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ネットフリックス「ノトーリアスB.I.G. 伝えたいこと」 90年代の「東の最強ラッパー」の素顔


どうも。

昨日はこういうものを見ました。

はい。伝説のラッパー、ノトーリアスBIGのドキュメンタリー、ネットフリックスの「I've Got A Story To Tell」。邦題「伝えたいこと」。これを見ました。

ノトーリアスBIG、普段僕は愛称のビギー・スモールズの名で呼ぶので、以下、ビギーで話を進めようかと思うんですけど

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2Pac、以下愛称のパックで話を進めますが、彼とともに90sのヒップホップにおける、アメリカ東西の両巨頭ラッパーとして今日でもトップ扱いの伝説のラッパーです。

僕の場合、音楽批評は基本英語だけで読むのでなおさらよくわかるんですけど、もういまだに「ラッパーのGOAT(Greatest Of All Time)」といえばこの2人、真っ先にあげられてます。そのことはたとえば、ビルボードのアルバム・チャートでも、パックのベスト盤が359週、ビギーのベストが263週入っていることでもあきらかです。それに匹敵するロングヒットしてるの、エミネムとドレイク、ケンドリック・ラマー、この3人がいるだけで、90s以前のラッパーでは圧倒的な数字です。

ただですね、これは日本に限ったことでなく国際的にそうなんですけど、ビギーとパックはリアルタイムであまりにも語られなさすぎでしたね。僕はチャートマニアだったから、チャートでのこの2人の状況も、1994年にパックが銃で撃たれて以降、96、97年の2人の死に至るまでの東西対決の情報は耳にはしてたんですけど、2人がラッパーとしてどういうタイプの人なのか、という話まではしっかり入ってこなかった。やっぱり、同世代のリアルタイマーとして、そこはすごく悔いが残るんですね。

なんででしょうね。まだ、ギャングスタ・ラップというものが、アメリカ・ローカルのもので国際的に通用しないと判断されたからなのか、アメリカ以外のチャートで流行ってないんですよ、全盛期。そこがすごい温度差になってて。日本でもいまだに90sを振り返ろうとヒップホップなり、インディ・ロックのファンがしようとするとき、NASとかウータン・クラン、トライブ・コールド・クエストくらいから手を伸ばす人、結構、実際に知ってるんですけど、でも、それじゃ、「実際のアメリカの黒人への今日に至るまで影響」というのが、真ん中の部分がすっぽり抜けた感じになっちゃうんですよ。それくらい、この2人のラッパーとしての影響力は絶大です。真っ先に聞かれ、リリックまで含めて検証されるべき人です。

まあ、かくいう僕も、この2人でどっち選ぶかといえば断然パック派なので、彼を語ることに関してはそれなりに自信はあるんですけど、ビギーに関しては、95年当時、アメリカ全体のアーティストの中でももっとも売れてた時期の記憶に頼る感じなので、今回改めて見てみたいと思っていました。

では、どんなドキュメンタリーか、要点を簡単に説明しましょう。

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話は、ビギーがほぼ生まれた時からのことから語られます。いろんな人が証言してますが、一番大きいのはこのお母さん、ヴォレッタ・ウォレスさんです。彼女がねえ、90年代一のギャングスタ・ラッパーのお母さんとは思えないほど上品でまじめな人なんですよ。見てて不思議ですよ。このお母さんからビギー生まれてるというのは。

ビギーはこのお母さんの手ひとつで育てられ、お母さんは学校で先生やってます。で、ビギーも、これ、ドキュメンタリーの中でも他の証言者からネタにされてたんですけどビギーのこと「クリストファー」と呼んでたんですね。「クリスとかじゃなく、クリストファーだよ」と笑って語る人もいたくらいですけど、クリストファーって、すごく気取った名前の代名詞っぽいイメージなんですよね。これもギャングスタ・ラッパーのイメージとはあわすに、そのギャップが面白いものです。

で、中学くらいまではそこまで不良っぽいエピソードが出てこないんですが、高校くらいから、このママにだまって、ストリートでクラック売り始めて、それで有名になっちゃうんですね。で、ママはそれにすごくガッカリしてしまうんですけど、ただ、それで2人の仲が絶縁ってことでもなかったようで、ビギーはビギーでしっかり彼女のことは愛してた、というところもなんか、ちょっと興味深いです。

パックの方も、母のて一つで育ってるんですが、そのお母さんが、それこそ昨日もネタで話したブラックパンサーの党員だったんですよね。そういうこともあってパックはすごく進歩的な育てられ方してるんですね。その影響もあってかパックもすごくママ思いで「Dear Mama」なんて曲も書いてるくらい。パックの場合はそれがさらに高じてフェミニスト・ラッパーとしてもすごく有名です。

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あと、ビギーの音楽面での話も面白かったですね。

ビギーのラップ・スタイルに関して、彼のレーベルのボスだったパフ・ダディもしっかり語ってるんですけど、「それまでのラッパーだったら、どんなすごいやつでも誰の影響にあるラッパーかわかるんだけど、ビギーだけはそれが誰なのかわからなかった」と語ってます。

それくらいラップのスタイルが、出てきたときに特異だったというわけです。

中にはさらに面白い分析もあって

ビギーを10代のときから知っていたというジャズ・ミュージシャンの話だと、「彼のラップを聞いてるとマックス・ローチのドラムソロを思い出す」というくらいの、ライムフローのリズム感なんだそうです。これ、面白い分析だと思いましたね。

あと

あと、ジャマイカのレゲエの影響もあげられてますね。これはビギーのママがジャマイカがすごく好きで、夏になると必ずジャマイカに旅行して、そこでレゲエのサウンドシステムに触れてたみたいなんですけど、ここでのリズム感がかなりビギーのラップに影響してるのではないか、という説ですね。

たしかにビギーが出てきたときの印象って、曲がすごくゆったりと横揺れになったな、という印象がしろうと耳にもあったし、彼の影響で80sの「スロー・ジャム」と呼ばれたねっとりしたファンクも実際、サンプリング・ネタで流行りましたからね。このあたりのある種のメロディックな聴きやすさ、というのは確かにそれまでのヒップホップとだいぶ違うものだったんじゃないかな、というのは改めて感じましたね。

あと、改めて彼のラップを聞いてると、すごく低く響く上質の低音ヴォイスを精一杯高めにラップすることで、すごく声の高低のダイナミズムがあるんですよね。あと、韻を踏んだときのリズムの切れね。このあたりは聴感上、今聞いてもかなりかっこいいですね。

あと

リリックに関しては当時のウェストコーストをすごく意識したともいいますね。NWAあら続くドクター・ドレー、さらに当時のスヌープ・ドッグが描く、黒人のリアルな日常感。これを表現したかったために

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当時、本当に大ヒットしましたアルバム「Ready To Die」につながるんですけどね。「死と隣り合わせの人生」という、すごくギリギリの環境で生きることの緊張感を端的な言葉で恐縮した表現ですけどね。

東西対決で銃殺されたパックが亡くなった後には

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「Life After Death」、「死後の人生」ですからね。皮肉にもこれは彼の遺作にもなってしまったわけですが、パックの死を気にして、彼が拠点にしていたLAの状況を知りたくて渡っていたときに銃殺されてしまったわけです・・。

この下りのママのコメントがよくてね。「クリストファーの曲はほとんど聞いたことがなかったんだけど、すごく愛されていることはよくわかった」というね・・。

ビギーに関しては、こういう無常感を漂わせるリリックゆえ、「エモ・ラップの元祖」的な見方をする人もいますけど、ここもパックとすごく対象的というか。パックの場合はブラックパンサーの血がなせる技なのか、「世の中、間違ってる」と思ったら猪突猛進してとにかく戦おうとし、すごくポジティヴなメッセージを発しようとする。そういうとこでの対比も面白いと思ってます。

まあ、個人的な欲を言うならば、ブレイクしてからのパートがもう少しながけりゃな、という感じもするんですが、「何がビギーを作ったか」に関しては理解は深まったつもりです。

僕の予定としては、今年はパックの生誕50年であり、没後25周年でもあるので、何かこのブログでもやろうとかねてから考えていたんですけど、その前にこれが見れて良かったとも思いました。

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