【留学無】英語が話せるようになったか
拝啓
14歳の自分へ
洋楽を聴き始めた君は海外に憧れだす。でも映画とか見ても何言ってるか全くわからなくてめげそうになっている。
結論から言うと将来君は外国で何不自由なく生活できるくらい英語ができるようになる。留学はいけないが世界中に友達ができて、彼らが何を言っているのか理解しそれに対して自分の意見を言えるようになる。
また海外に住みたいというざっくりとした夢も叶う。Youtubeで散々みた海外のパーティに行くことも、カフェで隣の人とたわいない会話もできる。案の定使わなくなって日本語が下手にはなるけどそれも含めて憧れた姿だったと思う。
前置きが長くなったけどここから君がどうやって英語が話せるようになって行くのか時系列で教えるね。
目次
14歳 憧れ
15歳 Facebookを通じて世界中の人と繋がる
16歳 地元上野でボランティアガイドを始める
17歳 タバコミュニケーションで友達を作る
19歳 外国人みたいな遊びをしまくる
21歳 浅草のゲストハウスでバイトを始める
22歳 外国人ばかりの会社に就職
23歳 現在住んでいるジョージアに出会う
25歳 諦めていた夢を思い出す
14歳
Back Street Boysのエモさやフレディマーキュリーの情熱、EMINEMにHIP HOPの扉を開けてもらう。
『英語かっけえ』
君のその馬鹿正直なモチベーションは今も健在でかつかっけえ自分に惚れ惚れする時がくる。
しかし当時は必死に歌詞を訳そうとするが、学校で習う文法とは違うし単語も聞いたことないものばかりだし、とにかく何言ってるのか全く聞き取れない。
『多分できるようにならないやつだ』
と心の中で諦めかける。
15歳 世界中の人と“友達“になる
中2の終わりにパパに連れられて「ソーシャルネットワーク」と言う映画を見る。内容はFacebook がどうやってできるかみたいな話だった。見終わった後、『これがあれば世界中の人と繋がれる!』と思いJohnやDavid、Smithなどなんか聞いたことある外国人の名前の人を探して1000人近くにリクエストを送る。勇気を出してメッセージして何人かとは電話なんかしてみたが緊張で途中で切ったりもした。その中の何人かとは今でも友達だったり海外であったりもする。
そのタイミングで英語専門の塾に通い出す。みんな超エリートばっかりの金持ちの子ばかりで友達ができないが、学習方法自体はアナログかつスパルタで君にあていた。文法をひたすら繰り返して、声に出して、ノートに同じこと書きまくる。英語の基礎ができる。
高校も公立高校には珍しい英語コースがある学校を目指し、結果的に英語に対して諦めずに偏差値を20伸ばして見事入学する。すごい!
16歳 地元上野でボランティアガイドを始める
帰国子女やハーフが沢山いる学校で衝撃を受ける。彼らは話せるのだ。同年代で話せる人にほとんど会ったことがなかった君はワクワクしまくる。
それだけじゃなく彼らはとってもオープンだった。中学での英語の授業で発音良く言ったりしてもいじられたが、ここではそんなこと誰も触れてこない。(いや、実際はいたが君はここならいけると思って気にしてなかった)
留学を諦め、地元でボランティアガイドを始める
英語(美術も)の成績だけとてもいい君は気づいてしまう。このまま勉強しててもペラペラにならない!と
帰国子女の友達とも別に英語で話すことはない。
話さなきゃ!!!
とりあえず思いついたのは留学だった。一番手取り早い方法だがお金もかかるし1年間学校を離れる自信が正直出ない。意外とチキン。
何か策はないかと思い、日本にいながら外国人と話せる方法を考える。地元が東京の上野で沢山いることに気づく。どうやって話しかけよう!
ツアーガイドをしよう!なんでもいいから地元で俺が好きな場所を紹介しよう!
早速英語話せる友達をちゃんと連れて上野公園でキャッチをした。完全無料のガイドします!英語学習のためなので見返りは要りません。と書いた紙を持って。
初回、ほとんど友達が話していたのに死ぬほど緊張した。アメ横の大好きなたこ焼きやプリクラ撮ったり。歴史のことは何もわからなかったけど自分がどんな風に遊んでいるかを一生懸命伝えた。回数を重ねていくうちにテンプレートができて気づいたら質問に答えられない一方的なツアーガイドにはなれた。
17歳
失恋をきっかけにタバコを覚える。これは体には悪いが人と繋がるにはとってもいいツールだ。終電後の上野駅の前には酔い潰れた人に紛れて何していいか迷っている外国人が沢山いる。遠くから彼らを眺める。そして彼がタバコを吸い出したら走って近づいていく。”Can I use your lighter?“と聞いて断る人間はほとんどいない。ましてや日本で英語でそんなこと聞かれたらあっちも仲良くなりたいと思う。誰も話せないから。
そこから会話を広げて、最終的にうちに泊めたりした。レベルアップした自分を感じた。
19歳 外国人になりきる
英語がわかってきた君は世界中の動画を見る。世界の若者をクラブやスケボータトゥーなど日本では嫌がられることをやりまくる。俺もタトゥー以外はやりまくった。結果中身も外国人になった気持ちになった。
ここで大事なことに気づく。言語学習にはまずなりきることが大事だと。発音も彼らみたいに。仕草も考え方も寄せていく。そのさきに新しい自分がいて、話せるようになっている自分がいる。事実発音はとっても褒められる。他のアジア人に比べたら発音がいいことは自負している。同時に突っ込まれるのは俺の発音がイギリスやアメリカが混ざっているという点だ。これも自分的には日本で学んだと言う背景から生まれた自分の訛りとして大事にしている。
21歳 ゲストハウスでバイトを始める
浅草は日本でも一番外国人が集まる場所として有名だ。そこのど真ん中で英語の話せるスタッフとしてバイトを始めた。英語を使った仕事だ。毎日英語を話をしてお金をもらっている。その自覚が幸せだった。
22歳 ついに外資系で働く
その後就職を考える歳になる。働くとしたら絶対将来海外移住に繋がる会社が良かった。しかし大学を中退していて、話せると言っても語彙力はないためTOEICは700点ちょい。外資に入れるような身分ではなかった。
考えに考え、日本在住の外国人で知っている中で一番イケてる人に連絡した。そしたら彼が働いている会社でインターン枠があると教えてくれた。そこは外国人ばかりでクライアントも外国人、社内の会議も英語だった。しかも本社はアメリカにあると。半年間、週5で8時間以上しかも無給のインターンだったが普通のクソどうでもいい会社に入るより絶対意味があると思った。結果よかった。とってもよかった。日本にあるから日本っぽさはあったけど外国人の感覚で働けた。気楽に誰にも『お世話になっております』なんてふざけたことをメールで書く必要はなかった。
23歳 移住先ジョージアに出会う
コロナ前最後の年末年始。安くて楽しそうな国にいく計画を立てた。行き先として決まったのはジョージアだった。調べたら旧ソからの独立してまもなく経済的もまだまだだが、世界中のいいところを真似してい新しい国になろうとしているとわかった。またビザなしで1年入れることやナイトライフカルチャーが独自に発展していると聞いて興味をそそられた。
実際に行って驚いたのは、英語がめっちゃ通じると言うことだ。30歳以下のやつらは半分くらい話せて、その3分の1くらいがペラペラだった。周りにはトルコやロシア、中東など英語が話せる国はほとんどないにも関わらず、なぜかめっちゃ話せるのだ。
英語がわかることによって世界中の情報や文化を知っていた。また若い彼らは根拠のない自信で溢れていた。小国であり新しいと言う背景もあり社会が変わる成功体験があるのだ。
どこで、誰といるか。どんな生活がしたいか。『世界を変えてやる』くらいの思いでいるやつと20代は過ごしたかった。
25歳 諦めていた夢を思い出す
1年半の長すぎるコロナ期間を経てついに海外移住を果たすのだ。そこで目指していた人間像の人と奇跡的に出会う。表現者(アーティスト)になりたいと。絵を描いて、ラップをして好きなことをして人に元気を与えて生きていく。
小学校の卒業式、漫画家になりたいと言ったがあの時に既に無理だと思っていた。正直今も半ば無理かもしれないと思っている自分もいるが、無理だと思っていた英語も10年近くかかったができるようになった。
26歳の俺へ。
10年後君は絶対アーティストとして世界のどこからも呼ばれるようになっている
だろう。
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