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枕草子

前回、『源氏物語』を 紹介しました。今回は 紫式部 と 同じ 平安時代 の 女性作家・清 少納言(せい しょうなごん 966年? ‐ 1025年?) の 『枕草子』(まくら の そうし)です。「春は、あけぼの」で 始まる この作品は 自分が女房として仕えてきた 一条天皇(981年 - 1011年) 皇后・藤原定子(977年 - 1001年)の ために 執筆 しました。

清少納言 は 紫式部 とは ライバル関係で 実際に会わなかった と いわれますが『光る君へ』では 「ききょう」の 名前で 登場し、ファーストサマーウイカ が 演じ まひろ(ドラマでの役名 吉高由里子) とは 懇意の関係になっていますが 敵同士に 変化している過程を ドラマ で 見せてくれました。

さて 話を戻し、『枕草子』が どのように書かれ、現在まで 読みつがれたか 見てみましょう。

清少納言 は 一条天皇・定子皇后 と 共に サロンを 形成し 宮廷文学の 発展に 貢献しました。歌人・清原元輔 を 父に持つ 清少納言は 教養があり漢文にも通じ 定子は 父・藤原道隆と母・高階貴子 から 高い教育を受けて育ち 4歳年下の従弟(母は道隆の妹で円融天皇女御/皇太后 藤原詮子)にあたる一条天皇とは相思相愛の仲でした。清少納言は幸せに満ちた定子と共に過ごすのが名誉であり 喜びでした。

しかし 幸福な時期は長くは続きませんでした。藤原道隆は 糖尿病で他界、兄・藤原伊周と弟・藤原隆家 が 花山天皇の牛車に 弓を弾く といった スキャンダル(長徳の変)を起こし失脚、定子はそれを悲しみ出家します。

追い打ちをかけるように 母・貴子が他界、叔父・藤原道長の台頭で苦しむ定子の助けとなったのが 一条天皇の愛と 清少納言の献身でした。定子は一条天皇と間に3子を儲け、定子皇后自身は皇女を産んですぐに崩御されます。24歳の若さでした。

清少納言は定子皇后の思い出を綴ったのが『枕草子』と いわれます。清少納言は 皇后の遺児(脩子(ながこ)内親王敦康(あつやす)親王媄子(よしこ)内親王 )を 養育しながら 皇后への忠誠を維持し 、他の宮中への出仕を拒み 定子皇后 が 埋葬されている 鳥辺野(京都市東山区)の 近くに 庵を結び 後半生 を 過ごしました。

※ 2024. 11. 14 追記



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今紫
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