オステオパシーとは何か?

 偉人とは珍種に属する人たちである。彼らは自分の足跡を残し、限りない影を未来世代に投げ掛ける。私は、このような4人の偉人たちの生涯における注目すべき共通点について簡単に述べてみたいと思う。単純化された言葉に包まれた薄っぺらな模写で事足りたとして部外者や対抗する人の批判に追従するよりも、彼らの独創的な仕事に耳を傾ける人の方が、より良く理解していると思われる。

 我々のいわゆる「メダルを目指す第1走者」は1771年にプラハで生まれた。彼の名前はアロイズ・セネフェルダーである。彼の乳が亡くなった時、彼はまだ学生だった。彼は母親と8人の子供を扶養せざるを得なかった。我々は苦難が独創的思考の世界における共通の運命であることを知るであろう。後に彼はドラマの脚本を書いたが、出版社を見つけることができなかった。彼は水とグリースが混じり合わないという単純な事実に基づき、平板印刷工程を使って実験を始めた。この工程は後に石板印刷として知られるようになった。キャクストン(英国最初の印刷家)の時代から文字印刷は熱した金属板と深い食刻法によるもので、今は消滅した大仕掛けの重工業であった。その代わりに低コストの軽工業、即ち石版印刷が出現し、その後200年以内に古い方法を事実上、消し去った。これは、大きな経済的困難、続けざまの落胆と失望の繰り返しにも拘わらず、決して並の成功ではなかった。

 我々の次の「走者」はサミュエル・ハーネマンという親しみやすい名前である。語学と科学のかなり巧妙な学者で1779年には医師の資格も取った。彼は貧しい中流家庭の出身で、1775年にサキソニーのメイッセンで生まれた。後に彼は自分が投薬した後、有毒効果を実際に見て医療から身を引いた。それは、彼が研究を進め投薬した後、奇妙な現象に偶然、遭遇した直後であった。つまり、一度希釈しただけで物質の影響力は弱まるが、激しく攪拌しながら段階的に希釈すると健康な人には症状を発現させ、病人には最初の物質が計測不能なほど少量しか希釈液に残っていなくても治療効果が現れる。

 当時は不振と揶揄の的であった彼の発表した原則はそのまま残り、現在、ハーネマンの発見は世界中で活用されている。

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