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遅まきながら、ジャニー喜多川とジミー・サヴィルのドキュメンタリーを見た

どうも。

今日は「ちゃんとわかっておきたいな」と思い、2つのドキュメンタリーを一気に2本見ました。

まず1本目が

BBCのジャニー喜多川のドキュメンタリーですね。放送3月だったのかな。5月くらいからイギリスでオリジナルに放送されたものが観れるようになったと思うんですが、3週間前に日本語字幕がついたものがYouTubeで見れるようになっていました。

 トレイラーを何度となく見ていたので見た気になっていたとこもあったし、ちょっと忙しかったこともあってなかなか見れなかったんですけど、「この問題を語るに、これをしっかり最初から最後まで見ないことには語れないな」と思い、見ることにしました。

これはですね

BBCのジャーナリスト、モビーン・アズハール氏が日本にやってきて、ジャニー喜多川氏の未成年への性犯罪疑惑に関し、日本で見過ごされたままになっていることに関しての疑惑を、4人の元ジュニアへの取材などを通じて迫るものです。

 これ、僕が一番印象に残ったのはですね

元ジュニアたちの証言で、彼らが共通してジャニー氏への感謝や好意を口にして、それにモビーン氏が強く動揺することですね。モビーン氏は、このこと自体に、すでに、本来おかしな行為が普通のものとして受け入れられていた異常性を垣間見、その違和感を主張しています。

 僕の違和感も大きかったですね。本来、「犯罪行為」とされないとならないものが、まるで高校野球の練習でもあるかのように受け入れられていたわけですからね。お尻だったり、足だったり、男性器だったりを触る行為を、「嫌だけど、これに耐えたらスターになれる」と、「耐えしのげば甲子園でれる」的なノリと半ば同化した、根性論の理論で克己すべきものにすり替えられていたというかね。だって、よりによって子供たちの親がですよ、ジャニー氏の性癖をすでに知っていて、「お尻触られるくらい何よ。男の子でしょ。頑張って!」なんて後押しする姿、日本人には勝手におなじみの光景になってますが、一歩間違えばこれ、犯罪加担ですからね、これ。名声への目のくらみようから一般常識まで破綻する、恐ろしい世界線がここには存在していますね。

 ただ、これ見ててですね、その中のジュニアの人に僕とほぼ同世代の人も混ざっていたからなおさらそう思ったんですけど、「あの当時の、少年を狙ったペドファいるの社会的理解ってどのくらいあったんだったっけな?」と思い返してみたんですよね。

 ジャニー氏の性犯罪疑惑に関してはですね

僕の世代だと、この暴露本が非常に有名でしたね。僕が大学生の時に、ちょうど30年くらい前に出たはずですけど、これが有名になりまして。

 この時にことが動けばよかったんだと思うんですけど、ただ、ここから伝え聞いた話が少年たちへのハラスメント行為なのはわかるものの「これって、どの程度まで行くと犯罪なの?」というのが当時よくわからない感じだったんですよね。これが出たことによって、「ジャニーを訴えろ!」という話に世間がなったという話も、少なくとも僕は覚えていません。

 よく、「なぜあのときに動かなかった」的な話って、今もジャニーズの件ではよくされますけど、これを見て、そんなに簡単な話じゃないよなあと改めて思いましたね。だって、それから30年経った現在の世の中でさえ、女性がレイプ被害の訴えを勇気を持って起こすことをためらうことが指摘されているんですよ。レイプ犯罪の中で、全体の数パーセントに過ぎない少年わいせつの被害なんて本来もっと言いにくいもののはずだし、ましてや90年代の初頭でしょ?まだ、そうした同性による少年犯罪をキワモノ扱いする偏見だって根強かっただろうし、「それって裁判で争うものなの?」と思う風潮だってあったのではないかと思うんですよね。それくらい、まだ日本だと社会一般になじみのない話だったように思うんですよね。

 その理解が進んだのは

マイケル・ジャクソンの1996年の、ネバーランドでの、少年たちへの性犯罪疑惑に関しての裁判。この時にやっと、日本の世間一般での認知も進んだのではないかと思います。

 ただ、その頃には、もう日本で、ジャニーズの権力がものすごく強くなってしまっていた頃ですね。これはタイミングというものかなあ。ジャニーズ、これが仮に1990年くらいの状況だったら、もしかしたら崩壊する可能性あったんですよね。あの当時の「アイドル冬の時代」ゆえに。ただ、その後にSMAPの人気が1993年くらいに爆発して人気が再燃。それどころか、ここから過去最高の勢いでジャニーズが帝国を作って行ったんですよね。

 そこからジャニーズ、このドキュメンタリーでも顕著でしたけど、取材はさせない、肖像は取らせない、マスコミに思ったようなことは言わせないの攻勢に出てね。今、思い返しても、80年代のジャニーズって、それがそこまで強い印象ってなかったんですけどねえ。別に、たのきんの歌が下手でそれをテレビとか雑誌でからかったところで別に何もなかったし、そんなピリピリした管理体制、特になかったんですけどね。まあ、ジャニーズに限らず、90年代以降の邦楽って、マスコミやジャーナリストに自由に発言させない空気、強化されたんですけどね。僕も、ジャニーズはないですけど、邦楽で少し仕事したことあるからわかるんですけど。

 で、そこを機にメディアがジャニー氏の性癖について語ることがタブーにもなりまして、ドキュメンタリーでも描かれていますが、1999年に文春が一人ジャニー氏に対して批判的な報道を行い、訴訟にも発展したわけです。その訴訟で、ジャニー氏は名誉棄損で一部勝利するんですけど、もっとも撤回したかったセクシャリティに関しては「報道は事実」との認定をされてしまい、最高裁に上告したものの棄却されることになります。

 それが俗に言われる「ジャニー氏のハラスメントは裁判でも認められた事実だ」という言われ方にも繋がることにもなったんですけど、ただ、この時のジャニー氏の不利になった報道を行うメディアが極端に少なかった。さらに、この判決が出た後もジャニー氏の性的な行動は、その後の被害の訴えでもわかるようにとどまることを知らなかった、ということです。

「この時になぜ訴えなかったんだ」という人もいるかとは思います。この時点だと、ジャニー氏の性犯罪疑惑への世間の認知は確かに進んでいたかもしれない。ただ、訴えた場合に原告となる人への味方が少ないことは明らかだったと思うし、加えて、強制猥褻罪が2017年になるまで男性の被害者を適用していないなど法の不整備もあった。そうしたことから2019年のジャニー氏の死を待たねばならなかった。さらに言えば、日本社会がまだジャニーズからの圧力に怯える中、直接の利害関係のない外国の放送が黒船とばかりに風穴を開けるのを待つしかなかったわけです。

 このBBCという放送局が、実は似た問題で因縁がありまして。それは

はい。このジミー・サヴィルという人。BBCの看板アナウンサーだった彼が同じように、未成年、彼の場合はほとんどが女の子でしたが、50数年にわたって性犯罪を犯してきていました。それをおったドキュメンタリーが2022年にネットフリックスで作られていましたので、それを見てみました。

このジミー、僕の場合はBBCの老舗の歌番組だった「トップ・オブ・ザ・ポップス」の初代司会者として有名でして、それで知っていました。僕も尊敬までしていました。

また、TOTPの後に彼がやった「Jimll Fix It」という、彼が視聴者の願いをなんでも叶えてくれる番組が長寿の大ヒットとなり、それで愛されていました。

 彼は、ド派手な格好と髪型、さらに大きな葉巻をいつも吸っていることがトレードマークでそれで覚えられやすい存在でした。そんな彼はファンにつけた人が大物で、その中にはマーガレット・サッチャー首相や現在の国王の当時のチャールズ皇太子、さらにはイギリスのカトリックの大物まで抑えていました。さらに、ことさらチャリティを行うことで知られていた人でもありました。

 そんな人物だったが故に、誰も彼が性犯罪者だったことがまったく疑われもしなかったと、この2部構成のドキュメンタリーの第1部では語られています。サッチャー首相に至っては、退任する1990年にジミーにナイトの称号を授け、位としては「サー」と呼ばれる存在にまでなっています。

 サーになったのは彼が64歳の頃でしたが、その時まで、性犯罪に関しての疑惑の報道が一切ない状態だったんですって。イギリスには日本におけるゴシップ夕刊誌の先駆の「ザ・サン」があるんですが、そこでさえも、「ジミーには裏表がある」と1回報じただけ。しかも、そこに具体的な何かが書かれたわけでもない。それくらい、ガードが完璧だったそうです。

 この当時までのジミーで疑われることがあったといえば、「収録時に番組収録に来た女の子と仲よさげにしているな」とか「誰も彼の私生活について知らないな」とか、そういう印象くらいだったそうです。

 それが、1990年代に入って、徐々にではありますが、「ジミーは実はペドファイルなのではないか」という噂が立ち始めることになります。きっかけはネット。それも当初は、そういう噂は全くなく、90年代の後半になってようやくちらほら上がるようになったようです。しかし、2000年代になってようやく、「実は性犯罪の被害に遭っていた」という警察への証言が3つ上がったことから、83歳だった2009年にようやく直撃取材が行われた次第でした。

 だが、それも本人が強く否定。警察もすぐに捜査を打ち切ります。しかし、ここからジミーへの訴えが増え始め、それを受け、疑惑を追ったBBCのドキュメンタリーのチームが動き始めていた矢先の2011年、ジミーは突然世を去ってしまいます。

 BBCのドキュメンタリーのチームは、BBCでの性犯罪疑惑の報道を望みましたが、偉大な人物とされるジミーの追悼番組にふさわしくないとしてそれを却下。死の10ヶ月後、ドキュメンタリーはBBCのライバルのITVで放映されますが、それが大反響。すると、そこから、400件を超える被害届けが出されたことになったのです。

 ジミーの性犯罪の酷いところは、彼がチャリティの関連で関係を持った病院、しかもそれは精神病院が多かったみたいなのですが、そこへの慰問と見せかけて、そこで知り合った患者を狙って犯罪を重ねていたようなんですね。彼女たちが何も言えない、社会的に信用されにくいことを利用して。あと番組収録に来た未成年の女の子たち。彼女たちは具体的にレイプまでされた子も少なくなかったようです。

 これに関してBBC側は、「知っていたけど圧力で黙らせた」という話は、少なくともこのネットフリックスのドキュメンタリーではでてきません。「社会的にとても尊敬されていた人物だから、性犯罪など疑いもしなかった」と、周囲も完全に見落としていたことだったようです。

 この死後に発覚したスキャンダルにより、現在イギリスでは、ジミーにちなんだ地名や道路標識などは一切撤去。お墓もすごく大きなものだったのですが、それも撤去となっています。彼の関わった映像アーカイヴなども、今では見難いものとなっています。

 「なんだ、BBCなんて自分のところが性犯罪者出してるくせに、よくジャニーのことを」などと斜に構えた、知ったかぶりの日本人の意見も見たことが多少あるのですが、ジャニー氏の場合と違って、こちらは完全に隠れたもの。公だったものを隠し通した結果のものではなかったことを覚えておく必要があります。

 さらに言えば、だからこそ、そうしたことが今後起こらないようBBCは気をつけているわけだし、その延長線上でのジャニー喜多川報道なのだろうと、僕は見ています。

 BBCの報道のあった成果で、実際問題、これまで「大きな権力だから、何をやったところでダメだ」と思われていたジャニー氏の問題に、過去に例がないほど「あれはやはりいけないことだった」として、目覚めた人が日本でも多くなってきているなど、ポジティヴな進化が見られています。

 今後ジャニーズの問題として何をすべきなのか。何が行われるべきなのか。その見方はさまざまだと思います。

 このサイトによりますと、ジャニー氏はすでに故人でもありますから、強姦罪などは適用されにくいようですが、相続などを手放していない場合などは、民法条の不法行為(民法709条)を通して、遺族を相手取って賠償を求めることなどは可能なようです。ただし、身体への行為に関しては「好位から5年」となっているために、ほぼすべての件で時効は成立しているとのことです。

 そうしたことからも今後、裁判などに関しては起こる可能性があるのか、そこのところは僕も専門家でないのでわからないです。ただ、真実を具体的に明らかにすることがジャニーズ側に求められること、その社会的な要求が強まることは避けられないとは思います。

 もちろん、関係のある広告関係の企業や放送、出版にも、この問題についての対策を、今後似たようなケースを未然に防ぐためにも求められることになると思います。

 日本の場合、「ほとぼりが冷めたら後はなあなあ」な社会風土があるので、この点で不安はあります。ただ、今回に関しては、これまでと違う何かは確実に生まれているとは思うし、好転していくことを願いたいところではあります。

 その一つの事例としての、先日の山下達郎氏の問題もあるかと思います。あれに関しては「なんで直接関係ない山下氏が」という反論も見かけますが、「言論弾圧」の疑惑と、「業務提携」という形ではありながらも「雇用」の問題も絡んでいますので、これまでのジャニーズ問題の改善のためには大いに関係あると僕は思ってます。あと、スマイルカンパニーの場合、山下氏は単なる雇われのアーティストではなく、山下氏のマネージメントのために作られた企業で、いわば同企業の名誉的な立ち位置にあるわけですから、責任がないとは言えなかったと思うし、声明を出したのも正しかったとは思います。

 ただし、「その内容が・・」ではありましたけどね。長年のパートナーである小杉理宇造氏が40年以上にわたってジャニーズと蜜月関係にあり、ジャニーズ・エンターテインメントの社長まで長きにわたって務め、SMAPの騒動の際に口出ししたことまで知られている関係でありながらも「性的行為」の疑惑について「知らなかった」は考えにくい。さらに山下氏はジャニー氏の絡んだ作品を賞賛しましたが、これも例えばハーヴィー・ワインスティーン氏の連続セクハラの問題の際に同氏の功績を超え高に叫んで無実を訴えるような行為と変わりません。ワインスティーンだって、クエンティン・タランティーノだったり、ハリウッド制作でない外国映画の傑作の紹介など積極的に行い、業績の評価そのものは高い人です。でも、そんなことは裁判で相手にはされません。かといって、同氏が配給で携わった映画が汚れたわけでも、サブスクでの流通を制限されるなどの作品に対しての処罰が与えられることもない。そこの違いは分けてしかるべき。これに関しては今後、社会的に守られてほしいなと個人的に願いたいところでもあります。

 この問題、今後も見守っていきたいと思います。












 















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