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失敗して恥じている自分を、認めて許した時に起きる「最高の癒し」

人には誰しも失敗することがあると思います。私も例外なくそうです。

失敗はチャレンジしていればこそ起きるものですが、失敗した自分をむやみに恥じることも多いのではないでしょうか。例えば、良かれと思って皆の前で発言した提案をむげに却下され、それを周囲の人に揶揄され、それで憤慨したり悲しくなったり悔しくなったりして、必要以上に自分を責めるようなことも起きがちです。

私も例外ではなく、失敗した自分を無用に責めるというケースを多々経験してきた人間です。そのような過去の体験に基づく、なんとも言えない恥辱感を長く持ちづけてきました。

しかしある日、私は過去と同じような恥辱感を体験したあとに、気がついたのです。

「おれは過去に何度も、同じような体験を繰り返してきている」
「これは、自分の意識下でトラウマとなっている出来事のリプレイ(再生)だ。過去の傷への癒やしを求めて、癒やしたくて、認めたくて、だから同じ体験を自ら繰り返し呼び寄せている」

そこで私は、すかさず自分自身に語りかけました。

「おれよ、よくやった。あなたは、良かれと思って勇気を持って提案したのだ。諦め、ひねくれ、他者からの非難を恐れて提案しない生き方よりは100倍美しい態度だ。あなたは善意に基づく行動を起こしたのだ」
「もし、それでも他者から理解されないとしても、あなたはベストを尽くしたのだから、それでいい。なので、私はあなたを最大限認め、そして称えます」
「次は必ず、もっとうまくやれる。だから次に向けてより良い準備をしていこう」

と――。

その瞬間、私の内側に心地よい振動がやってきて、胸の中心からなんとも言えない癒やしの感覚がやってきました。心が広がり、そして、もはやネガティブなことを考える余地のない、満たされた気持ちになりました。

自らを許し、認め、そして次の行動に向けた応援ができる存在は、最終的には自分しかいないのだと思っています。

だからこそ、自分自身がそのような自分を認め、勇気づけることができれば、それはどんな親しい友人・恋人・配偶者でも満たしきれない、とても深い部分を満たすことができるのだと思います。

なぜなら、そのような深い部分に触れることができるのは、死ぬまで一緒に付き合い続ける自分自身しかいないからです。

私が学んできた形而上学の世界、「アデプトプログラム」から始まる「自らを知る道」においては、「まずは自らのカップを、自ら満たしなさい。そして余ったものだけを他者と世界に流しなさい」と教えられます。

私はあらためて、その片鱗を掴んだ気がしました。

近年、レジリエンス(逆境に打ち勝ち回復する力)が注目を浴びていますが、自らの傷を直視し、自らケアすることは、まさにこのレジリエンスにつながる行動だと思っています。

私の体験が、他の方々のご参考になりましたら幸いです。

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