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◉お寺の日々#145 息子の死を通して

2024.02.15(木)ブログ

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◆息子の死を通して

親鸞は父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。

(『歎異抄』「第五条」)

親鸞は、亡き父母の追善供養のためと思って、念仏を申したことは、いまだ一度もありません。

『歎異抄』のこの言葉と、生涯をかけて向き合われた方がいます。

作家の高史明(こさみょん)さんです。

高さんには、正史(まさふみ)さんという一人息子さんがおられました。

その正史さんが中学生になった時に、高さんは三つのことを伝えたそうです。

一つ目は、今日から君は中学生になるんだから、自分のことは自分で責任を取りなさいということ。

二つ目は、他人に迷惑をかけるなということ。

三つめは、自分のことが自分で責任を取れて、他人に迷惑をかけなければ、お父さんは君に何も言わない。自分の人生だから、自分の責任で生きていきなさい。

そういうことを、高さんは息子の正史さんが中学生になった時に伝えたそうです。

しかしその後、正史さんは自らいのちを断ちます。自死をなさるのですね。

高さんは、自ら送った言葉が息子を死に追いやったのではないかと、後ほど振り返ってみて思うようになったと言います。

「自分のことは自分で責任を取れるようになってほしい」「他人に迷惑をかけない子に育ってほしい」。

こうした思いは、親は少なからず子どもに対して抱くものかもしれません。

それは、こうした心がけが、生きていく上で大事なことだと自分自身も思うからこそではないでしょうか。

大事なことだと思うからこそ、子どもに伝えたいという思いも湧いてくるものでしょうね。

高さんも、「自分のことは自分で責任を取り、他人に迷惑をかけない」ということが、自分の生き様でもあったと語っておられました。

そして、息子の正史さんが、中学生という大人の階段の入口にさしかかった時に、高さんはこれまでの自分の生き様を伝えるように、この三つの言葉を正史さんに送りました。

しかし、その言葉によって、息子を死に追いやったのではないか。高さんはそのように思うようになります。

高さんにとって正史さんの死は、「これまでの自分の生き方や考え方は、本当に正しかったのだろうか」と問い直させられるような出来事だったと言います。

最愛の息子である正史さんが亡くなり、高さんは悲しみに暮れます。

そして、息子のために何かできないかと、息子の供養のためと思って、「南無阿弥陀仏」という念仏を何度何度も紙に書いたそうです。

作家だからでしょうかね、「南無阿弥陀仏」と、何度も念仏を紙に書いたそうです。

しかし、そうしている時に、先ほどの『歎異抄』にある親鸞聖人の言葉が、高さんの目に入ってきます。

親鸞は父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。

(『歎異抄』「第五条」)

親鸞は、亡き父母の追善供養のためと思って、念仏を申したことは、いまだ一度もありません。

高さんは、「もはや息子とつながるには、向こうにいる息子に、こちらから供養することでつながるしかない」、そういう思いで念仏をしていたと言います。

しかし、『歎異抄』には、「親の追善供養のためと思って念仏をしたことは一度もない」と書かれているのですね。高さんは、この言葉を見て驚いたそうです。

「親鸞という人は、なぜそういうことを言ったのか」「いったい念仏とは何なのか」。

高さんは、親鸞聖人の思いを尋ねようと、『歎異抄』を深く読み込むようになります。

続く

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