お笑い芸人よ、ドブネズミのように!

今回は何かと話題の「人を傷つけるお笑い」に関して書いていこうと思う。
まずなぜ「人を傷つけるお笑い」という文言が今話題に上がっているかと言うと、今年のM-1チャンピオンに輝いたウエストランドのネタがありとあらゆる方面の悪口を羅列するいわゆるディスリネタだった。

近年のTVショーはコンプライアンスが厳しくなり、今まで普通に放送で来ていた過激な表現などがどんどん規制されてきている。そんな中、三年前のM-1でペコパが大ブレイクしたのだが、彼らのネタは不条理なボケに対してツッコミが「○○したっていいじゃないか」とすべて肯定するポジティブさから「人を傷つけないお笑い」と評価されていた。
こういう「今の時代、これはしていけない、その表現はダメ」と抑圧された芸人の鬱憤がウエストランドの優勝によって解放されたらしく、まず審査員の志らくが「人を傷つけるお笑いが主流になってほしい」とコメント。さらに鬼越トマホークの人が「人を傷つけるお笑い最高、時代変われ!」とツイートし話題になったという流れ。

今年のR-1グランプリで同じく他人をバカにする歌ネタでお見送り芸人しんいちが優勝したことも踏まえて「あぁ、芸人はやっぱり現状を窮屈に思っていて変えたいと思っているのかな」と僕は思った。なんせ両大会、審査するのがお笑い芸人だからね。「いやいや、これからの時代はそんな他人をあざ笑って笑いを取るなんてもうだめでしょ」と審査員が評していたらどちらとも優勝していないだろうし。
今回の件とは別にしてそもそもお笑い芸人の大会だからと言って審査員をお笑い芸人で縛る必要はないんじゃないか、と僕は思っている。技術的な面はお笑い芸人にしか評価出来ないかもしれないが、シンプルに面白いか面白くないかは素人にも審査できるわけで。舞台でいつも共演しているコンビを審査するってなったら情が入ったり、逆に厳しくしないと、と構えてしまったりもあるだろうしね。

話を戻そう。僕自身はお笑い芸人がこぞって「人を傷つけないお笑いをやろう」とならなくてもいいと思っている。棘のある表現が面白かったりするし、優しければいいってわけでもないだろうし。お笑いだけでなく表現の規制はそんなにしてほしくないタイプなので。
ただ「面白いことをやろうとしていたら人を傷つけてしまった」ってことはOKにしても「人を傷つけて笑いを取ってやる」は違うと思うんだよね。
だから「人を傷つけるお笑い最高!」という一文は叩かれて当然だと思う。(おそらく本人の意図はちょっと違うんだろうけど)

と言うかね、言ってしまえば「誰も傷つかないお笑いを」って多分不可能なんだよね。
最近のSNSを見ていたら特に思うんだけど、本当になんにでも批判が群がるからね。今まで旦那と自分の分だけ作っていたハンバーガーが子供の分も合わせて3つになりました、って幸せなツイートに「子供が出来ない人への配慮はないのか」と喰ってかかる人たちがいる世の中では誰一人傷つけない創作なんて無理無理。
だからそこまで厳しくなくてもいいと思っているんだけど、それにしても最初から悪口ありきで誰かを貶して笑いを取る芸人を見ていたら「他人を貶めることでしか笑いを取れないんですか?」と言いたくはなる。
「イイ子ちゃんでいる必要はないけど敢えて弱者を傷つけて笑いものにするのは嫌」
まとめるとこんな感じかな、僕のスタンスは。

元々パンクロックが好きだから棘のある表現や尖っている芸人自体はすごく好きなのよね。
ただこれは最近のお笑いだけではなく大多数の創作物に言えることなんだけど、昔は「おれは一般的な価値観で言えばクズ。だけど譲れない思いがある。おれがおれであるためなら他はどうなってもいい」というスタイルがアナーキーであり、パンクであったと思う。
ほら、THE BLUE HEARTSの有名な歌詞でもあるじゃない。
「ドブネズミみたいに美しくなりたい」ってさ。
だから尾崎豊はヒットしたし、SEX PISTOLSは伝説になったんだろう。弱者が弱者の理論で強者に噛みつく、これが美しいわけだ。
それが最近は「自分が特別。周りはクズで分かっていないやつらばかり」と周りを下げることで周囲に噛みついているとされる表現が非常に多いのだ。代表で言えばadoの「うっせぇわ」とかね。
あとはインターネット、SNSを見ていても思う。自分は何者でもないけれどもどうにか承認欲求を満たしたい、特別な知識は持ち合わせていないけれどもちやほやされたい、そんな人たちが陰謀論にハマって「これ知らないの?」とインスタントに自分を優位に立たせるのである。
まずは自分の地位、ステータスを認めるところからすべては始まる。今は何者でもないけれどもいつの日か!と踏ん張ったり、同じ位置にいる人の共感を得てムーブメントを起こしたり。特別になるために周りを貶す必要はないのである。

また話が逸れた。というか飛躍しすぎた。
「弱きものが強きものに牙を剥く」、つまりお笑いでもこのスタイルだと毒舌、悪口もかっこよくなるんだと思う。
それで言うと今回話題の渦中にいるウエストランドのネタは単純に人を傷つけるお笑いではないんじゃないかな、という気もしてくる。

彼ら、というかボケの井口はネタの中で様々なジャンルをぶった切っていくわけだが、見ている人もなぜかちょっと共感してしまうような悪口でまくしたてるわけだ。
ただ井口自身がひねくれていてさらにその悪口には嫉妬と羨望が隠れていることがまるわかりなのである。それに今回のネタでは「大阪の芸人」や「M-1」「R-1」など芸人からしたら明らかに立場が上で牙をむけてはいけないジャンルにも噛みついている。まさに弱者の反撃という構図になっているのだ。単なる悪口ではなく立派なパンクってことだね。
僕はファイナル三組ではさや香が一番面白いと思ったし、ウエストランドのネタが面白い!と思ったわけではないけど、これはまぁ好みの問題であろう。ただ彼らは今回優勝してチャンピオンになった、つまり弱者ではなくなってしまったわけで、そんな彼らが今後どのような漫才をしていくか、は少し気になるところである。同じように僻み全開で悪口を言ってみてもやはりチャンピオンと挑戦者では言葉の持つ意味が変わって来るからね。そういう意味では彼らの芸風的にはむしろ優勝せず一歩及ばなかったくらいがちょうどよかったのかもしれない。

さて、ここまで書いていたのだからついでに書いておきたいことが。それは最近僕が嫌いな「人を傷つけるお笑い」ネタについて。
具体的に言うと3つ。まず今回の騒動の発端ともなった「鬼越トマホーク」の喧嘩仲裁ネタ。知らない人のために説明すると、鬼越トマホークという芸人がコンビ同士で喧嘩を始める。それを見た人が「おいおい、もうやめなさい」と仲裁に入ると「うっせーなぁ、お前○○なんだよ!」とその止めに来た人について口撃する、というネタ。
これは喧嘩を止めに入っただけの第三者なのに突然自分が口撃されるというドッキリみたいなお笑いになるのかな。ただこの口撃がね、本当に単なる悪口で見ていて何が面白いのかまったく分からない。これはまじで流行ったら小学生が友達同士でやって悪口からイジメ問題に発展しかねないな、と思った僕はいつの間にかやいやい口うるさい大人になってしまっただけなのかな。

次はこちらも先ほど名前を挙げた「お見送り芸人しんいち」というピン芸人の歌ネタ。
「僕の好きなもの」や「応援するよ」というタイトルから一見悪口ではないものの、聞いて見るとすぐに頑張っている人達をバカにしているということが伝わってくる。本人はちょいとこじゃれた優男風の出で立ちなので嫉妬や羨望から言っている感じもしなくて、ただひたすら頑張っている人達のちょっとした失敗なんかをピックアップしてバカにしている。
こちらも初めて見た時から「嫌いだな」と思ったし、R-1も決勝はZAZZYの方が面白かったと思っている。ぶっちゃけお見送り芸人しんいちに関しては「路上ライブで一曲目に警察来て止められるアーティスト好き」というネタに対して実際に毎週一曲目で止められてどこでライブしようか、と真剣に悩んでいた思い出があるのでそれを笑いのネタにされたことに憤りを感じたという多分に私情も入っているんだけどね。
まぁほかのネタも同様に本人はすごく悩んでいることをバカにされたら気分悪くなるってこと。人を傷つけるお笑いには付き物だと自覚はしておいてほしいものである。

三つ目。これは最近のお笑いの中でも特に嫌いなネタ。中山功太ってピン芸人が演歌歌手に扮して「芸人やめてぇな~○○になりてぇなぁ」と色んな職業を「○○するだけで大儲け。こんな下らない仕事でお金を稼げる○○になりてぇなぁ」とこちらも羨ましいという体でその職業をバカにするってネタ。これもね、その職業が○○するだけで苦労もせっず楽な職業って決めつけてるけど、絶対楽なだけなわけがない。何が面白いのか分からない。
で、何が嫌かって言うと芸人ってそういう風に周りを貶す割りに「お笑い芸人ていうのはすごく難しい職業で崇高なモノ」って態度を取るのね。だから逆に「お笑い芸人になりてぇなぁ。○○するだけで大儲け」みたいにいじられたら憤怒するイメージがある。一般人のこと素人さんって呼んだりするしね。
以前にもある芸人が「人を傷つけるお笑いを子供がまねしていじめにつながるんじゃないか」みたいな議論の時にも「我々はプロとしてやっている。素人さんが真似すると火傷しますよ」みたいに言っていたこともあるし。
もちろん中山功太はそういうタイプではなくて自分のこともディスってもらってもいいですよ、ってタイプかもしれないけれども、それにしても他の職業は楽でいいなぁなんて歌うことが面白いと思っているならなんとも発想が貧困だな、と思わざるをえない。

そう。ここ数年でお笑い芸人がこんな風に「自分たちはすごいんだ」と必要以上に思ってしまっているのが「人を傷つけるお笑い問題」に発展してしまっている気がするのだ。
「自分たちはしょせんしがない芸人ですが、そんな底辺の身分の自分から敢えて言わせてもらいまっせ」みたいな毒舌スタイルではなくなっている。
じゃあなぜそんな風にお笑い芸人がふんぞりがえってしまっているのか。これはもうTVショーに欠かせない存在になってしまったからなんだろうね。

朝から晩まで色んなジャンルの番組に必ずと言っていいほど配置されているお笑い芸人。朝の情報番組ではお笑い芸人がMCを務め、昼には通販番組やワイドショーでコメンテーター。夕方のバラエティ番組ではもちろん、最近ではドラマにも結構な頻度で芸人が出演している。こうなると「おれたちがテレビ業界を支えてやっているんだぜ」と思ってしまうのもまぁ仕方のないことだと思う。
なぜお笑い芸人になろうと思ったのか、という志望動機にしても多分ひと昔前は「人を笑わせるのが好きだから」とか「漫才がしたいから」という動機が多かったと思うんだけど、最近は「テレビに出たいから」というタレント志望の芸人がむちゃくちゃ多い。
元々役者をしていた、とか音楽をやっていた、とか別の入り口からお笑い芸人になるパターンも多いし。お笑い芸人になる、じゃなくてタレントになって有名になりたい、って人が多いのよね。
で、自分たちは畑違いの情報番組やドラマには出るのに女優がバラエティ番組出てたりするのを「女優が爪痕残そうと思って必死に笑い取ろうとして滑ってるのが痛い」なんて平気で言うわけである。ここらへんのお笑い芸人のタレント化による弊害についてはまた別で記事にしたいと思う。

というわけでこうしてお笑い芸人が「人を傷つけるお笑い」を求めるようになってしまったわけである。そもそも過去のM1チャンピオンにしたって圧倒的に「人を傷つけないお笑い」の方が多かった。ただコンプラに縛られ、かつ自分たちがそんなTVに貢献しているのに!という思い上がりから反動的になってしまっているんじゃないかな、と。

上に挙げた三つの事例以外にもフットボールアワーの後藤が相方の岩尾の頭を下げさせて「ハゲとるやないかい」と突っ込む、とかアインシュタインの河井が相方稲田の容姿をひたすら不細工だ、と弄るネタとか、本来それなしでも面白いコンビなのに容易にディスりネタに持っていくのはなんだかすごくもったいない気がするんだよね。

長々と書いていくといつも着地点が分からなくなってしまうのが僕の悪い癖なんだけど、とにかくお笑い芸人の皆さんには今一度自分たちのお笑い芸人という立ち位置をしっかり把握した上で単なる悪口と風刺や毒舌の違いをきっちり理解した上で「人を傷つけるお笑い」というやつを実践していただきたいと思う。
ドブネズミのように美しくあれ!

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