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動画で考える

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「動画で考える」とは、動画を撮影することを通して目の前の日常空間を観察し、それを手掛かりにものごとを考え、表現する、その手法のことです。
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1-1.「動画で考える」について

「動画で考える」とは、動画を撮影することを通して目の前の日常空間を観察し、それを手掛かりにものごとを考え、表現する、その手法のことです。 『動画で考える』を読む これまであなたが見てきた動画の常識を忘れよう。動画はほんとうは、控えめで小さな声でささやく人たちのための道具だ。 人気のユーチューバーたちは、そのフォロワーを飽きさせないように、しゃべり続け、何かに挑戦したり、主張したり、歌ったり踊ったりする。とにかく目立ったもんの勝ち、といったスタイルが常識になっている。でも

2-1.ところでビデオカメラはどこにある?

『動画で考える』2.とりあえず動画を撮り始めよう ビデオカメラがどこに置かれているのかを意識してみよう。あなたはビデオカメラを手に取って録画ボタンを押す。 そのままテーブルの上にビデオカメラを置くか、三脚を持っていれば、そこに固定する。もしかしたら友人の誰かがビデオカメラを持ってあなたを撮影しているかもしれない。録画状態のビュー・ファインダーには、あなたが写っているかもしれないし、適当にテーブルの上にビデオカメラが置かれているのなら、あなたはフレームを外れて写っていないか

2-2.動画はどこにもない

『動画で考える』2.とりあえず動画を撮り始めよう 一度も再生されずに保存されている動画データについて考えてみよう。「動画」はどこにあるのだろう? スマホやパソコンの中にある?そこにあるのはデータであって、動くイメージのような実体がそこにあるわけではない。押入の中から両親の若い頃のアルバムが出てきて、何枚もの写真が貼り付けられていて、変色したり折れ曲がったり、何枚かは剥がれてどこかにいってしまって、その跡だけが残っている。そんな風に、気が向いたら見返したり、触れたり出来るよ

2-3.撮影した動画を遅れて見返すこと

『動画で考える』2.とりあえず動画を撮り始めよう 「記録して残す」という動画の機能に注目しよう。 人生のほとんどの出来事は、時間の流れとともに消えていく運命にある。日常生活で目が覚めている間、見たり聞いたりしたことのほとんどが記憶の彼方に消えていく。日記に書き留めるか、日常のあれこれを写真で撮影する習慣がなければ、過去の出来事は何もかたちに残らない。そもそも、そのような「過去」は本当にあったんだろうか? 何人かで共有されている出来事であれば、お互いの記憶をつなぎ合わせて、

3-1.何もない場所にあるもの

『動画で考える』3.何もない、をうつす 「何もない場所」を1時間以上撮影して、同じ時間をかけて視聴してみよう。 「何もない場所」を撮影してみよう。 「何もない場所」を撮影することで、動画がとても多様で豊かな情報に満たされていることを発見しよう。 無造作に置かれたビデオカメラが撮影した動画はとても興味深い。たまたま切り取られた画面には、何も写っていない。きちっと構図を考えてカメラを設置していないので、画面は傾いているし、部屋の壁や片隅が中途半端に映っているだけだ。ほかには

3-2.動かない人物を撮る

『動画で考える』3.何もない、をうつす 動画と静止画のさかいめ撮影機材がデジタル化されたことで、動画の撮影も静止画の撮影も1台のカメラで済むようになり、単なる機材のオペレーションの範囲であれば、それぞれに必要とされる専門性の境界は、限りなくあいまいになりつつある。だから、プロフェッショナルな撮影現場でも、発注者の要望次第で、動画も静止画も一人のカメラマンが同一のカメラで撮影するケースも増えつつある。 ある被写体を動画で撮影するのか静止画で撮影するのか、それが商業的な撮影で

3-3.“もの”を撮る

『動画で考える』3.何もない、をうつす 身の回りの日常雑貨を改めて意識して観察してみよう。あなたの日常生活と共にある、身の回りの“もの”たち。 コーヒーカップや様々な食品、化粧品やアクセサリーや衣類、本や雑誌、自然とたまったチラシやパンフレット。そのような細々とした雑多な“もの”を、普段は特に意識もせず気にも止めない。たいがいはテーブルの上や部屋の隅に無造作に置かれているだけだ。 中には毎日必ず手にして使用する“もの”もある。ヘアブラシやカップのような“もの”、お気に入

4-1.”自撮り”では撮れない自分を撮る

『動画で考える』4.自分を撮る ビデオカメラを三脚に固定して、自分自身を撮影してみよう。 もしあなたが三脚を持っているなら、そこにビデオカメラを固定し録画ボタンを押し、その前に立ってみよう。その時にあなたはどんな「自分」になろうとするだろうか。普段通りの自分というより、「カメラの前の自分」とでもいうものを、いつも見ているテレビやYouTubeの番組を参考にして、作るのだろうか。 誰に頼まれたのでもなく、あなたがある日思い立って自分自身を撮影しようとする時、誰かがセリフを用

4-2.自分はどこまでも着いてくる

『動画で考える』4.自分を撮る あなた自身が動画にどのように反映されるのかを観察してみよう。動画を撮影することは、「自意識」を撮影することであると言って良いほどに、動画には撮影者自身が濃厚に現れてしまう。 あなたは、みずからカメラの前に立とうとまでは思わなくても、動画を撮影をしながらそこに映っているものについて語ったり、レンズの向こう側の人物に語りかけるということはあるだろう。その場合、あなたは動画に映り込んでいないが、画面の外側からあなたの声は聞こえてくるので、後からそ

4-3.どこからどこまでが自分なの?

『動画で考える』4.自分を撮る どのような自分を他人に見て欲しいかを考えて撮影してみよう。「自分を撮影する」とはどういうことだろう。自分を撮影した動画を他人に見せて、自分を知ってもらう、理解してもらうには、何を、どんな風に撮影したら良いのだろう? ストレートに、自分の「見た目」を撮影するという方法もあるだろう。そうすれば、顔つきや髪型、立ち居振る舞いを動画で記録することが出来るし、それをそのまま他人に見てもらうことも出来るだろう。特に自分の顔つき・表情には誰もがこだわりが

4-4.黙っていることにも意味はある

『動画で考える』4.自分を撮る テレビ番組を、まったく発言しない人物にだけ意識を集中して視聴してみよう。語って語って喋りまくって、主張することだけに意味があるわけではない。黙っていることにだって意味はある。その場の話題について、自分の語るべき事をすべて語り尽くそうという人もいれば、態度で表明しようとうわけではないが、話題に入り込もうとせずに、何も語らない人もいるかも知れない。 テレビのバラエティ番組のを見るときに、普通だったら司会者やゲストや、とにかく一番うるさくて動きの

5-1.あいだにあるもの

『動画で考える』5.自分と世界の境目 「もの」と「もの」、「ひと」と「ひと」、「建物」と「建物」の「あいだ」。形のある目に見えるものではなく、その「あいだ」の、何も無い空間を撮影してみよう。「あいだ」とは中間地帯であり、二つの実体のどちらにも属さない場所、それぞれに固有のルールがあるとすれば、そのいずれにも縛られない場所だ。 「もの」と「もの」の「あいだ」を撮影してみる。飲み物の入ったビンが2本机の上に、少し距離を空けて並べられている。2本のビンの「あいだ」は、2本のビン

5-2.フレームの中の世界

『動画で考える』5.自分と世界の境目 世界を「フレーム」で切り取ることを意識して、動画を撮影してみよう。あなたの周りには無限に広がる世界がある。空間は果てしなく広がっているし、時間は無限に流れ続けているはずだ。あなたが知ることができること、見ることが出来ること、感じることができることはそのほんの一部で、それ以外のことは、あなたにとっては「ない」も同然だ。 動画を撮影するということは、世界のほんの一部をフレームで切り取るということだ。このフレームで切り取った中の世界について

5-3.フレームを越える旅

『動画で考える』5.自分と世界の境目 視線を移動することで、異なる「フレーム」の間を移動しよう。 動画の撮影を通して「フレーム」を意識し始めると、身の回りにあるさまざまな種類の「フレーム」が気になり始める。動画の撮影と同じように、特定の空間・時間を切り取って、別の空間・時間に移植すること、そのような仕組みはすべて「フレーム」によって日常生活に配置されている。 あなたの部屋を見渡しただけで、そこにはたくさんの「フレーム」がある。テレビ・モニターの「フレーム」、パソコンやスマ