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「哲学をきわめるとは死ぬことを学ぶこと」

「死ぬ」とは何か

人は死んだらどうなるのか

死後の魂は存在するのか

人は死の瞬間何を思うのだろうか

自分は死ぬとき何を思うのだろうか


私は昔から上述のようなことを毎日自然と考えてしまう癖がついている。
学生の頃に友人から「そんなに死について毎日考えている人なんていないよ」と笑われたことを今でも思い出す。

では、なぜ人は死について毎日考えないのだろうか。

なぜなら考えたところで答えがない。誰も答えてくれない。なぜなら死んだ人は答えてくれないからだ。死んでいるのだから。当たり前の話だけれど。

死について考えた先にあるのは、何もない「無」。そこで必ず行き止まる。
それなら働いて金を貯め、少しでも多くの快楽を得た方が良い、と無意識に死を見つめることから逃げている。だいたいみんなそんなところだろう。
私もそうだ。死についてばかり考えていたら気が狂うだろう。私にも仕事はあるし、ゲームはしたいし、テレビもみたい。

でも本当に死を考えることから逃げたままで良いのだろうか。

生きとし生けるものすべて毎日毎時間毎分毎秒死と隣り合わせだ。
死神はいつも私と二人三脚である。
この文章を買いているいま、急に自分の心臓が止まって死ぬかもしれない。
歩道を歩いていたら背後からトラックが車道から突っ込んできて即死かもしれない。
建設途中のビルの下を歩いていたら足場が崩れて自分の頭上から落ちてきて即死かもしれない。
街を歩いていたら無差別テロの犠牲者になるかもしれない。
コロナにかかって死ぬかもしれない。
飛行機が真上から墜落してくるかもしれない。

自分の死のシチュエーションを考えだしたらキリがない。

毎日ニュースを見ていれば人が死んでいる。
それなのにどこか「自分は必ず生き延びる」、「死なない」と無意識に思い込んでいないだろうか。

そして、生きる快楽を求めて死について考えないまま自分にも突然(もしくは運があれば病でだんだんと死へ向かうこともあるだろう)その時がやってきて、死ぬのだ。

事前に何も考えずに急に死を迎えても、事前に死について考えてから死を迎えても、結局は死ぬのだから、どっちだって良いのかもしれない。
前者を選び取って生きている人もいるのかもしれない。その立場を否定はしないし、生きたいように生きるのが人間だ。それはそれで楽しい人生だろう。
でも、私はあえて後者、すなわち事前に死について考えてから死にたい、と思うのだ。

前置きは長くなったが、このような考えから、これから私は死について「積極的に」考えていきたい。

死について考えるときは、どこか受け身なところがある。
肉親の死、ニュースでの他人の死の知らせがトリガーとなって「自分が死んだらどうなるか」「自分もこんな風に死ぬのだろうか」とか取り留めもなく考え始めるのだ。

でも、もうそろそろ自分の中での死についての考えは行き詰っている。
いや、そろそろどころではなく、もっと早い段階で行き詰っていた。
そろそろ、私と同じように死について考えてきた先人から、新たな視点とアイデアを得る必要があるのではないか。そう思うようになっていた。

だから私は先人が死に対峙した足跡を辿って、自分の死についての考え(これからはそれを「死生観」と呼ぼう)に深みを持たせてみたいのだ。

その私の死生観の足跡をここに残すことにする。
(やっとこのnoteを書く意義の説明まで来れた・・!)

タイトルの「哲学をきわめるとは死ぬことを学ぶこと」というのはフランスの哲学者モンテーニュのことばだそうだ。
哲学と聞くと、「ここにある自分が見ているリンゴは他人からも同じように見えるのか」とか、「世界は存在するのか」とか一般人の我々からすれば、「それが分かったから何になる訳?というかわかる訳ないじゃん」と思ってしまうほど、意味不明なものを考えている怪しげな学問というイメージだが、モンテーニュに言わせれば哲学は死ぬことを学ぶことなのだそうだ。そうだとするなら、誰にでも訪れる死を学ぶことができる哲学が我々が一番学ばねばならないことなのではないだろうか。

死について考えることは、決して絶望することと同意ではないと私は信じたい。
死について考えることはすなわち良く生きることだと私は信じたい。
どうせ死ぬのなら楽しく、良く生きたいのだ。

このnoteでは、これから先人たち(哲学者に限らず、身近なことや出来事も含む)の死についてのアイデアで示唆をくれるものについて、考えたことをメモのように残していきたい(まさにnoteと呼ぶにふさわしい!)。
そして、日頃自分が死について思っていることも書き残していけたら。
単なる哲学書の内容の要約noteにはしたくないし、そんなの難しくて出来ない。時には考えに一貫性がなく、迷うこともあるだろうが、そういうもがく姿も人間の味だろう。

これから続く私の死への旅路を一緒に辿ってくれたら、もしくは私の死後にこのnoteを見つけた人が私の旅路を振り返ってくれたら(私はどんな死に方をしたかしら・・?)私自身嬉しいかもしれない。

それでは、今日はこのあたりで。
睡眠不足は寿命が縮むらしいから、早死にしたくなかったら早く寝よう。


追記:今のところは私は特に大きな病に侵されているわけでは無い(精密検査を受けたわけでは無いので確証はないが)し、非常にメンタルが危うくて、自死を望んでいる訳ではありません。自死自体については肯定も否定もしませんが。
気が狂った訳でもありませんので、ご心配なく。むしろポジティブな試みだと我ながら思っておりますので、ご安心ください。

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