偶像崇拝と思考停止

いずれこうなるとは思っていましたが、偶像に没入して約一年、私は自己哲学を放棄し、人形遊びにばかりかまけていました。

人形遊びというのは本来自己の投影だったり、箱庭ゲームだったり、なんらかの主体性があるものですが、今の私は完全に主体性を失い、ただ与えられる供給を追うだけの生活をしています。そして、少しでも供給が少ないと、また他のものに移ろっていく循環です。

私の言葉を紡ごうとすると、いわゆる無敵の人のような、失うものも無ければ得るものも無い虚無の中、人々が何かよりよい生活をするためにがんばっているのを傍観するような、それに対して何を思うこともできないような、そんな疎外感にも似たテキストになってしまいます。

これではいけないと思うのですが、とりあえず今の段階でいつ飽きるのかが全くわからないので、少しずつ情報を入れるのを減らしたいと思います。偶像は存在があやふや故、本来は無くても生きていけるはずなので。

その代わりではないですけど、哲学的な書物とかを読み耽りたいですね。ストーリーが無いやつ。やっぱり感動に飢えると感動コンテンツを求めてしまいがちなので、そういうのは自分で書きたいです。

近況報告とまではいかないですが、最近子宮を摘出するか迷っています。普通に病気なので。あと、半年後くらいに引っ越しすると思います。今の生活に飽きたので。お金は無いです。何をするにもお金がかかって辛いですね。生きているだけでも。

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