見出し画像

風姿花伝(ふうしかでん) 能楽というエンターテインメントの基礎を作り上げた男の言葉

室町時代の能役者・世阿弥(ぜあみ)の執筆した
「風姿花伝(ふうしかでん)」は
能をいかに興行的に成功させるかという工夫の数々を、
実演者としての立場から説いた書である。
この記事では本文を現代語訳したものを
さらにさくっと読めてしまう文にしたものです。
何かを切り開いた偉人の言葉は現代に読み返すことで
迷いやすい様々な道から選択できるようになる手助けになります。
ご興味のある方は本当の現代語訳参考リンクを一番下に
貼り付けてありますので読んでみてください。


<第一 年来稽古条々(ねんらいけいこでうでう)”二十四、二十五歳編”>

この頃は一生の芸を確定する最初の時期である。
だから稽古を本格的にしていく境目だ。
声変わりも落ち着き、体の成長も止まり、成人としての体格が定まる頃だ。
そのために、見物人も「上手な役者が現れたぞ」といって注目をする。
名声のある役者が相手でも、新人の新鮮さを観客が感じて、
競演の勝負などで若い役者が一度でも勝つと、
周囲も過大に評価して、本人も上手だと思い込んでしまう。
これはどう考えても若者には害悪である。
本当の魅力ではないからである。
この魅力は、血気盛んな年齢と、観客が一時的に感じた新鮮味によるものである。
わかる観客は、わかるだろう。
この時期は、花が一時的にあってもまだまだ素人時代なのに、
もう申楽を極めたように自分で思って、的外れの独善的見解を持ち、
名人気取りの演技をすることは嘆かわしいことだ。
たとえ、他者から褒められたり、名人に勝つことがあっても
これは一時的なものだと理解して、ますます能をしっかりやって、
名声を獲得している役者に事細かく聞いて、稽古に精進するのが良い。
人はみな、この一時的な魅力に自分を見失って、すぐに魅力が失せてしまうのに気がつかない。
初心というのはこの頃のことをいうのである。

よく工夫をして考えなさい。
自分の芸の程度をきちんと認識しなさい。
そうすれば、その認識の程度の魅力は一生消えることはない。
自分の魅力以上に上手いと自惚れると、もともと持っている芸の魅力も失せてしまうのである。
この点にくれぐれも注意しなければならない。


次回は「第一 年来稽古条々(ねんらいけいこでうでう)”三十四、三十五歳編”」です。
武蔵の「五輪書」とは違う考え方も多くもっていて、
人それぞれで正しい道など昔からないんだなと、改めて思います。
英語でも「Flowering Spirit」「Kadensho」などの題名で出版されているそうです。
世阿弥がこの書を書いた経緯や、この書が出版されるまでの経緯も面白いので
また別記事にしてアップしたいと思います。
ではでは。


参考
https://roudokus.com/Fushikaden/01.html

無題 - 2021年1月13日 19.55


この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?