愛と憐憫

人を愛する、ということがいまいちなんだかわからなくなってしまった。
できるだけ客観的に振り返ってみると、この人に彼女ができたら嫌だな、とかは思うこともあった。けれどもその人に無償の愛を注げるほど好きなわけでもない。きっとただの依存先としか見ていないのだろう。そんな自分を依存するものとしか見ていない人間を、誰かが愛するはずもなく。
気づけば愛することも愛されることもわからなくなっていた。思うと私は一方通行の恋愛しかしたことがないから、愛されるなんてもっとわからない。けれど、確かに愛していた人がいた頃は、愛することを知っていたはずなのだ。側から見たらただの依存でも、私は確かに愛していた。きっと彼に死ねと言われれば死ねた。離別以外の全てを許しただろうし、許していた。愛されるとは、愛するとは、いったいなんなのだろう。

いつだったか。ぼんやりとラブホテルの窓に座って、いつでも飛び降りられる瞬間があった。一緒にいたのは友人でもあり、そういったこともするような仲の人間だった。彼は私に死ぬんじゃないよ、と告げた。けれどそこに愛はなかった。ただの孤独な女に対する、憐憫の情だけだったのだろう。
いつだったか。酔い潰れて終電を逃した人間をラブホテルで介抱した。彼はアルコールで朦朧とした意識の中、殺してくれ、殺してくれよ、とずっと呻いていた。私は殺さなかった。

愛と憐みは紙一重のところにある。それを知ったのはいつだったか。アルコールで萎縮した脳は、いつだって正しいことは教えない。私が与え、そして受け取っているこの感情はすべて憐みなのだ。
一番愛した人が殺してくれと頼んできたら、きっと私は実行するだろう。もっとも、そんなことをする彼なら私は愛さなかっただろうが。けれどそこには間違いなく愛がある。彼の願望をこの手で成就させるという、おおきな愛に基づいて行動するだろう。

きっと私はこの先誰かを本当に愛するなんてできないだろうし、こんなにひねくれているから本当の愛なんて受け取れないんだと思う。それでもやっぱり、少し寂しいと思う時がある。

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