はじめに 「この手の船は、本当言うと2週間欲しいんだよね」 乗船して最初の夕食を取った豪華なダイニングで東さんがぽつんとそう言う。まあ、これまでの客船クルーズの経験では1週間あれば結構堪能できるのでは、とそのときぼくは思っていたのだ。 肥田さんがいろいろ手をかけて製作したジオラマ造りの「スター・フライヤー」がきっかけで、我ら10人と代理店代表の王子さんが3,092トンの4檣バーケンチン、スター・クリッパーに乗り込んだのは昨年11月22日ももう午後5時を回ったころ。キ
―2013年バルト海クルーズの私的報告― 2013年8月5日、コペンハーゲンの見学を終えてスターフライヤーの甲板に上がると喫煙テーブルで栗田さんが一服やっていた。相変わらず止められないんだなあと思いながらもやあやあご無事で、と遅れて参加した仲間をみんなが歓迎する。コーヒー片手に現れた夫人の敦子さんも加わってこれで全員揃った。 2005年、セイルアムス2005では18人の仲間とオランダはアイセル湖で小さな帆船サクセスに乗って帆走し、運河の土手で帆船パレードを見た。また200
―ザ・ロープ40周年記念海外旅行の勝手気ままな記録― 8. サウサンプトン Southanpton 6月 21日、この日はプリマスからポーツマスまで足を延ばすから8時には出発だ。日吉さんと二人で6時半には朝食、日本にいたら夢の中だ。例によってリンゴ ジュース、フライドエッグ、ベーコン、果物、ヨーグルト、パンと「ややこしくする必要のない」食事。この宿はコーヒーと紅茶のサービスはなくて、ティー・ バッグでいれた紅茶にミルクたっぷりという体裁。それでもホテルの朝食はいい。 年
―ザ・ロープ40周年記念海外旅行の勝手気ままな記録― ザ・ ロープ創立40周年にあたり記念行事の一つとして企画したイギリス南部のツアー。2015年6月17日(水)から11日間の日程で、ロンドンを起点にして、西のブリス トル、西南のプリマスと近郊の港町、南岸のポーツマスを廻り、ひとたびロンドンに戻りグリニッジとチャタムを巡る旅である。参加者は15名。 はじめに「食事が来るよ」ハントはその背中に向かって言った。 「いつもと同じでしょ」ドアの陰からリンの声が返ってきた。 「どう
2015年(平成27年)のザ・ロープ創立40周年記念行事の一つとして6月に行ったイギリス南部の旅行に続いて企画された国内旅行。瀬戸内海は古代より 大和に通ずる海上交通の要衝であるが、中でも芸予諸島はその中間に位置しており、寄港地としてまた船の修理地としても各時代を通して大いに栄えたところである。6組のご夫婦を含む22名が参加、11月10日から13日までの3泊4日の旅行となった。 はじめに 木造 帆船模型同好会というのが「ザ・ロープ」の本業?で2015年の今年創立40周年にな
強大な権限を持つ指揮官には、それに伴う責任があるのは当然です。第16回でお話した艦長の任命書の中に、 「・・・危機に際しては、適切にこれに対応し、貴官及び部下の一人たりとも、過誤を冒すべからず・・・」 という文言のあることをお忘れではないと思いますが、要するに問題を起こせば責任をとらせるぞ、という宣言です。これは艦長や士官に限らずより権限の多い司令官クラスにも当然適用されます。 ホーンブロア・シリーズの第7巻「勇者の帰還」に「・・・そうなれば、サザランド号喪失の責任を問われ
雷のような音が続く中でラミジはしだいに意識を取り戻し始めていた・・・同時に嗅覚も戻ってきた。硝煙が鼻をつくとおもったとき、『ミスター・ラミジ、ミスター・ラミジ!』と自分を呼ぶ声に気づいた・・・『なんだ?・・・どうしたんだ?』『とんでもないことになりました。みんな死にました・・・』『落ち着け、誰がお前をここによこしたんだ?』『掌帆長(ボースン)です。今ではあなたがこの艦の指揮官だといっています』 (山形欣哉/田中航訳) これは『ラミジ艦長物語』の第1巻『イタリアの海』の冒頭
あるけっ茶ーの —ホテルの晩餐― 鄙にも稀な、という言葉かある。言い方によっては大変失礼なことになりかねないのだが、ぼくはあえてこのホテルアオカ上五島を「都にも稀な」と呼んでみたい。 玄関を入ると、レセプションもそうなのだが、ロビーではただ単に椅子が置いてあって休めるという構造ではない。コーヒーでも飲んで本がお好きならテーブルで読んでください、ゆっくり休みたいのならソファーもあります。食事の前にちょっと待つのならスツールでどうぞ、と何も書いていないし案内もないのだが、ちょ
グレート・ブリテン及びアイルランドの海軍卿事務代行者たる海軍委員会より、国王陛下の海軍艦長ホレイショ・ホーンブロアに対し以下のごとく下命する。貴官はここに・・・ ・・・ここに貴官は直ちに乗艦して指揮をとり、艦長の職務を果たすべきを命ず。当該カッター艦の士官及び乗組員全員をして、全員一致して、あるいは個別に、同艦々長たる貴官に対する正当なる尊敬と服従をもって行動せしむるよう、厳正なる指揮と職務の遂行こそ肝要なり・・・危機に際しては、適切にこれに対応し、貴官及び部下の一人たりと
(福田正彦) このシリーズを書いているといろいろな方から声をかけられます。 「食卓が続いたんだから、今度はそのあと始末だよね。」 という声もあったのです。その人は当然のようにおっしゃるのですが、海洋小説でそういった“しも”の話は、まあ出てきません。もっとも、日常生活に欠かせない、そのような問題をどうやって解決していたのだろうと、興味を持つのも分からなくはありません。そこで、今回は小説の中の話というのではなく、事実と推測を少し、このシリーズの間奏曲として書くことにしました。
15.ボストン美術館 ―ボストン― ロープニュース第29号以来、3年以上もご無沙汰したけれども、意を決して再び投稿することにした。1995年に横浜帆船模型同好会の中山さんが主催したアメリカ東海岸の海事博物館をレンタカーで巡る旅の話を続けよう。ワシントンDCから始まった旅はニューポートニューズ、ウイリアムズバーグを巡ったあと長躯北上、ボストンに辿りついたところ。一行は中山宜長さん、渡邊晋さん、鈴木雄助さん、横浜の会員だった平戸重男さんとぼくの5人である。 1995年の10
はじめに 1995年の10月に横浜帆船模型同好会(YSMC)の有志で米国の東海岸にある海事博物館を回って歩こうよと提案したのはこの会の仲間である中山宜長さんだ。マサチューセッツ州に勤務経験のある中山さんが、レンタカーで回れば大方の海事博物館を見て回れるだろうという算段だった。なぜ東海岸かというと、そもそも米国の発祥の地でもあり、いわゆるニューイングランドは秋の最中で黄葉も素晴らしかろうし、西海岸なんぞはねぇ、とカントリー音楽をいたく愛する中山さんの主張でもあったのだ。 こ
はじめに 国際会議なんて物々しい感じがするが、これも人の集まりであるからにはかなり人間臭い一面を持っている。内容はともかく、どういった雰囲気なのか覗いてみるのも悪くはないだろう。随分と昔(23年も前)の話だから、それだけに影響もなかろうと、少し気楽にメルボルンというきれいな街と併せてそれをお伝えしよう。 世界中で食品を流通させる場合、国によっていろいろ基準が違っていたら面倒なことになるのは間違いない。それならみんなで世界的に共通の基準を作ろうではないかといって始まった組織
はじめに新型コロナという名のウイルスがわれわれにこれまでにない経験を強いているこの年の中で、少し落ち着いたかと思われる11月の初めに五島列島に行った。それまでの閉塞感にいくらかのうっ憤を晴らすという気味もあった。 もともと五島列島は行きたい地域の筆頭だったのだがなかなか機会がなかった。新聞でふと見たこのプランに後押しされたといっていい。 一個人の立場で見るとわが日本は広い。同一の国といっても風俗習慣はもとより言語も食べ物も違う。五島列島が玄界灘に臨む隠れキリシタンが住んで