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筒美京平死去。日本のポップ・ミュージックの礎を作った伝説の作曲家

どうも。

・・・寝るところだったのですが、その直前にあまりに突然、この訃報が飛び込んできました。

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筒美京平が亡くなってしまいました。もう、僕にとっては「大先生」とつけたいくらい、すごく尊敬していたソングライターの一人ですね。

筒美さんのことは、もう、物心ついた時から、刷り込まれたように、サブリミナル的に頭に染み付いています。というのも

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歌番組でのこういうクレジットですよ。もう、何度、「作曲 筒美京平」のテロップを見てきたことか。それこそ、小学校の低学年の時から見てきた名前だったので、もう最初の方は、「そういえば名前よく見る人だよなあ」くらいの意識だったんですけどね。

最初に知った筒美さんの曲はこれでしたね。

1977年、小学校2年生の時に大ヒットした太田裕美の「九月の雨」ですね。これ、僕の人生でジュリーの「勝手にしやがれ」、松崎しげるの「愛のメモリー」の次に好きになった曲なんですけどね。この当時はまだ、クレジットには気がついてなかったんですけどね。

そのあとが

これもすごく好きだった曲ですね。岩崎宏美の「シンデレラ・ハネムーン」。コロッケのモノマネの曲で有名になった曲ですけど、早い16のシンコペートのビートと流麗なストリングスという、あの当時のディスコアレンジの王道でしたけど、これもらしい曲でしたね。

これもだな。

僕がこの当時、「この人たちは自作自演なんだろう」と勝手に思ってた人たちの曲も書いてたんですよね。そういうことも後から知って。この時期だとジュディ・オングの「魅せられて」もそうですね。

ただ、僕が「筒美京平」の名前を意識しだしたのは、これくらいですね。

やっぱり中学に入った頃、1982〜83年ですね。トシちゃんは一連、ずっと書いてて、早見優のこれとかですね。この時期に、「軽快なリズムで、優しいメロディ書く人なんだろうな」と言う印象を持ちましたね。この時期はもう僕も音楽的には生意気盛りで、「洋楽が絶対」「邦楽はバンド、自作自演じゃなきゃ話にならない」くらいの勢いでしたけど、耳に止まるアイドルの曲は、クレジット見てみると筒美京平、と言うパターンが多かったですね。

そのリアルタイムでの印象が一番よかったのがこれですね。

久しぶりに聞きますけど、これ、やっぱりいい曲ですね。当時から「ユーロビート歌謡の傑作」と言われてましたけど、スラップ・ベース主体のファンキーなベースラインもかっこいいんですけど、やっぱりメロの説得力が抜群だなと。

で、このあと、大学に入ってから以降が「筒美京平を研究しよう」と言う気持ちが湧きましたね。やっぱり、その観点での話をだいぶ耳にするようにもなってきましたからね。

そのきっかけが

サザエさんのオープニングテーマが「実はモータウンん・サウンド」と言う指摘があり、「本当だ!」と気づいた時にクレジット見たら「筒美京平」でそれを見て「あっ!」となったことですね。

さらにいうと、エンディングは60sのインストで流行ったハーブ・アルパートのA&Mサウンドで。オールナイト・ニッポンのテーマみたいなやつですけど、これも筒美さんが作ってて、「侮れないな」と思ってですね。

で、それに気づいたのに近い頃に

ちょうど南沙織の1971年のヒット「17才」が89年に森高千里のカバーでヒットしてた時に、日本の洋楽ヒットでも知られているリン・アンダーソンの「ローズガーデン」にそっくりだよ、ということをいう人がいまして。それも筒美さんだったことを知り、さらに

郷ひろみの1972年のデビュー・ヒットが、洋楽バブルガム・ヒットの名曲エジソン・ライトハウスの「恋の炎」にそっくりとか、という話を聞いて。「ああ、筒美さんとは、巧みな洋楽翻訳者だったんだな」ということがわかって行きました。

キャリアの最初はGSなんですけど、このオックスの「ダンシング・セブンティーン」もすごくモータウンというか60sのソウルテイストが強いというかですね。それから

なんか、ティナ・ターナーみたいな感じですけど、これ聞いた時に「すごいファンキーな曲、書いてたんだなあ」と思っていたところ

また岩崎宏美に戻るんですけど、聞き馴染みのあったこの曲をちゃんとレコード音源で聞いてみて「あっ!!」と驚いたんですね。これ、Aメロのバックのドラムのリズム

フィリー・ソウルの代表アーティスト、オージェイズの「Back Stabbers」、これに代表されるフィリー・ソウルのドラム・パターンを完全に踏襲したものであることに気がついたんですね。

そうしたらですね

筒美さん自身が変名・偽造洋楽アーティストとしてフィリー・ソウル風の作品を発表していたことも知りました。この辺りの経緯は、僕のやってた連載「ロックと日本の65年」の第7章にも書いてることです。

さらに

また太田裕美に戻るわけですけど、ここから、さっきの「九月の雨」もそうなんですけど、作曲が筒美さんというだけでなく、作詞が松本隆だったことに気がついたんですね!「ここで、はっぴいえんどファミリーと邂逅かよ!」とも思ってですね。

ここでの太田裕美仕事って、のちのキリンジというか、富田恵一仕事にも通じるところがあって。もう、そのへんのアレンジって、もう、日本の良質歌謡だったりシティポップの王道でしょ?そこでもやっぱり、筒美さん、貢献してるなあと思ってですね、さらにリスペクトが沸いたわけです。

そうしているうちに

1995年の渋谷系ブームの最中、オザケンこと小沢健二が、目ざとく筒美リバイバルに貢献しまして、こうやって「強い気持ち 強い愛」で共演してヒット。この時代、アイドルの時代が一旦終わっていたこともあって、若干忘れられかかっていた先生だったんですが、別の形でのリスペクトが集まります。

そして1997年には

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これまでの先生の偉大なるヒットの軌跡を収めたCD8枚組ボックスセット「Hitstory」も出まして、しっかりと研究対象になるほど、尊敬も集めました。

そのあとも、大きな目立ったヒットこそなかったものの、近年まで活動を継続していました。

とりわけ、メロディメイカー、そして日本にソウル・ミュージックのグルーヴ感を持ち込んだ作曲家として、筒美さんの貢献は本当に大きいです。再評価は十分進んだとは思っているのですが、この先も、功績はずっと語り継がれて行ってほしいと願っています。RIP











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