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エゴを拡大する

拡大とは、自分の意識が拡大すること

自分の意識とは、つまり自意識



自意識過剰という言葉に使われる、あの自意識だ


自意識


自我


アイデンティティ



それぞれに微妙な違いはあるのだろうが、

要は「私は◯◯である」という自己認識だ



目覚めていくとエゴがなくなると思いがちだけれど、

目覚めとはエゴが拡大することだとも言える


ただ、エゴが拡大すると言っても、エゴが肥大化するわけではない




自意識の「自」

つまり「おのれ」の枠が拡大すること


それが目覚めなのだと思う



目覚めていない時、

私たちは「おのれ」を矮小化している



「おのれ」の枠を、細分化されたとても小さなものだと認識している



そういう幻想を見ている状態


それが眠りなのだと思う




幻想の世界では


自分と他者の境界線が明確に存在している


自分の肉体や持ち物や立場だったり


そういった「自分」自身や所有物、テリトリーを他者から守らなければいけない




目覚めていくとき

視点は高くなる




自分の肉体を超え

周りの人々や景色をもすっぽりと包み込み

どんどん拡張していく



自分の肉体を中心とする視点は

無数に存在する視点の一つの視点

多面的・多角的なアングル

ポイントの一つであることに気づく



各々の肉体を中心点として描かれる無数の円や球が

重なり合い

刺激し合い

その織りなす層は無限に拡大する



ハイヤーセルフでありオーバーセルフの視点




その過程で

それまでの自分の肉体を限界とした小さな「私」という

もはや役に立たなくなった不要な自我を手放していく





自分という意識・感覚

その地平線がどれだけ広がるか



それは逆説的に

自分の内側にベクトルを向けること




呼吸をするたびに

内側と外側に

深く深く

広く広く




エネルギーワークをしているとき

いろんなエネルギーや意識体が私というポータルを媒体としてワークが起こる


私はただ、「私」という意識を明け渡し、その一部始終を眺めている




そういうことを日々繰り返しているからか

私って、宇宙エネルギーの吹き出し口なんだな〜

そんな感覚がしっくりくる



「自分」というポイントをきっかけに

入り口として出口として

繋がる無限のエネルギー



そんな、とりとめもなく曖昧な自意識







そこから出てくるものは

なんでもありだ

全てを包み込むような優しさもあれば

容赦なく切り捨てたり、谷底に突き落とす冷徹さもある




善悪の概念がなく

どんなものも等しく多面的であるという生き方は

人間的な思考や感覚からすると冷や汗ものと感じることも少なくない




けれど、

どんなものも否定しない

ブレーキをかけない

ただ、しかとありのまま見届ける




自分の限界を超えていくということは

きれいごと抜きで

そういうことなのではないかと思う



RHEA


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