり「寛容」と「想像力」、相手を思いやる気持ちというやつで、常に相手にリスペクトを示した「対話」が必要であることを示してくるような登場人物たちでしたね。少し前のウィグタウン読書部で取り扱った『おらおらでひとりいぐも』の主人公、桃子さんの自己探究と同じような姿勢を感じましたね。決して詭弁に呑まれず、両親や社会が用意した予定調和から離れて、自己の当事者性を獲得していく。そのために必要な「祈り」と「想像力」の物語だと感じましたね。例によってここからは【ネタバレ注意!】となりますので、気になる方はご留意くださいませ。


物語は数学における「虚数」という概念、つまり「 i = Imaginary Number」について数学教師が語った〈「この世界にアイは存在しません。」〉というフレーズからスタートする。この「 i 」とは当然、主人公の「アイ」のことであり、一人称の「 I 」のことである。最初は「愛」のことかな?とも思ったのですが、アイの成長に合わせて何度となくフラッシュバックされるこのフレーズ〈「この世界にアイは存在しません。」〉から読めるのは「愛」の物語ではなく「 I 」の物語である。つまりこの物語は「 I 」=「自己存在」の否定からスタートするわけなんですがね。作者は「なぜアイが自己存在を否定してしまうようになったか」を丁寧に描き出す。幼少の頃、幼くして恵まれた家庭に養子として迎え入れられた自分と、その家庭で家政婦として働いていたアニータとその子供たちの境遇に違和感を覚え始める。9.11をきっかけに、自分のルーツがシリアにあることと、そのことが周りにどのような印象を与えているかについて明確なヴィジョンを抱き始める。アイの中には「自分は恵まれた環境を”与えられた”のだ」という意識が芽生え始め「なぜ自分が"選ばれた"のか」という理由を探し始める。しかしそんな理由なんてどこにもないものだから、自分は存在してもいいのだろうか、自分よりももっと存在に値する人がいたのではないか、選ばれたからにはそれに値するような人物にならなければ、という一種のサバイバーギルトのような心情に陥っている。この心情からアイは「世界で毎日起こっている悲劇によって亡くなった死者の数を数える」という行動に出る。この行動というのは、犠牲者に対する弔いという意味よりかは、自身の罪悪感を少しでも取り払おうとする試みであり、サバイバーギルトに対する贖罪の意味合いが強い。自分が"選ばれた"からには、自分は世界に対して価値を提供しなくてはいけない。利他的ともいえる献身の姿勢と表裏一体になっているのは、やはり自己存在の否定である。アイは常に「自分が存在していい意味」を他者の中に見出そうとしていた。その結果、誰かのために何かをしてあげられることが、自分の存在する意味だと信じようとするわけなんですね。しかし、それが3.11をきっかけに変わる。それまで、遠い国の誰かのために祈ることを自分の存在価値だと思っていたのが、3.11が起こったことによって、自分が祈られる対象になったことに気付く。これは言い換えると「当事者性の獲得」ということができて、それまでのアイは、あくまで世界とは一定の距離を置いた場所にいた。アイが得た環境は、世界から"与えられた"もので、アイはその与えられたものを返すために祈りを行なっていたと言って良い。しかし、3.11によって世界は彼女自身をも包み込んだ。それまで世界の犠牲者の数を記録してきたノートに、3.11の被災者の数をカウントすることができなかったのは、それが自分の物語であることに気付いたからで、これは逆説的に、それまでの犠牲者のことはどれだけ祈っていたとしても、自分とは隔絶した世界の物語であったということである。そして、そうして得た当事者性はアイにとって新たな存在証明になり得た。3.11直後から、アメリカに住む両親や友人から何度となく「こっちへ来て。日本から離れて」という願いが届くも、アイは頑ななまでに日本に住み続けることを望む。それは、ようやく自分を包んでくれた世界を手放したくなかったからだ。ここでアメリカに行ったら、3.11の悲劇はアイにとって再び自分の世界からは隔絶されて、彼女はまた"選ばれた"ことに罪悪感を抱くことになるだろう。両親からの要請を断ったことにより、彼女は世界から"与えられた"環境を享受する立場から、自身も世界の一部として物語を紡ぐことを決意するのである。そして、アメリカに住む友人のミナからの連絡も、アイのサバイバーズギルトを和らげるのに大きな役割を果たす。ミナは問う。〈「みんなが日本のために祈ってる。私も彼らも日本にいなかったし、地震の被害にも、原発の被害にも遭わなかった。でも、じゃあ私たちに祈る権利はないって、アイは思う?」〈「誰かのことを思って苦しいのなら、どれだけ自分が非力でも苦しむべきだと、私は思う。その苦しみを、大切にすべきだって。」〉。これこそがまさしく祈りの意味である。無力と無関心は違う。たとえ祈ることしかできないのなら、せめて祈ろう。祈ることしかできないと嘆くのではなく。その祈りは世界への想像力を産み、自分が世界の一部であることを認識させる。あなたの居る場所は決して世界と隔絶してなんかしていないと。あなたもまた、世界の一部であるのだと。ミナの祈りに対する姿勢というのは物語の後半でも現れる。ある事件をきっかけに仲違いをしたアイに対して送ったメールの中で、彼女は言う。〈いつかアイが、アイの心を取り戻してくれることを祈ってる。ずっとずっと祈ってる。私のことをもう嫌いでも、どうか祈ることだけは許してほしい。/ありったけの愛を込めて〉。祈ることとは相手のことを思うことであり、想像することである。これは、のちにアイにできた写真家の彼氏ユウとの会話の中でも現れる。「シリアの写真を撮りたいと思わない?」というアイの質問からのやり取りで、ユウは明確に「想像することの大切さ」をアイに説く。〈「渦中の人しか苦しみを語ってはいけないなんてことはないと思う。(中略)渦中の苦しみを。それがどういうことなのか、想像でしかないけれど、それに実際の力はないかもしれないけれど、想像するってことは心を、想いを寄せることだと思う。」〉。作中で引用される作品『テヘランでロリータを読む』の中でも〈『読者よ、どうか私たちの姿を想像していただきたい。そうでなければ、私たちは本当には存在しない』〉という印象的なフレーズが引かれている。
物語のラスト。何度となく繰り返された〈「この世界にアイは存在しません。」〉というフレーズは、「虚数 = Imaginary Number」という「 i 」がそこにあると想像することで存在できることと同じように、我々もまた、人を想うことで存在ができ、想像力を巡らせることが、自己肯定にもつながるというメッセージを明確に伝えている。我々の存在はそこになかったのではない。ほんの少しの想像力で、人はその存在を確認することができるし、それを肯定することもできる。誰かのためではなく、自分のために。自分のためではなく、誰かのために。情けは人の為ならずといいますが、想像することこそが、自己肯定に帰結するというラストシーンは、なかなかに感動的でしたね。愛し愛されていきましょう。祈ることは無力かもしれないけれど、無意味ではない。そのことを強く感じさせる作品でした。

というわけで、6月の課題図書は西加奈子『 i 』でした。7月はニック・ホーンビィ『ハイ・フィデリティ』です。読んでいきましょう。

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