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インディーズTシャツブームの勃興と終焉について(2)LESS北山友之

活動初期の1999年~2002年いわゆるインディーズTシャツブランドとの接点は僕には全くなかった。ただどんどん出てくるWEBサイトは逐一チェックしていた。このころの真夜中僕はずっとパソコンを見て、この乱造されつつあるシーンを眺めていて。そこで大いに刺激をもらい、自分たちの活動を確固たるものにしなければという意識がどんどん膨らんでいった。

僕がMARS16を始めた1999年、同じ年に立ち上がったハードコアチョコレート(コアチョコ)は映画カルチャーをある意味文学であるかのように真っ向から、いやあらゆる角度からTシャツキャンバスに貼り付けたブランドだった。版権をきちんととっていてはなかなか実現ができないブートレグのホラーオールスターズTシャツ、ハードコア奴のようなパンクスなモデルや溢れんばかりのリリースサイクル。サイトを見た瞬間「これは敵だ!俺たちの!」とパソコンの前で声を上げ、仮想敵のようににらみつけた当時の狂った僕。なんであんな感覚になったのか?約20年の時を経、ジャンルレスに活動する彼らの姿を見て、ある種あの時の嗅覚は間違っていなかった気もする。さらに90年代からの生き残り組ハンバーグ009、ちくわぶといった古参らから始まった「オモロ系」は彼らも含め進化を遂げ、悪意1000%、レッドバズーカという新興勢力は出来上がったときから既に大物感を醸し出していた。プラスティックルージュという浅草橋ヤング洋品店から出てきたゴスブランドはいつの間にか三国志専門ブランド赤兎馬になっていて、登場から群雄割拠を勝ち抜くデザインに仕上がっていた。ここに書いた彼らはすでに実店舗に並んでいてインディとは違う流れの中にいる気がした。当時の僕はといえば、ファミリーマートやぴあの通販紙、ソニープラザと流通開拓を必死にやっていた時期である。ただ、東京で年2回ほどやっているデザインフェスタというものに興味があり、ブランドとして堂々とイベント参加してみたい気持ちは持っていた。だが、実際見に行くとあまりに雑多すぎて自分の中ではフリマの発展形なのかな、という気持ちになったのも事実だった(デザインフェスタへの参加は実はここからずっとずっと後の2009年ごろとなる)。

そんな中、東京進出の第一弾として「Tシャツマニアクス」というトークイベントをロフトプラスワンで開催。Tシャツを語る人がいないと当時勝手に感じていた僕は、そんなサイトも作ってみたいなと考えだしており、そしてそれがそのままイベントの発足へとつながった。Tシャツの奥深さ、僕たちが如何にTシャツに人生をささげているのか云々。ゲストも久米繊維工業の久米さん、アニメタルのプロデューサー久武さん、映画秘宝の編集長(当時)大矢さんなど。今やプロモーションの世界で世界的に知られる野本くんがまだ名古屋のFMでDJをやっていて、この話を聞いて、MCをやりたいと名乗り出てくれわざわざ名古屋から交通費も自費・ノーギャラで来てくれたりもした。さらにこのイベントはTOKYO FMで取り上げられ、数多くのお客さんが会場には押し寄せた。そして、僕は大いに調子に乗った(笑)。

そのころウェブサイトで生まれていたのが「東京Tシャツ部」。僕が語りたかった、解説したかったことをこのサイトはもっと的確に、客観的に、そしてエンタメ的に捉えていた。このシーンをインディーズTシャツブランドと名付け、かつてないスケールになっていることをこのサイトはちゃんと知っていた。僕は「まいったな、こりゃ」と自分が考えていた評論サイトの案をあっさり捨てることになる。

このサイトを運営していたクラゲさんから突如連絡があったのが、多分2003年の春。僕のブランドにもどうやら興味をもってくれたようだった。つまりはクラゲさんの認識では僕もインディーズTシャツブランドの一つと考えてくれたということなのだろう。東京にいる、僕と同じTシャツ好きの人間。あってみたいな、と単純に思った。「ちょうど飲み会を企画しておりまして。いろんなインディーズTシャツブランドさんをお呼びして楽しくやろうと思っているんですよ」とクラゲさん。なんだそりゃ、すごいなオイ!「参加します」の文字を打つのにそんなに時間はかからなかった(確かその飲み会の1日2日前にクラゲさんとは新宿の談話室瀧澤でお会いしたような。まあ、何と言うか、楽しかった)。

このころ丁度「Tシャツラブサミット」というイベントが立ち上がる!という情報を僕はネットで見ていた。主催はコアチョコとスカラヴィジョン(オモロ系ブランドの一つ、「できるかいな」というノッポさんが切れて工作をぶち壊すTシャツで当時新風を巻き起こしていた)。デザインフェスタにはなかった「ジャンルの区切り」が完璧なイベント。しかもTシャツオンリーラボブランドの名を冠していた僕らにはピッタリのイベント内容だった。すぐに参加の意思をメールで送ったが「東京のブランドに限るので...」と断られ、ションボリ。僕はまた上記のブランドから離れた場所にいるんだ、ということを感じずにはいられなかった。が、そんなブランドと直接会える!というのは僕のテンションを一気に上げた。と同時に「まだ見ぬ敵だ」という大阪の外様感覚も僕は持ち合わせていた。場所は「中目黒のばん」。老舗の店で決戦に控え、僕はその日飯をたらふく食べてから向かった記憶がある。一体何の覚悟なんだ(笑)。(3)へ続く



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