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the Jazz Butcher 追悼 語りつくす会



はじめに

2023年6月11日(日)に高円寺にあった『ディスク・ブルーベリー』で開かれた『the Jazz Butcher 追悼 Zombie Love 語りつくす会』。主催の小出亜佐子、『Face Records』の薄田育宏さん、選曲文筆家の吉本宏さんの3人が、2021年10月5日に旅立ったザ・ジャズ・ブッチャーのフロントマン、パット・フィッシュことパトリック・ハントロッズを追悼するトークを行いました。
会場には当時ジャズ・ブッチャーを聴いていたファンや3人の友人たちなど懐かしい顔もたくさん集まりました。

(当日のトークをばるぼらさんが録音してくださり、自分が文字起こししたものを吉本宏くんが監修してくれました。ありがとうございました。
ぶっちについてだけ語る機会など早々ないですし自分たちはとても楽しかったので、ここに記録を残しますが、読む方はどうなのでしょうか。興味のあるところだけ、かいつまんででも読んでいただけたら嬉しいです)

まずは自己紹介から

小出 今回のイベントを企画した小出亜佐子と申します。

吉本 お久しぶりの方と初めましての方といらっしゃいますけど、吉本宏と申します。今はフリーランスで音楽の選曲をしておりまして、bar buenos airesやresonance musicという、小さなレーベルもやっていて、hatuka nakamuraのレコードや CDなども共同制作しています。

小出さんとか薄田くんと一番初めに会った日のことはとてもよく覚えていて、1988年の7月31日京都の「あのらっくパーティ」。
大阪にあった『ジャンゴ』の松田(太郎)さんに勧められて、なにわのペイル・ファウンテンズと言われたデボネアを見に行って、前座がロリポップ・ソニック。もうめちゃくちゃ衝撃を受けて。学生の頃に横浜でネオアコを聞いていても、なかなか音楽の話が合う友達がいなくて。けれど、小出さんのことは一方的に知っていて、87年には原宿でのイベント「the king of dance craze」(※注1) にも行っていた。あのときは小山田(圭吾)くんも来ていたな。

※注1:the king of dance craze
拙著「ミニコミ『英国音楽』とあのころの話」157頁参照ください。1987年12月12日、じぶんたちがかけたい踊りたい曲ばかりかかるイベントがしたい一心で英国音楽愛好会の有志ででっち上げたイベント。第2弾が1990年4月29日「Return of the king of dance craze」。こちらは拙著262頁参照くだされ。


その「あのらっくパーティ」の時に小出さんが「よかったら打ち上げに」って誘ってくれて、京都の裸足であがる喫茶店に誘ってくれて。そこで薄田くんにも会ったし、(ペニー・アーケードの)佐鳥(葉子)さんとか石田(真人)くんとか、小山田くん、小沢(健二)くん……とにかくそこで皆さん出会って、音楽の青春時代が始まった。初めてそこでみんなとジャズ・ブッチャーの話をして、「日本にもいるんだ、ファンが!」みたいな感じでしたね。ほんとうに周りにはまったくいなかった。ちょうど大学を卒業して大阪で就職していた時でした。

僕はこの界隈の中でも一番ジャズ・ブッチャーが好きだったと思うので、パット・フィッシュ亡くなった日の朝、薄田くんの投稿で知って。普段あんまりそういうことでは動じない方なんだけど、すぐ薄田くんにメッセージをして。飯田橋の僕がよく行くバーで、3人で集まって追悼で特別にジャズ・ブッチャーのレコードを聴かせてもらったんです。そんな流れから、小出さんが今回こういう企画をして声をかけくれて。今日はパット・フィッシュの追悼をみんなでできたらいいなと思っていますのでよろしくお願いします。

薄田 本日はありがとうございます。薄田といいます。ずっと中古レコード店輸入レコード店で87年くらいから働いている中で、小出さんとか橋本徹さん、小山田くん小沢くんいろんな方と知り合って、大阪にいたんですけど東京の音楽を聞く仲間に混ぜてもらって今日に至るって感じです。自分で『Maximum Joy』というレコード屋をやったり、『ディスクユニオン』で働いたり、今は『Face Records』という会社にいるんですけど、そんな形で30数年。こういう業界でやっていて、こういう楽しい友達と長い付き合いができて、今回お話できるのを楽しみにしていますので、よろしくお願いします。

イベントのいきさつ

小出 (パット・フィッシュが)亡くなったときはまだそんなに頻繁に集まったりできないときで、何となく過ぎちゃって、声かけてもらって吉本くんとか薄田くんと三人では話しできたんですけど。
あっこちゃん(ぼうしレーベル)の繋がりで知り合ったニックっていう、イギリス人の友人がいて、突然メッセージが来て、『Earl Sikkorski’sGolden Treasure』というジャズ・ブッチャーの本にあなたの手紙が持っているよ、って言われて。86年に自分がぶっちに出した手紙がその本に載っていた(※注2)。そもそもこの本は、1人のジャズ・ブッチャー・ファンの、Philip Snowって人がかなり、かなり、かな~り強火のファンで、生前パット・フィッシュと話を聞いて、全作品についての解説を書いた本があったんです。それを友人の笠原さんに借りたんですけどもですね。もう字細かいし読み切れないけど、貴重な写真とかも入っているから見るだけでも面白い。それを出した人が、今度はパットと話をするうちに、アール・シコースキーって名前は偽名だと思うんだけど、ガールフレンドかな?という人がファンクラブを任されていて、ジャズ・ブッチャーのレコードジャケットにファンクラブのお問い合わせは Earl Sikkorski宛へ、と住所が載っていた。そこに届いた手紙とかをまとめたファイルが残っていて、それを一冊にまとめたのがこの本です。そこに自分が送った手紙が掲載されて、1986年以来に対面して。これに私、返信用封筒を入れていたので、質問のお答えは持っているんですけど、自分が出した手紙っていうのは、出したらそれきりなので、恥ずかしいものが突然目の前に現れたという。この本は、そうして手紙を書いた人それぞれを追跡して、どうやってジャズ・ブッチャー知ったのかとかずっと聞いているんです。いくつか簡単な質問をアンケート的にして。

※注2 以下note参照

そのニックに、筆者の人が連絡取りたいって書いてあるよって言われたので、Facebookのジャズ・ブッチャー・ファングループから連絡すると、みんなと同じ質問が私にも来て、なんでファンになったんだっっけ?と考えながら答えを書いていると、これはちょっと何か、掘り下げないといけないっていう気持ちになって。ジャズ・ブッチャーが好きな人と集まって、そういう話をしたいなって。じゃあ、ジャズ・ブッチャー好きなお友達に同じようにアンケートを送らせてもらって、それをまとめた本を作ろうと思い立ちまして。今日発売しているのがこの「The Jazz Butcher Zombie Love」(※注3)なのです。
今日会場にも来ている SAM さんとかのおかげでウッデントップスのロロにも書いてもらって。ロロはジャズ・ブッチャーの初期のメンバーで、パットとは幼なじみで、みたいな深い関係がある方なので。それと、あとは『Glass Records』 のデイヴさん。笠原さんが繋がっていたので、質問に答えてもらったりとか。彼も、やっぱりジャズ・ブッチャーの本を書きたいって言っていたので、それもすごく楽しみなんですけど。そういう感じでとても濃いものになりました。
皆さんに書いてもらったのを集めて、だけなので、本当にこれはZineとかいうカッコいいものではなくて文集。追悼文集みたいな感じかなって思っています。

※注3 以下note参照

 

吉本 こうやって仲間が集まるのは久しぶりだね、本当に今日改めてパット・フィッシュの追悼をしたいと思います。コイデさんが久しぶりにちょっと動き出した感じで。何というか心が動き出した感じ。こういう感じが多分「英国音楽」の原点だったんだと思うので、そういうことを僕らも久しぶりに思い出しました。パット・フィッシュもジャズ・ブッチャーのメンバーもお酒が好きだったと思うのでみんなで献杯しましょう。パット・フィッシュどうもありがとうございました。(献杯する)
なんかちょっとグっときますね。

薄田 このイベントを、小出さんからやらないかっていうお誘いがあって。『ヴィニール・ジャパン』でマイケル・ヘッドのチケットの販売日に、小出さんと、さっきの本を持っている笠原さんがチケット取った後にお茶して、今日のイベントの趣旨とZineの内容をちょっと固めようかって話をしたんですよね。そこでも結構盛り上がってこんな本あるんだ!って。曲ごとにすごくボリュームのある文章が載っていて、そこでね、なんかZineを作ろうっていう気持ちが結構高まった。そんな日がありました。

the Jazz Butcherとの出会い

小出 皆さんに「この1枚」っていうのを聞いたので、それに沿って、曲をかけて、好き勝手なことを話そうかと。

薄田 でもその前に、そもそも小出さんがジャズ・ブッチャーを当時「英国音楽」で紹介したじゃないですか。哀愁スターのヴィック・ゴダードとか、あの流れもちょっと聞いておきたいというか、なんであのタイミングでジャズ・ブッチャーを取り上げたのか。多分それで知った人もたくさんいるし、僕なんかも全部レコードを買わないと、って思って、あれを見て結構持ってなかったレコードを買った記憶がある。

小出 ありがとうございます。あの(英国音楽の「哀愁のポップスタア」連載)内容は、私の本(96頁参照)に、ちっちゃく載せたんですけど、すでにアルバム『Distressed Gentlefolk』とか出た87年でしたか。一番好きだったのはミニLPの『Sex And Travel』のときだったので、手紙を書いた当時ぐらいが一番盛り上がってちょっと一旦落ち着いた感じではあったんですが、自分の中で根本を成す人たちは紹介しておきたい気持ちがあって。

吉本 小出さんがジャズ・ブッチャーを好きだった一番の理由はなんだったんでしょう?

小出 何なんでしょうね。あのつかみどころのなさみたいなところがまずあって、簡単にはわからないっていうのが、何度も聴く理由にもなっていて。だからジャズ・ブッチャーはネオアコかっていうと違う。やっぱり『Distressed Gentlefolk』と、ギタリストのマックス・アイダーのソロ(『The Best Kisser in the World』)っていうのは、ネオアコなんだけど、それ以外はなんかね、違う。

吉本 音楽雑誌の「フールズメイト」などでも、サイコビリーぽい流れで評価されていたり。

小出 サイコビリーのオムニバス『Blood on the Cats』にもジャズ・ブッチャーが入っていたりとか、でもそういう流行が当時あって。当時イギリスのインディーズのチャートに絶対サイコビリーのバンドとかが入っていたり、多分ジャズ・ブッチャーとかジューン・ブライズが出てきた84年ぐらいに、ロンドンでライブを見たら、クラブ・フットっていうライブのシリーズがあったり、そういったとにかく上半身裸で頭がとんがっている人が集まっているクラブに、一緒に出てないにしても同じ時代にやっていて、サイコビリーの勢力すごかったと思うんですよね。やっぱり日本でもそういう音楽が好きな人って、輸入盤とかのレコードを買ってた人の中には、絶対根強くあって、そういう流行を取り入れたっていうか、影響もあったのかなってと思う(※注4)。

※注4 『blood on the cats』2022年2CDの再発「EVEN BLOODIER EDITION」にはthe Jazz Butcherは収録されていなかった!権利の関係なのか何なのか。この再編集では更に広くいろんな音源が網羅されているのに。


吉本 初期は、確かにつかみどころないっていうのは本当その通りで、まずファーストアルバム(『In Bath Of Bacon』)、多分これだけを聴いていたらそんなに魅力を感じなかったかもしれませんね。やっぱりこのね、セカンド・アルバム『A Scandal In Bohemia』がね! 確かにいろんな曲が入っているんだけど、これがジャズ・ブッチャーの魅力を集約しているというか、本当にいろんなタイプの曲があるんだけど、なんていうか、誰の真似でもなく、ジャズ・ブッチャーの音楽になっている。

当時、大阪の板野直美さんっていうね、今は徳島に住んでいるジャズ・ブッチャーファンからお手紙をもらったこともあって、今と違ってもう全部手書きなんですよ(実物を見せる)。すべてジャズ・ブッチャーのことが書いてあって、ファンジンのインタビューの記事とか(のちのスープ・ドラゴンズのsushilがやっていた「pure popcorn」)、今日ゆきのさんも来ていますよね。ゆきのさんが、そのジャズ・ブッチャーのインタビューを書き写しているんですが、当時ジャズ・ブッチャーがどんな音楽を聞いていたかというと、ブライアンイーノの『Taking Tiger Mountain』とか、そこには「Mind Like A Playgroup」の曲の元ネタみたいな「Put A Straw Under Baby」があったり、パティ・スミスのファースト『Horses』の「Land: Horses/Land of a Thousand Dances/La Mer (De)」という曲が、実はジョナサン・リッチマンのカバー「Roadrunner」のアレンジの元ネタであったり、「マッシュポテト」とかも曲中でも言っているし。それとあとは薄田くんとも言っていたけど、ニッキ・サドゥンのセカンド『The Bible Belt』の「The Road Of Broken Dreams」なんかは、もうまさにあの『Southern Mark Smith (Big Return)』と同じアレンジで。それはフリッパーズ・ギターがね、自分たちが好きな曲を自然に取り入れて音楽をつくっていたじゃない。それがジャズ・ブッチャーにもすごくあって、自分たちが好きだった音楽を、「こういうのやろうぜ」って言ってそれが自然にいい音楽になっていく。彼らはヴェルヴェット・アンダーグラウンドやルー・リードが好きで影響も受けていて。そんなところが後から振り返るとやっぱり魅力で、そこがフリッパーズ・ギターにも近いなっていう気がしていて。いろんな自分たちが好きな音楽を自分なりに解釈して唯一無二のっていう感じがすごくある。


ぶっちならこの1枚!Sex and Travel

吉本(アンケートのランキングで)結局一番だったのが『Sex and Travel』だったんですよ。僅差ですが。やっぱりね、1曲目の「Big Saturday」。この曲がね、結構根強い人気があるってのいうがよくわかりましたね。
「Southern Mark Smith (Big Return)」、「Big Saturday」、「Nothing Special」が“御三家”。

薄田 (イントロ聴いて)ちょっと(ペイル・ファウンテンズの)ジーンズノットハプニングにつながるね。

吉本 (CDを持って)この曲が入っているジャズ・ブッチャーのCDは僕が1987年に初めてロンドンに行ったときに、人生で初めて買った CD で、まだCDプレイヤーも持ってなかったけども、 HMV に行ったらちょうどこの『A Scandal In Bohemia』に「The Human Jungle」と『Sex and Travel』がカップリングされていたものを見つけて。1987年に11.99ポンド(当時のレートで約2,800円)は当時としてはまあまあな値段だよね。

文集にも書いたんですけど、1987年と88年の2回、ジャズ・ブッチャーのライブを見ようと思ってロンドン行ったけど見られなかった。今の時代なら調べてコンサート情報もわかるだろうけど。それで、初めて来日した時2000年の大阪の『ミューズホール』で観てほんとうに感激した。結構きさくにサインをしてくれたし、すごくいい人たちだった。ジャズ・ブッチャーを実際にご覧になったことある方はどのくらいいらっしゃいます?結構いらっしゃいますね。マックスとブッチの関係だったり、目配せしたりとか、やっぱり仲がいいんだなって感じだった。マックスのギター・ソロもたっぷり聴けて。

薄田 『Sex and Travel』は、ジャケットもちょっとウォーホールぽくて。もうそのまたポップな感じのおそらくこの辺からテレビジョン・パーソナリティとかあっちのチームとちょっと縁ができてくるようなタイミングだったのかなと。

当時コピーしてサインペンで色付けして手帳に貼ってた

吉本 文集にも書いてあったけど、『Sex and Travel』は全部このアルバムのために作った新曲で、シングル・リリース曲は1曲もないんだよね。

小出 それまでのアルバムは昔からの古い曲とかを寄せ集めできたけど、このときにはもう1から作ったから、本人も納得がいっているって。「The Human Jungle」っていうシングルが同時期に出ていて、一緒に入れてアルバムにしたらいいんじゃないって思うけど、最近出たコンピレーションの解説によると、それは(バンドの)ザ・クラッシュの影響で、シングル曲をアルバムに入れない。(ファンは)シングル買って持っているのにアルバムにまた同じ曲が入っているのかっていうのは駄目だっていうことなんですね。

吉本 やっぱりクラッシュもね、パンクと言われるけども、音楽的に多才じゃないですか、ジャズ・ブッチャーもそうですね、本当にそういうポップさであったり、あとユーモアの感覚だったり。

小出 モノクローム・セットとかに近い感じ?

吉本 モノクローム・セットはもう少しシニカルでクール。伊藤英嗣さんがモノクロームのことを“ヨレヨレのダンディズム”って言っていたんだけど、本当にその通りで。キメてるけど結構ヨレヨレでシニカル。ジャズ・ブッチャーももちろんシニカルだけども、何かもう少しハートウォーミングっていうか。パブでおいしいお酒を飲みながらっていう感じ(笑)。

薄田 この後マックスが抜けちゃうじゃないですか。次のアルバム以降。作風がガラッとやはり変わるというか。その経緯ってご存知だったりしますか?

小出 このころって多作だし、ライブもすごい、年間100本とかやっているので(飽きちゃった?)、ブッチのファンサイト見るとわかるけど。

吉本 この手紙でもらったコピーの記事に少し書いてあったのは『GLASS Records』はお金がまったくなくてすごく不遇だったと。で、 アメリカの『Big Time』からもリリースして、「ダサイ名前だけども、り『GLASS』よりマシ」みたいなことが書いてあって、その後に結局レーベルメイトでもあったニッキ・サドゥンと同じく『CREATION』に行っちゃって。そういうこともあって多分ほら、グループとしても少し隙間風が吹いて、ライブもやり尽くしたしみたいなこともあったのかもしれないね。

薄田 だから『Sex and Travel』からマックスのソロに繋がるような空気が出てきて、ちょっとジャズっぽいギターのソロアルバムになって。ジャズ・ブッチャーが『CREATION』に行く経緯は、グラスのデイヴィッド・ベイカーさんっていうオーナーの人がそのタイミングで『CREATION』に行って、『CREATION』の中で『Augusta』っていうレーベルをやって、少年ナイフとかユージニアスとかを出す。その流れで多分グラスのニッキ・サドゥンとかジャズ・ブッチャーを引っ張っていったとは思うんです。

吉本 ニッキも先に行ってっていうことが当時のインタビューに書かれていて、やっぱり『GLASS』がちょっと力不足だったんでしょうね。

小出 『CREATION』の傘下でやってもらった感じなんですね。当時みんなインディー・レーベルは財政厳しかったんですよね。今『GLASS』のカタログ は『Fire』に売られちゃって、『GLASS』からは出せないって。

Glass Recordsのコンピの話

吉本 『GLASS』のコンピレーションのレコードがありましたよね。エルヴィス(プレスリー)のアルバムタイトルをもじった、『50,000 Glass Fans Can't Be Wrong(5万人のグラスファンは間違っていなかった)』って。これ結構いいよね、ジャズ・ブッチャーもマックスのソロもデイヴィッドJとか、スぺースメン3とか入ってキラキラして見えた。でも内情は火の車だったのか。


the pastelsで始まるんだから

薄田 このコンピが『GLASS』の19番で、(Glass最初のアルバムの)010番が『Pillows & Prayers』みたいなオムニバスの『The Wonderful World Of Glass Volume One』なんですね。これにはマリンガールズとか入っていて。(小出が持参したそのレコードを渡す)そうそうこれです。これがグラスが最初に出したアルバムで、ジャズ・ブッチャーの前のバンドも入っている。ジャズ・ブッチャーの前はトニックスっていう名前で、ウッデン・トップスのロロとか、キーボードのアリスとかと一緒にやっていて。みんなカセットテープの音源を、マイク・オールウェイとか、そういうレーベルのディレクターに渡しまくって引っかかったところでオムニバスに参加させてもらうっていう経緯が、この頃の自分たちのプロモーション手段だったという感じです。


PCで見るとなんかデカい

吉本 1987年に初めてロンドン行ったときに、『GLASS』のオフィスの住所のキルバーン・ハイ・ロードを訪ねていっただけど、既にそこにはなかった。

薄田 『Cherry Red Records』もケンジントンにあったから、あの辺がインディー・レーベルのエリアというか、そういう場所だったんですね。エコー&ザ・バニーメンの 「Never Stop」 のジャケットのケンジントンガーデンとか。あのあたり。

吉本 こんな感じでぼくたちはいつも薄田くんから豆知識を入れています(笑)。

薄田 トニックスっていうのはまだジャズ・ブッチャーとかマックス・アイダーが学生の頃に組んでいたバンドで、そこにオーウェン・ジョーンズとかジャズ・ブッチャーのメンバーに繋がる人たちが参加していて、ウッデントップスのロロとかアリスとかが流動的に出たり入ったりっていう形で、やっていたみたいで。

実はジャズ・ブッチャーもマイク・オールウェイにカセットを渡しているんですけど、最初5本だけコピーして、『GLASS』のデイヴィッド・べーカーさんとマイク・オールウェイにそれぞれプロモーションして、たまたま『GLASS』の方から先にリリースのオファーが返ってきたから、『GLASS』で出していたんですけど、もしかしたらマイク・オールウェイから先に来ていたら『Cherry Red』から出ることになったかもしれなくて。多分その頃ちょうどマイク・オールウェイはソフトボーイズってバンドのツアーマネージャーで、イギリスツアーしている中でトレイシー・ソーンとベンワット見つけて、そっちにもう行っていたんで、ちょっとタイミングが合わなかった。

吉本 ジャズ・ブッチャーが『Cherry Red』から出ているのは想像できないから、結局グラスでよかったのかな(笑)。

薄田 もしかしてそういう時間軸があったら、モノクローム・セットみたいに、『Blanco y Negro』とかでジャズ・ブッチャーが出ていた可能性もあるし、本来だったらその『Sex and Travel』の後のアルバムで、メジャーに行っていれば、もうちょっと道が開けていたっていうか、多分あそこのタイミングでメジャーに行かなかったのがちょっと(運命が)別れるのかなっていう気はしています。

A Scandal In Bohemia

吉本 では人気アルバム・ランキングの第2位といいますか、僅差だったそうなんですが、(ジャケット出しながら)この『A Scandal In Bohemia』からジャズ・ブッチャーに入った方も結構いらっしゃるんじゃないかと思います。僕は御茶ノ水のレンタルレコード屋の『ジャニス』で、これを借りたときに確か裏に、モノクローム・セットが好きな人に~とか、デイヴィッド Jが参加、みたいなことが書いてあったのを見て、借りた記憶があって。僕はもうそこから入りました。


ヌハハハハ…の帯叩きでお馴染み?!

薄田 何がそんなに吉本くんのハートを打ったんでしょうね

吉本 僕は特に「Soul Happy Hour」と「Just Like betty page」が好き。あと「Girlfriend」の歌詞とか自分の親友のガールフレンド(に恋をして?)、自分にもガールフレンドがいて、あなたも誰かのガールフレンドだみたいな歌詞が切ないじゃない。

薄田 これって歌詞の日本語訳もあったんですか?

吉本 ないんですよ。でもなんだかすごく切なかった。とにかく全部好きです。あとは、渋谷のライブハウス『クロコダイル』でね、ロリポップ・ソニックが「Soul Happy Hour」をカバーしたんですよね。小沢くんが完璧にマックスのギター・ソロをコピーして、そのときに小山田くんがこのジャズ・ブッチャーの(豚のイラスト)Tシャツ着て演奏してくれたんですけど、これは当時ぼくが絵を描いたんですよ小山田くんに。Tシャツにこれを描いて。
(手描きで?)
うん。
(へえええ!とどよめく)小山田くんがそれを着てクロコダイルで「Soul Happy Hour」やって、小沢くんがマックスの完コピしてみんなワーッて。
小出さんの「あのころの話」で小山田くんと対談していたでしょ。そこでその話が出てきて、小山田くんが「吉本くんがジャズ・ブッチャーの絵をTシャツに描いてくれて、まだ持っていると思う」って言っていて(拙著145頁参照)。今日のこの会のことを彼に連絡したら、今日はライブでオーストラリアなので皆さんによろしくと、でも Tシャツは持っているはずって言っていました。(おお~どよめき)
(ぶっちTを着ていたemiさんに)そのシャツはどうしたんですか。
(2012年の来日ライブのときの、とお答え)
そうですか。ではここで「Soul Happy Hour」を聴いてみましょう。

これをロリポップが完コピしましたね
(サビはみなでシンガロング)

当時ロンドンでスーパーの『TESCO STORE』に行って、お酒売り場も行きましたし(「Soul Happy Hour」の歌詞に出てくる)、やっぱりあの頃ってネットとか調べる方法がないから歌詞とかを調べて。お酒の“コワントロウ”もこれで知りました。「Down The Drain」の歌詞も、「もし自分がBARで生まれたなら」とか、とにかくパブでずっと暮らしていたいみたいな(笑)。そうすると酒飲みソングの「Drink」とか、やっぱり彼らは酒が好きなんですね(笑)。

小出 リアルな意味でほんとのパブロック(笑)

(ここで最前列の高橋コージさん発言)
「Soul Happy Hour」って歌詞カードついてないでしょ。当時小沢くんと小山田くんに(カバーするのに)歌詞はどうしたのって聞いたら、『Hamburg』(ライブ盤)って。(へええどよめき)

薄田 これジャズ・ブッチャーの手書きなんですよ(『Hamburg』の中ジャケを見せる)

ここで初めて判明した歌詞たち

吉本 僕は当時のイギリス人の友達に、(『A Scandal In Bohemia』)聞き書きしてもらったんですよ(歌詞カードがなかったから)。次は「Girlfriend」を聴きましょうか。

薄田(聴きながら)これをサンプリングしていたらまた時代が変わっていた(笑)

吉本 やっぱりルー・リードにも近いけど、スリー・コードで、本当に単純なコードだけど、その組み合わせでとてもいいメロディーを生み出すのがすごいなと思って。『A Scandal In Bohemia』だけでトークが終わっちゃいそうだよね(笑)。全然進まないってくれて大丈夫ですかみなさん。疲れていませんか?でもこんな機会多分一生ないと思うんですよ。今日は追悼ですからね。

Destressed Gentlefolk

吉本 ここから作風が、ガラッと。

小出 私は落ち着いたと思うんですけど

吉本 もう本当にジャズをね、ジャケットも変わって。これはねどこで買ったのかをすごく覚えていて、『Zest』の前身が銀座にあったんで(『Zest』の前身ともいえる『MAXI』)、そこで。(へえ~~!)
このB面の1曲目を聴きましょう 。

小出 ジャズ・ブッチャーって名前がジョークだったのにほんとにジャズに(笑)。

吉本  エブリシング・バット・ザ・ガールとかスタイル・カウンシルの『Café Bleu』の感じに近い。自分は大学生だったけど大人っぽく聞こえたよ。

薄田 当時のリスナーはどう思ったんだろうね。(間奏のピアノ部分聴きながら)ちょっと知らない人だとリチャード・クレイダーマンみたいだと思ったりして(笑)。どうしたんだジャズ・ブッチャーって(笑) 

小出 ジャムからスタイル・カウンシルになったときに怒った人がいたみたいな(笑)。私これはね、きっと解散しちゃうってちょっと思った。

吉本 ぼくはまったく逆で、すごく自然に変化を受け入れられた。ジャムからスタイル・カウンシルというのと同じくらい自然に。

小出 でもこれマックスのソロじゃん~って思って。

吉本 スタイル・カウンシルの初来日の時に僕はホワイトのパンツにボーダーを着ていったら、多くのファンがベスパやモッズ・スーツで来ていたから、みんなスタイルばっかり真似して、ポール・ウエラーの精神を追っかけてないなあって。

小出 もちろんスタイル・カウンシル、特に初期は大好きなんですけど、このアルバムはこれまでのぶっちとマックスじゃなくなっちゃっている感じ。

吉本 結局ピアノが入ったりして、ちょっとこれまでの2人の掛け合いもなくなったしね。あと、最近「Buffalo Shame」がすごくいい曲に思えてきちゃったりして。薄田くんが前にさ、『Marnie (Muscovite Mix)』のミックスがファンカラティーナの影響を感じると言っていたよね。

薄田 Buffalo Shametoいうのは、元々グラフィックチームの名前だったんですよ。

(一同へえええ)
アルバム「Conspiracy」とかのジャケットクレジットにあって。元々ジャズ・ブッチャーがグラフィックをするときの変名みたいなので使っていた言葉を曲にしたという。テーマソングだね。

アダム&ジアンツとかみたいなジャングルビート。モノクロっぽくもある…モノクローム・セットももともとアダム&ジアンツのメンバーだったし。アートスクールのメンバーで。
曲の間にこういう映画音楽っぽいのがあって、『Hamburg』のライブの中にもあるんだけど、意外とモーマスがカバーした「Nicky」とか、ああいうシャンソンとか聞いて、曲のヴァリエーションを増やしていたんじゃないかなと。

小出 ああいうものって普通に人気のあるものだったの?

薄田 両親が持っていたレコードなのかなあ、毛色の違う曲が混ざってきて、だからプライマル・スクリームとかも言っていたけどやっぱり曲のヴァリエーションがなくて(笑)

小出 ああ古典に帰るという

吉本(『Marnie (Muscovite Mix)』)ラッパの入り方とかやっぱりそうだね。

薄田 当時のファンボーイスリーとか。

小出 ぶっちは(FB3の2ndアルバムの)『Waiting』が好きだって。

吉本 もうつかみどころがないっていう、まさにそうですね。

the gift of music / big questions

吉本(小出の着ていた、このnote冒頭の写真をプリントしたTシャツを見て)これ「Roadrunner」のシングルの裏だったっけ。

薄田 (この頃)バウハウスのデイヴィッド J がベーシストで、ドラムのケビン・ハスキンスっていうのが、デイヴィッド J の弟で。

吉本 やっぱりちょっと「Roadrunner」をかけてみたい。ジョナサン・リッチマンのカバーだけど、アレンジはパティ・スミスの影響だったという。

薄田 中古レコード屋的に言うと、『The Gift Of Music』でこういうステッカー(小出持参のレコードについていたLow Priceのステッカー)がジャケットに貼っているバージョンで買い取りの金額とか変わりますという耳寄り情報(笑)。

小出 これが貼ってあるとちなみに?
薄田 ちょっと上がります(笑)。これ貼っているのは少ない。

みんなついてると思ってました


小出 これ写真が青いバージョンのは?
薄田 あれは、アメリカ盤。
(ここから「Rain」を聴く)

薄田 1987年ぐらいはジョン・ケイルも『ベガーズ・バンケット』から出していたから、もしかしたら交流とかもファンとしてあったのかも。

吉本 ヴェルヴェッツの影響は、ルー・リードかと思いきやジョン・ケイルだったという。

小出 「Water」の入っていたカセットが付いたファンジンがあって、違う号だったかもしれないけど、デイヴィッド J とぶっちが、イーノとかジョン・ケイルの寄稿していた。

吉本 デイヴィッドJ って、なんでジャズ・ブッチャーに加わったんだろう。

薄田 同じNorthampton出身で、バウハウスでやるよりジャズ・ブッチャーやる方が楽しいって何かで言っていた。

小出  バウハウスが『Bela Lugosi's Dead』でトップ・オブ・ザ・ポップスに出たその足で、ぶっちのレコーディングに参加したとかも書いてあった。

吉本 ジャズ・ブッチャーのステージを見ていて楽しそうだなあ~て思ったのかな。ほらデイヴィッドJのソロの『Crocodile Tears And The Velvet Cosh』を聴くとね、もうほんとうに『Southern Mark Smith (Big Return)』みたいだし。

薄田 なんとなくピーター・マーフィーが好かれてなかった(笑)。よくあるボーカルと他のバンドメンバーとの(亀裂)(笑)
ちょっとウォーターを聞いてみましょう。

小出 頭のいい人たちがバカなことやっているのとか、ぶっちとマックスの仲良さそうなのとかがまた最高です。

吉本 ジャズ・ブッチャーで一番珍しいレコードは、僕も小出さんも薄田くんも持ってない、「Christmas With The Pygmies」 というシングル。どなたか持っている人はいますか?(堤田氏挙手。おお~とどよめく。vinyl japanで買ったそう)それ一番レアかも。

その次に珍しいのが、ケヴィン・エアーズの「May I?」の入っている7インチかな(『Big Questions』に限定で付いていた)。ちょっと「Just Like Betty Page」みたいに弾いているんですよ。それを聞いてみましょう。

小出 1987年リリースだけど、録音は1983年って書いてあるから「Just Like Betty Page」の元ネタかも。

吉本 ジャケットは元々ありません。

吉本 ケヴィン・エアーズのセカンドの一曲目で、カフェで隣に座っている女性に「見つめてもよろしいですか?」みたいな歌詞も含めて気障だね。

薄田 伊達男というか(笑)

小出 これが「Just Like Betty Page」になると思うと、ヒドイ人ですね(笑)

吉本 縛っちゃったり(笑)でもそういう繋がりを感じるよね。

薄田 デビューの頃の録音かな。宅録みたいな感じだよね。こういうのをデモテープに入れて渡していたかもしれないね。

吉本 実はフリー・ソウルでもジャズ・ブッチャーがかかるんですよね。唯一かかるのが「The Human Jungle」

橋本徹 カフェの歌としてね。

吉本 ルー・リード大好きな感じのオマージュ。

吉本 『A Scandal in Bohemia/ Sex and Travel』のCDの中ジャケに当時のメンバーが写っている写真にがあって、デイヴィッドJもいて、ヴェルヴェッツの「UP TIGHT」の本やテレヴィジョンのレコードが見えるんだけど、やはりヴェルヴェッツからの影響は大きいよね。モノクローム・セットも彼らからかなり影響を受けていたし。バチェラーズのEBさんのバンドがヴェルヴェッツの「Stephanie Says」をカバーしていたでしょ。あの曲のコードをストロークすると、モノクローム・セットの曲「 I'll Scry Instead」のイントロと同じになるんだよ。

良いお写真 全部解明してほしい


文集にも書いたんだけど、ぼくは、ジャズ・ブッチャーの『Big Questions』の裏ジャケに写っている同じフェンダーの 「EL RIO」というギターを持っていて、これはEBさんから譲ってもらったもので、今は娘が持っている。ライブでもブッチがこのギターでマックスのギターはギブソンの「SG」。(『Big Questions』から2曲聴く)

目がハートになってしまう



(小出より。個人的には『big question』って全然聴いてなかったことを猛省しています!!この「Olof Palme」なんて青編集盤にもサブスクにもないけどめちゃいい……。アイスのパルムを食べたくなって寺尾聡が脳内にいますが、アイスの方はPARMでした。ちなみにolof palmeとは1986年に暗殺されたスウェーデン首相の名前。)

薄田 オレンジジュースぽくもあるね。

高橋コージ 俺は「Red Pets」を聴きたい(笑)

吉本 ではコージくんのリクエストにお応えして(笑)ロカビリー2曲聴きますか。まずは「I Need Meat」。

(ベース、歌いまわしサイコー の声。コージくんかな)

薄田 当時の日本で、こういう風に一枚のアルバムにいろんなジャンルの曲が入っていると評価されにくいというか。ライブの現場を観てないし。ジャンル分けできないしね

ついでにもう一曲

(口々に)洒落ていますよね。こんな人いなかったよね。

吉本 ベティ・ペイジって誰のことなのかなんて当時知らなかったけど(笑)
今日名古屋から来てくれたこの高橋コージくんは当時「delic」というファンジンをやっていて。

薄田 実は仲くんは「delic」見て「mary palm」始めたって言っていたよね。表向きは「英国音楽」にインスパイアされたって言っているけど(笑) 渋谷系の源流がここにね(笑)。

吉本 今日は「delic」も「mary palm」も一号を持ってきた(会場に回す)。スペシャル・サンクスに「delic」ってある。

薄田 仲くん絶対それは言わないよね(笑)

吉本 なぜコージくんをいま紹介したかというと、彼は「焼き師」と呼ばれていて、いろんな音源を「個人で楽しむために」円盤化していて。彼がライブ音源を焼いてくれているので、それも聴いてみましょう。

小出 友達が1986年くらいにライブ観て録音して来てくれて、私は観られなかったんだけど、それをすごく聴いてたから、クリエイション以降のライブを観ても全然ちがうって思って。(コージくんがデータ化してくれたのをつべに上げました)


小出 そろそろ〆ですが、最後にもう一曲。忘れちゃいけない。

吉本 ニッキ・サドゥンのセカンドに同じ感じのイントロの曲があります。

小出 これはジョンAリヴァース?

薄田 そうです。ジョンAリヴァースのプロデュース。ニッキ・サドゥンがいたスウェルマップスって、マークボランを崇拝していて、グラムになる前のフォークっぽいTレックスをコピーしてベッドルームで兄弟で録音してたりしてる。ニューヨークパンクも好きなんだけど、グラムロックっぽい。

ということであっという間の2時間でございました。『GLASS RECORDS』時代をメインにお話させていただきました。おかげさまで楽しいいい時間を持てました。本当にありがとうございます。何かいろいろお買い物とかしていってください。


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