誰も寝てはならぬ
ニューヨークの治安は80年代に比べたら劇的に良くなったんだよ。
そう言われて久しいと思う。
そんなことにまつわる話を一つ書こうかなと思う。
2回目のニューヨーク。2016年。私は連日ブロードウェイに通う舞台オタクビギナーだった。いや、いまでもそうですすみません。
私には初めて訪問した時からお気に入りのBandBがあり、リピーターになっていた。居心地も良く、地下鉄の路線も多く便利で、ブルックリンの中でも生活のしやすいエリアにあり朝食も美味しい。
その日の朝もオーナーやその他の宿泊客と、今日は何するの?どこへ行くの?といった、他愛のない話で盛り上がっていた。
何かのきっかけでオーナーが、治安の良いこの辺りだが、最近はよく見るホームレスが1人いる、でも何をする訳でも無いから心配は要らないよ、と皆に言っていた。そして私には、そういえば昨日見たあの人かな、という心当たりもあった。
ブランクはあるが他に海外経験がない訳でも無いし、この都市は2回目だ。「自分の中の海外滞在時モード」オンでいれば良い。注意するが怖がり過ぎないアレだ(どれだ)。
基本的に、ここでは地下鉄なんかで積極的にぐいぐい来る人でも、Noを言えばあっさりしているものだったりする。ホームがレスな状態であるという、そのこととその人の内面が連動するわけじゃないのだ。
あ、あくまで私の行動範囲と時間に於いての個人的な感想なので、その点ご了承下さい。
そんな日の出来事。
2回目の訪問となればメジャーなものだけではなく、オフブロードウェイと呼ばれる小規模作品にも手を伸ばしたくなる。そこでその夜用にチケットを買っていたのは、オフブロードウェイ作品の「Sleep no more」(誰も寝てはならぬ)だった。
簡単に説明すると、ご存知の方もいるかと思うのだが「体験型劇場」だ。
シェイクスピアのマクベス「Sleep no more」を物語のベースとし、20世紀前半をコンセプトに繊細なディテールでホテルの廃墟を模したビル1棟(実際はその中の複数階がそうで、同じテイストのバーやレストランも他の階にある)の中を、複数の役者が無言でバラバラにあちこちに移動しながら、演技やダンスで物語を表現する。
観客の私達は、オペラ座の怪人フルバージョンのような白い仮面を付けてアノニマス化し、特定の役者を追いかけるも、至近距離で演技を邪魔せずガン見するも、その「廃墟」を探索(引き出しを開けても、何処かに座っても、元に戻すなら何を弄ってもOK)するも自由。
但し条件がある。
絶対に喋ってはいけない。
仮面を外してはいけない。
1人で行動しなければならない。
この3つ。
もうこれはこのコンセプトと綿密かつダークな世界観を楽しむ事が出来るか、いや仮面被ってお金払って何やってるか自分よくわかんないんですけど、の2択だと思う。
なので万人にはオススメ出来ない。そして単独行動が楽しめない・出来ない方にもオススメしない。
それと、初期は人数制限をして孤独やミステリーを感じさせることに重点を置いていたようだけど、入るだけ観客入れちゃいます方針になったのか、私が体験した時も結構な観客数にしていたらしく、割と白仮面がそこかしこにウロウロしていて、それはそれでシュールな光景でもあった。やさしいウォーキングデッド達だと思って頂いて差し支えない。
それでも、私にはこの世界を楽しむには十分なシチュエーションだった。
舞台がどんなものだったか、真面目に何を感じたかなどは長くなるので別の機会に。
あ、唐突だが昔、誰かのショートショートで、「仮面と言うからカッコつけた感じになる。おめん、に言い換えれば何だかちょっと面白くなる。」という話を読んだ記憶が蘇った。じゃあ、この先おめんでいこう。
とにかく最初は不気味で繊細なセットにビビる前に、唐突に出くわす白おめん同士でビビっていたが、その後おめんも馴染みどっぷり世界にハマり、歩き過ぎて足も痛くなった頃、終演となる。
白おめんは全員出口へ誘導される。何故、勝手気ままに散っていた白おめんが集合しているのか。それもこの舞台のちょっと凄いところなのだが、長くなるので別の機会に(2回目)。
出口に誘導される白おめん達。その暗い廊下で会話とおめん解除OKとなるのだが、なぜかおめんを外して手に持つ人は少なく、額の上にズリ上げる「日本の夏祭りスタイル」が大多数。
もちろん私も自然にお祭りジョインである。
ダークな世界の終わりに、若干の現実的お笑いシチュエーションが混じって来たところで、自分のちょっとしたミスに気づく。
私は最小限の手荷物にする為、財布やメトロカード位しか入らない小さなバッグだけを持ってきていた。だが、おめんは思い出に持ち帰ってねスタンスである。
画してアジアン女お一人様観光客は、おめんを小脇に抱え、夜中11時近い地下鉄でブルックリンへと向かう事になる。気持ちとしては、世に言うディズニーリゾートから遠ざかる程にミッキーの耳がちょっとずつ恥ずかしくなるアレだ(どれだとは言わせない)。
やっと宿のある通りに着いた。時間は午前0時前。ああ、今日も楽しかった…。
ブラウンストーンの家並みに、それを照らすオレンジの街灯、地下鉄ゲートのグリーンの灯。
夜の空気の匂い、感じる昼間の余韻、大好きなニューヨーク。
並木道の中のブラウンストーンの一軒、それが短い間だが私の家なのだ。
一番、門の灯が明るい家、それが私の………
っっっファアアアッ(自粛)?!!
どんなアタリだよ。
扉の前に丸まって寝てるじゃないか!
小豆色のジャージで!しかも小豆のカタチで!
例のホームレスが!
いや、何もしてこないのは分かってる。でも、よりによって今夜この場所この私のターンかよ!一番門の灯が明るいから?今どうするのが正解?跨ぎつつ家の鍵を開けるとか…ダメだお休みのところ起こしちゃいけねえだろ!
はっ、このおめんを被……
何でだよ!
ここまで考えるのが約2-3秒、私は直ぐにオーナーに携帯で電話をかけていた。中から鍵を開けてもらおう。一瞬で跨がせてもらえば何とかなる。
…………虚しく響く呼び出し音。
夜中だよ。明日も朝食の準備忙しいし、そりゃもう寝てるよ。…………一応テキスト打ってみよう。
……既読にならない。うん、知ってた。
やだマジでSleep no more❤️とか言ってる場合じゃねえ。シェイクスピア先生に失礼過ぎる。
そうだ!!番号交換した宿泊者仲間がいるじゃん!あの子絶対まだ晩酌してる!
結果、御光を浴びて酒の入った女神が内側からドアを開けてくれたが、そこに立っていたのは巨大小豆を目の前に白おめんを持った挙動不審な女。
……すみません、誰かこれ宗教画っぽく描いてもらってもいいですか。
で、その後、家に入れてもらってからおめんを被って、彼女と謎のバイブスで撮影なんかしてたもんだから、翌朝の朝食時はみんなで写真見ながら時の人である。今風に言えばバズったよ、ああそうさ。
今となっては、ドアを開けてくれる前におめんを被って待っていて、開くと同時に「Sleep no moreeeeeeeee!! 」(…この言葉便利じゃん)とか叫ぶ位のサービス精神があっても良かったな、と思っている。
ここでシェイクスピア先生は号泣だ。
そしてその晩は何だか興奮してあまり寝付けず、まさに己がSleep no more だったな。としつこく大喜利かました気分になっていた。
シェイクスピア先生は私をブロック決定だろう。
ニューヨーク、もうホント愛してるよ。