11/21 L'Église dans mon cœur | 私の心の教会
今日、気の置けない友人と河口湖へ行った。
雲ひとつない空の元、秋色に染まり、太陽の光にキラキラと輝く湖畔を眺めながら、私たちはいつものように、30代目前の今感じる焦りや悩み、そして希望や夢などを永遠と語り合った。
そして、人生の岐路に立つ今、改めて心に刻んだことは、何よりも自分の気持ちに正直に生きたいということ。
私はどちらかというと、今まで自分の気持ちに正直に生きてきた方だと思う。基本的に、自分の好みははっきりしているし、自分が求めているものもわかる。だけどそれが、グラデーションの程度であれ、一瞬一瞬移り変わってゆくもので、「今の私」が何を考えていて、何をしたいのかを適宜細かく確かめる必要があることが最近よくわかってきた。例えば、数ヶ月前に私が求めていたものが、今の私が求めているものと一貫しているかといえば、そうでなかったりする。もっというと、今そうだと思っていたことが、一瞬先にはそうでもないことがあるのだ。
例えば、最近の私はフランスへの留学を強く希望している。フランスでフェミニズムを学び、それを伝えること。それが使命なのではないかと、夏の終わり頃、私は確信した。
だけどもう一方で、私に新たな声が聞こえてきたのが、ここ数日のこと。
それは「ピアノを忘れないで」という叫びみたいな声だった。
中学を卒業する頃まで、私の中心にあったピアノ。
だが、運命の流れに流されたのか、何なのか、今思い返してもよく思い出せないのだが、私は普通の大学に行った。
そのため、ピアノへの未練は私の心にずっと残り、時折それが顔を出した。
昔一緒にピアノを習っていた友人がピアニストになったのを聞くたびに、そしてその演奏を聞くたびに、素直な気持ちで聞き入れない自分がいた。
私はピアニストになるはずだったのに、なぜなっていないのだろう。そんな気持ちが自分の中で燻るのを何度も感じた。
それを忘れた気になった頃、決まってその声はいつも強くなる。
そして、数日前、その声は眠れない私の心に鐘のように響き渡り、古傷のように主張し始めた。
だけど、私はもう決断をしたのだ。フランスで再び勉強すると。
これ以上、どうしろというのだ。ピアノの道に戻れと言っているのか??
いや、遅すぎる。
私の理性が再びその主張を抑え込む。
だけど、私は指がピアノを弾きたがっているのを感じ、そして心もそれを求めているのを感じた。
そして、今日久しぶりにピアノを弾くと、私のピアノの血が再び騒ぎ始めた。
結局、私はきっとピアノの道に戻る決断はできないし、しないだろう。
他の道を捨てて、ピアノの道だけを生きる、という意味で。
私はもう10年くらいピアノ以外の道を生きてきて、それを否定したくはないから。
だけど、私はピアノをずっと続けていかないといけないし、それが私の一つのdutyであるのだと、私はここにきて確信した。
とにかく、私はピアノを続けないといけないのだ。
どんなに離れそうになっても、ピアノは私の一部なのだ。
だからやっぱり私はピアニストの夢を諦めないし、私の中のピアノを愛し、敬い、大切にしていこうと思う。(ここ数年そんな気持ちに蓋をして蔑ろにしていた気がする)
私の中のピアノは今日見た河口湖の湖畔のように、ピュアで、キラキラと輝く神聖なものなのだ。
私は今日河口湖で、私の心の中のégliseを見つけた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?