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あのころ外伝

世の中がどうにも大変な時ですが…ツイッタで思いついたことをすこし書いてみます。あのころ外伝。
はやくこんな前置きなしで楽しい話をできるようになってほしいです…

15の夜に何と出会ったか。

音楽は、何歳のどんな時に出会ったかが、重要だと思ってる。
そして自分は女子供の力を信じてる。
「女子供」ってバカにした言い方をするな!って怒られたことがあるけど、
自分は「女子供」の立場だったから、バカにしてないつもり。むしろ最強くらいに思っている。
しかし今はとうに「女子供」じゃないし、その親どころか祖父母世代になろうとしてるし、
そんなかつての女子供に愛された人たちが、勢いあるまっすぐな時代を超えた後に作る音楽だっていいものだと思っています。
むしろ近年は若い頃愛好したモノを見聞きするには元気が足りない時が多いです。

twitterでなぜか尾崎豊が話題になってたけど、自分は彼と同級生なので…つまりデビューの時同じ高3でうえらー命真っ只中ですから、
デビュー前にファンの友人から音を聞かされて正直(ださい…)と思ったけどおくちチャックしてた。
そもそも自分と一緒の高校で何不自由ないはずなのにああいう歌を歌う意味が分からなかった。
自分はあの高校に入って自由を手に入れたようなものだったからね。今思えば彼も中学時代の心情がテーマだったのかもしれないけど。
そんな自分もほどなくして(一年ちょっとあと?)ブルーハーツをライブハウスで見れて盛り上がった。
尾崎豊というのは同級生であっても、ブルーハーツみたいに路上やライブハウスの「シーン」から出て来たバンドではないので、
そのあたりも(ださい…)というか、まったく別の物だと捉えていた。
世の中的にはブルーハーツも尾崎豊も同じようなものなんだろうけれど。そういう出自が違う。
あとは世代的なもの?何歳の時に出会ったか、で全然思い入れが変わってくるタイプのものなんだろうな。
自分は15のときはサザンだったけども…佐野元春も聴いてたそういえば。でも洋楽に走ってすぐに卒業してしまった(笑)。
なので単純に、尾崎豊にはまったことある人はだいたい私らより下の世代だと思います。


臭いものにはフタをしろ!!

さて、そんな(どんな?)怒れる子供だった頃にとても嫌だったことをツイッターで思い出しました。


子供たちはロックの歴史なんて知らないんです。
いま!自分が!目にして耳にしたことがすべてなのです。
歴史上の偉人や過去の名作と比べられても、はあ?知らんし?ていうかその人いまここに連れて来て演奏見せてよ~て感じです。
そういう問題じゃないんです。

世間のヒット曲とか一切聴いてなかった時代に、森高千里と言う人が「おれはストーンズ観に行ったぜ」とかなんとかおじさんがうるさいよ~
みたいなことを歌っていて、それそれ!!そこだけはめちゃわかる!!!と思ったのをよく覚えています。
そんなことは十代の子供には関係ないんです。
拙著「ミニコミ『英国音楽』とあのころの話」P83に「何の権利があってそんなひどい点数をつけたりするんだろう?」と書いたのはそういうことなんです。

そうしたら、関さんのツイートで小林克也さんと達郎さんの対談聴いちゃって。


あの、弁の立つ山下達郎ですら、当時の評論家は敵だったんだ!
軟弱扱いされて、すぐディベートをふっかけてくるって。
そうなんですよね。論破できないとダメとされる。
いや、だって、ポップミュージックですよ。
もちろん、キャーキャー言うだけじゃない、それ以上のものがあるというのもわかります。
鳴っている音が出来るまでには歴史的な背景もあると思います。
でも、論破できるものだけがエライ、というのも違うと思うのです。
なんというか、マッチョイズムとか、父権主義とか、家父長制的なものを感じてしまって……にがてです…。家長である俺を超えていけ~…みたいな…。。

しかしそういう雑誌も中の人が世代交代して変わっていきました。
わたしも宮子和眞くんに誘っていただいて、「ギター・ポップ・ジャンボリー」に執筆させていただけたときは大変感激いたしました。

何が正解かではなくて、それぞれの世代のそれぞれの聴き方があってよいんだと思います。

ああなんだか生意気なこと書いてしまいました。
繰り返しになりますが、みんなそれぞれの尺度で楽しんだらいいと思うんですよ。でも作る方はいろいろと考えることはあるんだろうと思いますし、それについて考えるのも楽しいと思います。うまく言えなくてすみません。

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