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みみさんの家族#2「さようなら、アンコー。」


みみさんの家族が住むアパートメントは築40年。人間でいえば中年にさしかかったといったところ。

見た目はなんだか茶色いし、エレベーターは新橋あたりの雑居ビルにでもありそうな年代物。なんといっても「閉」のボタンがないもんで、扉が閉まるまで毎度の~んびり待たなきゃならない。

おまけにとなりにイケてる低層コンドがあるもんだから、よくいえばレトロさが、正直にいってしまえばオンボロさが悪目立ちしている。

そんなだから、新居探しで内覧に来たとき子供たちに感想を聞いてみたら、悪びれる様子もなく「古いね」ってひとこと。そりゃたしかに古いけども、それってそのまんまじゃん。笑 
私だって古いとは思うけど、だけどなぜだか気に入った。

どこぞやのランドスケープデザイン事務所が手がけました、といった瀟洒な雰囲気とは無縁だ。よかれあしかれ。

だけど内覧のときには子供たちが気づかなかったものがある。

たとえば手入れが行き届いた庭木の素朴さ。丁寧に管理された建物の佇まい。新しいとか瀟洒だとかではない。たんに古いということでもない。なんといえばいいか、時間が静かに降り積もってきた、その静かさ。落ち着き。不動産業者にはその日のうちにこのアパートメントに住みたいとオファーを入れた。

そんなおんぼろアパートメントで出会ったのが、Chinese Singaporeanのアンコー(おじさん)だった。

管理人、兼ガーデナー、兼クリーナーである彼に、引っ越し当日にあいさつをしにいった。
「10年以上ここで働いているけど日本人の家族が越してきたのははじめてだ」とおどろいた様子だった。そりゃそうだ、この国にやってくるフツーの日本人だったらまずえらばないようなおんぼろ加減だものね、と思ったのは内緒だ。

ほんのすこしのやりとりだったけど、小柄ですこし痩せ気味のこの人が、さっぱりとした、でもやさしい人柄の持ち主だってことはすぐにわかった。

毎朝8時、子供たちを学校に送り出して3階のバルコニーでコーヒーを飲んでいるみみさんがプールサイドのアンコーと目があって、おたがいに手を振る。みみさんはコーヒーを片手に、掃き掃除をしているアンコーは箒を片手に。
手を振ったあとは、またもくもくと、たんたんと掃き掃除をする。アンコーの箒は力いっぱい掃くせいなのか、買い換えることなく古い箒を使い続けているせいなのか、毛先がひろがっていてちょっと使いづらそうだ。
アンコーの姿を見ていると、なんといえばいいか、こっちも地に足が着くかんじがする。地に着くみみさんの足にはぐぐっと力がはいっている。

最後にアンコーが使い置いたままの箒。


ここでは一年を通して気温が30度を下回ることはない。雲がかかっていない日は、赤道直下のこの国の太陽はジリジリと肌を焼く。

そんな炎天下の中、ひろいアパートメントを隅から隅まで掃除する。草木の手入れをする。いつみてもなにかをしている。一日中、ずっと動きっぱなしのアンコー。

もうひとりくらい雇ったらいいのに。サボろうと思えばサボれるのに。

みみさんの勝手なつぶやきをよそに、アンコーの目は、手は、排水溝に詰まった枯葉の一枚も見逃さない。きちんと掃除をする。

格好はいつも決まっていた。白い長袖かボーダーの長袖、下はいつもおなじ黒いズボン。それ以外の格好をしているところを見たことがなかった。

12時になる。下をのぞくと駐車場の片隅でお弁当を食べている。
--そんなところすわってないで、そこのベンチに腰かけて食べたらいいのに。
--いいんだよ、いいんだよ、ここで。

引っ越してきてから、こんなふうにほとんど毎日、アンコーと顔をあわせてみじかく言葉を交わす。それがルーティーンになっていて、それがあたりまえの日々だった。

日本に帰ったりして長いあいだ家を留守にするとき、みみさんはアンコーにあれこれと頼みごとをしたりした。なにはなくてもアンコーがいればだいじょうぶ。安心して家をあけることができた。

留守中に届く荷物を代わりに受け取ってもらった。観葉植物をあずかってもらった。猫を飼っていればきっと猫もあずかってもらっただろう。
アンコーならひょっとするとゾウであってもあずかってくれたかもしれない。さすがにちょっとは困った顔をしたかもしれないけれど。

先月、ベトナムに子供たちと旅行に行ったときも、車にスーツケースを積んでいるときに目があったからアンコーにお願いをした。ベトナムいってくるね、今回は四日だけ!すぐすぐ!おー、そうかー、バイバイ。

ある日の夕方、学校から帰ってきた子供たちが家にはいってくるなり、「ママ!」と私を呼ぶ。学校から帰ってきたばかりのふたりは英語モードから日本語モードへの切り替えがうまくできていないから、説明が要領を得ない。そこに興奮が拍車をかける。「アンコーがたおれてるの、救急車がきてる!血だらけなの!」

アンコーになにかあったんだということだけはわかった。飛び出した子供たちのあとを追いかけて階段を駆け降りる。

「木の枝を切っていたところだったんだと思うよ。たぶん、あのハシゴから落ちて、意識がない」
倒れていたアンコーをみつけたおじさんが教えてくれる。

ハシゴが倒れていて、枝に食い込んだままのノコギリが木の上のほうにぶらさがっているのが見える。

今朝はいつもどおりだったじゃない。朝の様子が目に浮かんだ。私はからの容器をうっかりバルコニーから落としてしまい、「取りにおりてくからだいじょうぶ」っていったのに、玄関のドアをあけたら目のまえにアンコーが立っていて容器を渡してくれた。すこし息があがっていたから、きっと3階までいそいで駆け上がってきたんだと思った。


アンコーが倒れていたのは敷地内の死角になっているエリアだった。発見したおじさんは荷物をとりにじぶんの車のトランクを開けにいったところで倒れていたアンコーに行き合ったらしい。
倒れてからどれくらいの時間がたっていたのかはわからないけれど、とにかく見つけてくれてよかった。そう思った。こうしているいまも誰にも知られずひとりで倒れていたままだったかもしれない。

ストレッチャーにのせられたアンコーはしっかりと固定され、救急隊員たちにかこまれて救急車にのせられた。救急車はあっというまにアンコーを運んでいった。スコールが降り出した。空が暗くなった。体がふるえた。

「だいじょうぶだよ、アンコーはかえってくる、また戻ってくるよ。信じよう」と息子がいった。私のほうを見てはいなかった。救急車が走り去った、いまはただからっぽのその方向を見ていた。「そうだね、アンコー、ぜったい戻ってくるよね」と私はいった。私たちには祈ることしかできなかった。

二日後の朝、報せが届いた。アンコーはあれから目覚めることなく息を引き取った。

訃報を聞いた私はまずはアパートメントの理事長であるMonicaに会いに行った。彼女から、アンコーが病院に運び込まれてからのことやお葬式の日時、会場の場所を聞いた。お礼をいって家に帰った。家のなかに入ると、私につきそっていた息子が泣き出した。

考えてみれば彼にとっては身近な人の死はこれがはじめてといえるのかもしれないと思った。私の祖母(だから彼にとっては曽祖母なわけだが)が亡くなったときのことも、まだ幼なかった彼の記憶には残っていないだろう。かりに残っていたとしても死という観念のまだなかった彼にその出来事の意味はわからなかったはずだ。

お葬式のことを彼に聞いてみた。彼はアンコーにきちんと最後のお別れをいいたいといった。私もおなじ気持ちだった。きちんと最後のお別れをいいたい。バイバイといいたい。私は息子と娘を連れてお通夜に参列させてもらうことにした。

聞いてみると、エチケットにいくらかちがいはあるけれど、この土地の仏式葬儀は日本のそれと似ているということで、すこしほっとした。参列客がすくなそうな時間を狙っていったら、葬儀の会場にはアンコーのご家族以外には誰もいなかった。おかげでゆっくりとご挨拶をすることができた。

アンコーはいちばん下の妹さん家族と同居していた。結婚はしていなかった。すこし驚いたのは、案内板に61歳と書いてあったことだった。もうすこし若いと思っていたのだ。

私は妹さんにいった。
「私たちはアンコーがとても好きで、とても感謝をしています。お線香をあげさせてもらってもよろしいですか?」

お線香をあげたあとで少しだけアンコーとの思い出話をした。プールサイドにいるアンコーと毎朝手を振りあうのが日課だったこと。私も子供たちも中国語がすこし話せるから中国語でこんな話をしたことがあってね、そうそう、長いあいだ留守にするときは観葉植物をあずかってくれたんだよ。アンコーが誇りを持って真面目に働く姿に私はなんど勇気づけられたかわからなかったから、妹さんにそういった。

妹さんの目は気づいたら涙ぐんでいて、私もおもわず涙がこみあげた。

「兄はアパートに働きに行くことを本当に楽しみにしていました。住人のみなさんがやさしくて、第二の家族のようだっていつも言っていました。兄によくしてくださってほんとうにありがとう。そして、今日こうしてお線香をあげにきてくださってほんとうにありがとう」

第二の家族。それだったんだな、と思った。アンコー、アンコーと呼びながら、私がいつしか彼に感じていたのは家族の温もりだったんだと思った。

そうそう、子供たちはといえば神妙な面持ちで静かに私たちの交わす話を聞いていました。"I'm so sorry for your loss." ふたりともきちんと妹さんやそのほかのアンコーのご家族のかたたちに伝えることができました。

アンコーがいなくなってしまったアパートメントは、どこかさびしげです。


アンコーの面影を探しに子供たちと敷地内を回っていたところ、
バックヤードの奥の方で見つけたコーナー。
引越した人々が残していった観葉植物を、アンコーが代わりに育てていたようだ。
胸が熱くなった。



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