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【10冊目】独白するユニバーサル横メルカトル / 平山夢明

8月です。そして梅雨明けです。
新しい月、そして新しい季節がやってきたってことで、当店がやることは一つですね。そう。月初のお決まり、ウィグタウン読書部です!

先月の課題図書は、平山夢明さんの短編集『独白するユニバーサル横メルカトル』。意味の分からないタイトルに、ギーガーの不気味な表紙絵。手元に置いておきたい単行本の一つですね。
平山夢明さんといえば、痛みを描かせれば当世随一の作家でしょう。映画化もされた『ダイナー』なんかは、ありとあらゆる殺し方の見本市のような作品ですし、痛い場面を思いっきり痛く描く作家さんなものですから、もう読んでるだけで痛い。共感性の疼痛がズバズバくるっていうんで、今回の短編集なんかも、基本的にはそんな作品のオンパレードなんですね。グロテスクなものをグロテスクに。不気味なものを不気味に。不条理には不条理を。狂気には狂気を当てていくスタイルですね。読んでいきましょう。また、この先はいつものように【ネタバレ注意】なわけですが、今回に至っては、作品が作品だけに【グロ注意】でもあるかもしれませんね。まぁ。大変ですね。

さて。
全8話の掌編小説からなるこちらの短編集。せっかくなので、一作ずつ読んでいきましょうかね。

『C10H14N2(ニコチン)と少年ー乞食と老婆』
不穏な作品ですね。不穏な雰囲気のある街で育つ快活な少年が、ある日突然、不条理ないじめのターゲットになる。にこやかだけれどどこか油断がならない街の人々と、はぐれ者だが心を開くことができる水辺に住むホームレスの老人が、対比として描かれており、少年の心情を通して、我々は老人に共感していくような作りになっている。だからこそ短い話のラストで、少年が街の人々と同じ不穏な性格を露わにした瞬間、我々はなにが悪で、なにが正しかったのか分からなくなってしまう。少年の心のスイッチを入れたのはなんだったのか。老人の醜悪な身体改造の痕に顔をしかめることはあっても、なにもそこまでしなくていいじゃないかというほどに、少年は瘴気を含んでしまう。このラストをで老人が受けた仕打ちを考えると、冒頭の少年の家族の食卓での会話がさらに不気味さを増してくる。社長業をしている父が「今日も一人馘首にした。これで一千万は給料を節約できる」とニヤつくと、少年は「その人はこれからどうなるの?」と問う。父はそれに対し「困るだろうなぁ」と共感を述べながらも「馘首になるやつは馘首になるワケがあるんだ(中略)嫌われるには嫌われるワケが。死ぬのには死ぬワケが。それぞれに相応しいワケをそいつらは自ら背負い込んでいるんだ」と説く。少年はこれをどのように解釈し、不条理ないじめに対応し、老人に敵意を向けたのか。その心情を考えると、とにかく救いがなく、どんよりとした気持ちになってしまいますね。

『Ωの聖餐』
この短編集を始めて読んだ二十歳かそこらのころ。私が一番印象に残って、一番好きだった作品がこちらですね。
ヤクザが、様々な事情で持ち込んだ遺体を処理するための大男「Ω」を、隠し部屋に飼っているというシチュエーション自体がとんでもなくどうかしている。Ωという名の怪物と、それの世話を命じられた数学科出身のチンピラの心温まるストーリーなわけなんですが、そこにはたっぷりの身体損壊描写にカニバリズム、汚物と血糊の臭いがデコレーションされている。Ωが、遺体の脳を食べることで、その人物が得ていた知識を直接自身の脳に取り込めるという設定も、えずくような不快さですが、養蜂家の脳を食べたいという願い、それによるアナフィラキシーショックによる心肺停止、そしてΩの死から、チンピラがΩの代わりを買ってでるまでの後半の畳み掛けは、吐き気を催さずにはいられないようなカタルシスがあり、チンピラの覚悟と、人を狂わせる数学の狂気は、なんというか、クールですよね。臓物の花の中に埋もれた、真珠貝の輝きってな感じで。すごいなって思います。

『無垢の祈り』
人っていうやつは、最悪な環境から逃れたいがあまり、より最悪な環境を求めるということがままあるんだそうで。どうしようもない絶望の中で、とにかくその絶望の中から逃げ出すこと以外はなにも考えられない。その絶望から這い出すことができるのなら、肉体的な死や精神的な死を超えて、悪魔にでもなりたいと思う気持ちに、共感してしまう人は少なくないかもしれない。その祈りの純度は高く、読者はその祈りが通じることをやはり祈る。なぜなら、この話の主人公たる少女には、あまりに救いがないから。早く悪魔にでも身体を売り渡した方が、今の現状よりもいくらかマシだ、とさえ思ってしまう。しかしその少女の、最悪な状況がまさに最悪を迎えようとしたその瞬間、悪魔は少女を拐いにくる。その風景は、果たして彼女にとって救いなのだろうか。最悪の次元がアセンションしただけなのではないだろうか。そして、それは彼女にとって救いとなったのだろうか。

『オペラントの肖像』
「愛」のオペラントが裏切られる話だ。「希望を持たせて、それを踏み躙る」という「露悪趣味全開の展開」は、平山夢明さんの話ではまま見られ、読者はこれがくると「待ってました!もう人とか絶対に信じないもんね!」みたいな気分になるわけですね。しかし、この「オペラント」という概念。なんらかのトリガーとなるある種の条件付けのことを指す言葉ですが、人は、意識無意識とに関わらず、なんらかのオペラントを背負っているものなのかもしれませんね。そして、それを意識的に管理することができたのだとしたら。この短編で描かれる世界もまた、全体主義的な雰囲気において、人々の思想や行動そのものが条件付けされている世界です。人々の癖や無意識の習慣を管理して、それらのトリガーを巧みに利用して人々をコントロールする社会。ビッグデータ時代の、サジェッション時代の我々にも、どこか薄ら寒くなるような示唆がありますね。

『卵男エッグマン』
よくあるSFといえばよくあるSF。叙述トリックによって読者はミスリードされていく。話の結末は、いわゆるヒューマノイドが人間で、人間がヒューマノイドでっていうアレですが、このヒューマノイドが開発された理由というのが面白いですね。死刑囚のケア専門のヒューマノイドで「受刑者の精神を正常な状態に保ち、正しい悔悟の念の中で刑を迎えさせるため」のロボット。先月やった『1984年』でもやはり、同じように「たとえ死ぬとしても、そのギリギリの瞬間に自由を喝采すれば、私の思想を奪うことは出来なかったという証明になるはずだ」とウィンストンが考えるシーンがありましたが、それと同じような感じですね。死刑囚には、正しく悔悟を抱きながら刑に服してもらわなければ執行者側に批判が向けられる。この批判を避けるために、受刑者の精神はその時まで健全でなくては困る。どうでしょうね。やはりエゴだと思いますが。一個人の精神までをも管理してしまおうという、傲慢さがこのヒューマノイドを生んだと思うと、なかなかに吐き気がする物語ですね。

『すまじき熱帯』
ほぼ『グリーンインフェルノ』ですよね。「ジャングルの奥地に住む食人族」「死体崇拝」「信仰の末の集団自決」と、この手の物語が好きな人にはたまらないワードが満載ですね。死自体をある種の禁忌として捉える我々の価値観とは違い、死を非常にポジティブに捉え、殺し殺され、喰い喰われすることを歓びとする彼らの姿勢は、もうお手上げです、みたいな感じになりますね。最後パニックに陥った彼らが爆散していくあたりとかが、ガイアナのジョーンズ牧師を彷彿とさせますね。まったく合致しない二つの価値観の間で、我々の禁忌が彼らの聖域だった場合に、果たして話し合いの余地など残っているのでしょうかね。

『独白するユニバーサル横メルカトル』
表題作でもある短編ですね。ユニバーサル横メルカトル図法とは、ご存知地図の描き方の一つですが、それが独白するっていうんだから意味わからないタイトルですよね。しかし、読んでみるとまさしく、ユニバーサル横メルカトルが独白してるってんですから。要は地図の独白ですね。持ち主たるご主人様の意図を汲みながら、あちこちと道筋を照らすことに、職業としての誇りを持つ地図の話ですね。カーナビに悪態をついたり、ご主人のために最適なルートを模索したりと、なかなか愛すべき地図なわけですが、途中から「人皮でできた邪悪な地図」とか「美しい編図」とかも出てきて、もうなんというか、単なるコメディみたいな感じさえありますね。

『怪物のような顔フェースの女と溶けた時計のような頭おつむの男』
読み返して一番好きだったのはこの話ですね。
サディスト専門の特殊風俗で働いていた女が、どういう経緯か拷問屋の元へ運ばれてくる。痛みには慣れているはずの女と、相手を痛めつけることが専門の拷問屋とのやり取り、という風になるのだけれど、まぁ、ストーリーを紹介しただけで、痛い痛い描写がてんこ盛りなのが想像できますね。拷問屋が、女の指を鑿でコーンと飛ばした後に「肉体的な欠損は二義的な現象に過ぎない。我々が目指すのは心ハートの消失だよ」と絶望的なことを言ったのに対し、女が「もう無くすものはなにもないと思っていたけれど」と返すと、「君はまだ無限に持っている。これがどれだけ絶望的な状況だとしても、ゼロからすればまだまだ豊潤と言ってさえ良い」と、これから人格を少しずつゼロにしていく宣言をするんですね。なるほど、我々は簡単にはゼロにはなれない。絶望とは限りなくゼロに近い状態だと思っていたけれど、ゼロからすればまだまだ豊潤でさえあるというのは、別の視点から見れば救いですよね。残虐な描写の中にこそ、こうした生命賛歌が混じっているというのも、平山夢明さんの作品の軸ですよね。すごい。

さてさて。
全八編の短編集。蒸し暑い季節にゾッとするような痛さのある作品群でしたね。苦手な人は読まない方がいい系ですね。というわけで今月の課題図書はリチャード・パックマンa.k.aスティーブン・キングの最初期の長編と言われる『死のロングウォーク』です。歩いていきましょう。生き抜くために。

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