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今井雅子作 「北浜東1丁目 看板の読めないBAR~か〇〇かりBAR」

毎年恒例、ナレーターなど声を生業にしているメンバーが集まり、朗読初めを開催する。
2023年の今年は、脚本家 今井雅子先生の書き下ろし短編を参加者それぞれがアレンジして披露したのだが、どれも個性豊かな内容だった。

そしてここに、私が読んだ作品を公開する。


名前を呼ばれた気がして振り返ると、そこに人の姿はなかった。だが、道端に置かれた小さな看板が目に留まった。
チョークで手書きされた頭の文字のいくつかが消えている。
残されているのは、ひらがなの「か」と「り」とアルファベットのB-A-R。
消えた文字を想像してみる。なぜか「かみがかり」が思い浮かんだ。

かみがかりBAR」

口にしてみて、笑みがこぼれた。そんなBARがあったら、どんなお酒を飲ませるのだろう。

誘われるように地下へ続く階段を降りて行く。
重みのあるドアを開けると、カウンターの向こうにマスターの顔が見えた。
どこかで会ったことのあるような顔立ちに、柔らかな表情を浮かべている。 

「お待ちしていました」

鎧を脱がせる声だ。私はコートをマスターに預け、革張りのスツールに腰を下ろす。

 「ようこそ。かみがかりBARへ」
「ここって、かみがかりBARなんですか?」 

ついさっき看板の消えた文字を補って、私が思いついた名前だ。それがこの店の名前だった。
そんな偶然があるのだろうか。 

「ご注文ありがとうございます。はじめてよろしいでしょうか」

おや、と思った。マスターはどうやら他の客と私を勘違いしているらしい。
人違いですよと正そうとして、思いとどまった。その客は、ある程度、私と属性が共通しているのではないだろうか。
年齢、性別、醸し出す雰囲気……。だとしたら、注文の好みも似通っているかもしれない。

 「はじめてください」
「かしこまりました」 

マスターがシェイカーを振る音を確かに聞いた。だが、カウンターに出されたグラスは空っぽだった。

「これは、なんですか」
「ご注文の『かみがかり』です」
キラキラ光って『かみがかり』というわけですか」
「どうぞ。味わってみてください」

自信作ですという表情を浮かべ、マスターが告げた。

 なるほど。そういうことか。
私はマスターの遊びにつき合うことにした。芝居の心得なら、ある。空白は想像を膨らませる余白だ。
空っぽのグラスに目をこらし、そこにある「かみがかり」を想像する。
さもあるがごとく。さもあるがごとく。

グラスを手に取り、口に近づけたそのとき、「あ……」と声が漏れた。 
鼻先を香りが通り抜けたのだ。 

ライブハウスに響き渡る喧噪と酒とタバコの香り。

その香りに連れられて、遠い日の記憶が蘇った。

「あの日M-1GPのナレーター氏、ブンリクのモンスターくん、そして今や女王として君臨するノリちゃんなどが集い、朗読イベントを組んだ。ただの朗読ではない。それぞれの持ち味を活かしたナレーションを披露する一方で、いかに噛まずに読み切るかを競うものだ。
トップはM-1ナレーター氏。記録は6秒!。もう誰もが最下位を免れたと思い、安心した。
続くモンスターくんは漫画の擬音ばかりで噛むはずがない。女王ノリちゃんなどは専門用語をものともせず読み進めていく。

そして私の番が来た。「王貞治のホームラン世界記録は家族が支えた」。
確かそんなタイトルだった。
いや、正確には覚えていないのだ。
なぜなら……、そのタイトルの途中で噛んだからだ‼

3秒…。私が「カム様」となった瞬間だった……。

 

香りと記憶がよぎったのは、流れ星が通り過ぎるような一瞬のことだった。手にしたグラスからはもう、なんの香りもしなかった。

空っぽになったグラスを置くと、「いかがでしたか」とマスターが聞いた。
「『かみがかり』でした。もはや今の私の代名詞的な。マスター、どういう魔法を使ったんですか」
「ここは『かみがかりBAR』ですから。あなたが、この店の名前をつけたんですよ」
マスターがにこやかに告げた。私の「これまで」も「これから」もお見通しのような目をして。

頭の文字のいくつかが読めない看板を見たとき、思い浮かんだのは「かみがかり」だった。
あの日の「かみがかり」があったから、今の私があるといっても過言ではない。
そのことを思い出すきっかけを心のどこかで求めていたのかもしれない。
かみがかり」の日の私と今の私はつながっている。
そう思えたら、風船の端っこを持ってもらっているような安心感がある。

「だから未だに噛み続けているのかぁ……」

階段を昇り、地上に出ると、文字が消えて読めなかった看板は、看板ごと消えていた。
歩き出した足取りが軽くなっている。鼻の奥に、酒とタバコの入り交じった香りがかすかに残っていた。


私が「カム様」と言われる所以を描いたエピソードである。
そしてこれが後に『噛んだら終了!』というイベントとして、受け継がれていくことになるのである。





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