寛容な社会を創造するには?

他者に対する過剰なまでのネガティブナ反応。

Webニュースのコメント欄を覗けば、著名人、タレントなどに対する不必要な批判であふれている。

私自身も、他者のネガティブな発言に傷つき、悩まされることが多い。言った本人は何も考えていないことを思うと、本当に腹立たしい。

そして、タレントなどがウェブ上で不特定多数の、見ず知らずの人々から言葉の暴力を受けることの苦しさは、計り知れないほど大きいことが推察される。

このような世界を変えることはできないのだろうか。

否。

変えることはできるはずだ。

コロナ関連のニュースが取りざたされる中で、感染者に対する人々の反応が国によって異なることが分かった。

残念ながら、私の知る範囲では我が国でコロナに感染した方々は差別的な扱いを受けていることが多いように感じる。一方で、アジアのある国では、コロナ感染者は差別されるどころか励ましや応援がなされるというのだ。

そういった違いは、いわゆる国民性の違いや、文化の違いからくるのだろう。

私は、大学院で組織文化の変容に関する研究を行っていた。だからこそ、文化は変えられると考えるのだ。

江戸、明治、大正、昭和、平成、令和と緩やかではあるが確実に文化は変化している。こうした変化は変えようとして起こったのでは無いかもしれない。或いは、意図的に仕組まれた変化もあるかもしれない。

私は、文化の変容には3つのカン(価値観、習慣、危機感)が重要な鍵となると考えている。

組織文化の研究者であるシャインは著書の中で、文化変容には危機感が必要だと述べていた。

それは、計らずともコロナ禍において実証されることとなった。コロナという危機に直面した人々は、マスクを着用し、手洗いうがいを徹底し、アルコール消毒をするようになった。初めは、違和感を感じていた色つきのマスクや柄のあるマスクも、今では自然と受け入れられるようになった。

危機感が人々の習慣や価値観に影響を与えたのだ。

シャインは、「文化」を人々との価値観や習慣、行動様式の束であると説明している。

コロナは、文化を変えたのだ。

そして日本のみならず、世界中の文化を変えたのだ。

数年後にはコロナが落ち着き、インフルエンザのような扱いになった頃には、マスクをし、手洗いうがいをする人は減るかもしれない。しかし、色や柄のあるマスクはファッションの一部としても残り、文化として残っていく可能性が高い。

文化は変わることは明らかである。それでは、国民が、そして世界の人々が寛容である社会、そして文化を創るにはどうすれば良いのだろうか。

必要な視点は、寛容な個人と寛容な集団を創るということである。

一つは、どうすれば寛容な人を多くつくることができるのかということである。寛容な人とは、他者の立場に立って考えることができる人である。人は、加齢と共に寛容になるとされる。認知症などによって、気性が荒くなるパターンもあるが、それは、脳機能の低下や障害がもたらすものと考えられる。それらがなければ温厚に、寛容になっていくケースが多いのではないだろうか。

寛容な人を「つくる」と表現したが、結局のところ「育てる」と表現した方が良いのかもしれない。生涯学習という言葉があるが、人が変わるには学習するしかないのである。そして、行動に影響を与えるような学習とは、価値観が変容するような学習ということである。つまるところ、そうした学習とは「教育」によってなされるものだろう。

もう一つは、どうやって他者に対して寛容な文化を創るかということである。文化の変容は可能であるという結論に至ってはいるが、価値観や習慣にまで影響を与えるような危機というものはそうそうないだろう。多くの人々が「寛容」にならなければならないと思えるような危機を、今のところひらめきはしない。

そう考えたときに、文化を変えるものと言えば「教育」である。教育の役割の一つには文化の伝承がある。教育によって文化は伝承されるということは、恣意的に寛容な文化を形成していくことも可能であるだろう。

結局のところ、個人、集団のどちらについても、「教育」が重要だ。集団は個の集まりであるため、一人ひとりを育てる必要がある。この教育には3つのポイントがある。

1つ目のポイントは体験的に学ぶことである。幼少期から多様な文化、多様な価値観に触れることが重要である。幼少期から、障害者、人種、民族、宗教の人々と触れ合うことで醸成されていくものなのだ。そういった意味でも、インクルーシブ教育を実現することで、寛容な社会を醸成し、全ての人間が生きやすい社会を醸成するだろう。

2つ目のポイントは、相手の立場を考えられる人間を育てることである。多様な人々がいる中で、相手の立場を考え、共感し、振舞うことができる必要がある。そのためには、「メタ認知」「役割取得能力」を高める必要がある。

3つ目のポイントは、不寛容である人の価値観を変容するということである。価値観の変容には、「ダブルループ学習」「Q理論(Qプロセス)」「ダイアログ(対話)」が有効であると考えられる。

1つ目のポイントは、社会構造を変えなければ直ぐに実現できるものではないが、2つ目と3つ目のポイントは、明日からでも始めることのできることである。共通することは、相手の立場に立って気持ちを考えるということや、客観的にものごとを考えるということであり、トレーニングによってある程度鍛えることができるものである。

今後、これらの具体的なトレーニング方法について深めていきたい。

私が望んでいるのは、結局のところ John Lennon の「imagine」なのだと思う。そういった理想の世界を、多くの人々の心に響く、シンプルな言葉と音楽で表現したJohnのすごさを改めて感じる今日この頃である。

こうした寛容な社会の形成者を一人でも多くつくることができるように、音楽や絵本、小説などを製作していきたいと思う。


一方で、寛容な社会を望む私自身、不寛容な他者に対して不寛容になっているという矛盾を孕んでいる。そういった矛盾についても、自分なりの答えをつくっていきたい。

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