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8-2.感情を撮る

『動画で考える』8.見えないものを撮る

あなたの感情が高ぶったときの具体的な状況について思い起こしてみよう。

いままでにあなたの感情が大きく高ぶった時のことを思い出してみよう。その時どんな気持ちだったか、というあなたの感情について思い起こすのではなく、その時の客観的・具体的な状況を思い出してみよう。誰と一緒にいたのか、どんな話をしていたのか、何をしていたのか、どこにいたのか、そこには何があったのか、何が見えていたのか、何が聞こえていたのか。

それらのことの、何が自分の感情の高ぶりと関係していたのか、具体的に検証してみよう。直接関係していそうな、目の前にいた人の言葉や行為以外にも、直接関係していないかも知れない、強く印象に残っている周辺のあれこれを思い出してみよう。その時のことを思い出すと、フラッシュバックの様に必ず思い浮かぶ風景、音楽、その時着ていた洋服や持っていたバッグ、その時誰かと一緒に飲んだ飲み物、食べたものの味や、触ったものの手触り、色、匂い。

あなたの感情を言葉を使わず動画で記録して他人に伝えてみよう。

あなたにとっては、そういった体験や感情は、必ずしも言葉でうまく表現出来るものではないし、その気持ちを誰かに伝えようとするとき、言葉でうまく伝わるかどうかもわからない。もしかしたら、言葉にしたくないけど、聞いて欲しい、ということだってあるかも知れない。その時に、あなたが見たもの触れたものといった客観的で具体的なものを動画で撮影し誰かに見せることで、あなたの感情を伝える事は出来るだろうか?

あなたがカタログの写真で見かけて、気に入って購入した食器のセットが一式あるとする。新しい食器を自宅のテーブルの上に並べて動画で撮影してみよう。その動画に記録された食器は、カタログで見た写真とは随分違った印象を与えるだろう。部屋が暗いせいかカタログのように色は鮮やかではなく、雑然とした部屋の印象もあってか、動画には思ったほど期待したようなしゃれた雰囲気は表現されていない。

あなたは同居人とその食器で毎日食事をするかもしれない。毎日忙しくて、料理も買い置きしてある食材を適当に煮たり焼いたりして雑に食器に盛り付けて食べるだけ。食べ終わったあとも、食器はそのまま洗い場に置きっぱなしにしている。時間の経過と共に、食器には簡単に洗っただけでは落ちない汚れが残ったり、細かなキズが着いたりして、新品の頃から比べると少しずつ古びた印象に変わっていくだろう。そのような様子を動画で日々撮影し続ける。あなたと同居人の生活ではなく、撮影の対象はあくまで「食器」だ。

そこに「ない」ものが伝えることを意識して動画を撮影してみよう。

やがてあなたと同居人は別々に暮らすようになって、しかし、あなたの目の前にはその「食器」が残されて、相変わらずあなたはその食器を撮り続けている。そうして撮り貯めた「食器」の動画は、カタログやテレビCMで紹介されているイメージとは、まったく異なる印象を持っているだろう。それはあなたにしか撮れないイメージだ。あなたはその動画を見返すと、いまは一緒にいない同居人や一緒に暮らしていた頃の生活を生々しく思い出し、あなたの感情は大きく揺さぶられるだろう。

動画に記録された「もの」の変化は、なぜ「感情」に働きかけるのだろう?その変化は、それを使用する人物の生活を反映している。大切に扱えば、つややかな新品同然の状態が保たれるし、乱雑に扱えば、汚れたり傷が付いたり、破損して廃棄されてしまうこともあるだろう。それは生活の「反映」であり「痕跡」であり、日々の生活と共に流れた時間の経過の記録でもある。動画を見る者は「もの」の変化を通して、かつてそこにあった、人の営みを見ているのだ。それがあなたの「感情」に働きかける。

動画は、感情そのものを記録できるわけではない。しかし、目に見える形のあるものの変化を正確に記録することが出来る。あなたの目の前の人物の、表情や仕草や手振り身振りは、語られた言葉より正直にその人物の感情を表現する。

あなたの記憶に強く残っている相手の「表情」を思い浮かべてみよう。その「表情」は、あなたを深く傷付けるものだったかも知れない。あるいは「表情」は、それだけでは曖昧でわかりにくいものであることの方が多いだろう。相手はあえて言葉を発せずに、「表情」だけをわずかに変化させることで自分の感情を伝えようとする。あなたはその感情を、相手が意図したとおりには理解できないが、だからこそ、その「表情」の変化について思い悩むことで、感情は揺さぶられる。

あるいはあなたの感情を動かしたのは、「表情」のない態度だったのかも知れない。わかりやすく作られた表情よりも、気の抜けた無表情、意思を感じない視線のほうが多くを語っている場合もある。お互いに顔を背けて、沈黙の時間が長く続いた、という記憶。あるいはその時、そもそもその相手に会えなかったという記憶。そこで期待した人との出会いが「なかった」とい欠落感。

「欠落」さえも動画には記録することが出来る。つい先ほどまで誰かが寝ていたベッド、誰も座っていな椅子、持ち主がいなくなって表面が曇ってしまったグラス、ハンガーに掛けられたままの上着。「欠落」はそこにあるものよりも、より強く感情に働きかけてくる。想像力は、「そこにあるもの」に対してはそれ以上先へ行こうとはしないが、「そこにないもの」に対しては、その実体を求めてあらゆる可能性を思い描こうとする。

動画は、目に見える形のあるものの世界しか記録することは出来ない。しかし、私たちの感情世界は、その形のあるものの世界を手がかりに組み立てられていることを理解すれば、動画撮影の観点は大きく変わってくるはずだ。そうすることで、感情のような目に見えないものも動画に記録することが出来るのだ。

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