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追悼オリヴィア・ニュートン・ジョン 「The 洋楽」の時代のプリンセス

どうも。

今日は訃報をお届けせねばなりません。


はい。ご存知の方ももう多いかとも思いますけど、オリヴィア・ニュートン・ジョンが亡くなってしまいました。 晩年でも美貌で知られた彼女は73歳。平均寿命を下回る年齢での死でしたが、30年近く癌を患っていましたから、往生した部類ではないかと僕は思っています。

オリヴィアに関しては日本でも本当に愛された人なので、それぞれの思い出がお有りかと思います。なので、僕個人的な出会いから話しますと

1978年、このミュージカル映画「グリース」が大ヒットした時ですね。当時小学3年生でしたけど、「サタディ・ナイト・フィーバー」から「フィーバー」っていう言葉が一人歩きするくらい社会現象になってたし、そのジョン・トラヴォルタが、当時、女性シンガーでは抜群の人気だったオリヴィアと組む、というので、テレビの宣伝でもガンガンにプッシュされてました。まずはそれで名前を覚えましたよ。

https://www.youtube.com/watch?v=dKSB2O2Shts

で、1980年の秋、ちょうど僕が洋楽を本格的に聴き始めた時に、地元のAMラジオ局の「KBC今週のポピュラーベストテン」で1位だったのがこの「ザナドゥ」でした。これで共演したELOも知ってね。

それからちょっと戻るんですけど、ちょうどさっきの番組で、「70年代特集」みたいのをやってて、それでこの、1975年の彼女のその当時までの代表曲「そよかぜの誘惑(Have You Ever Been Mellow)」を聞くわけです。「ああ、本当にオリヴィアって人気者だったんだなあ」なんて思ってたら

1981年の11月から、この「フィジカル」が、もう彼女のキャリア史上でとんでもない大ヒットになるわけです。90年代まで記録となる、全米10週連続1位。この余波で日本でもこれ、ラジオチャートで1位になってましたよ。とにかくメチャクチャ流行りましたね。

 ・・と、ここまでがザッと、すべて40年以上前までの話なんですよねえ。信じられないけど。なので、「リアルタイマーにはとにかくビッグな人」ではありながらも、ある時期過ぎたら「名前くらいは知ってるけど、どんな人なのかよく知らない」という方も多い。なので今回は、彼女の足跡をわかりやすくたどっていこうと思います。

オリヴィアは1948年にイギリスのケンブリッジで生まれますが、6歳のときにオーストラリアのメルボルンに移住します。で、オーストラリアでは10代の頃にショービズ・デビューしてまして

こんな風に、いかにも60sな感じのゴーゴー・ガールみたいなことをテレビでやったりもしていました。

オーストラリアでのデビュー曲も意外やブリティッシュ・ビートみたいで、今聞くとかっこいいんですよ。

ただ、これが本格的な歌手デビューではなく、本格デビューは23歳のときまで待たなくてはなりません。

最初のヒットはボブ・ディランの「If Not For You」のカバー。もう、このときから「ブロンドのロングヘアに青い瞳」がかなり印象的で、女優とかモデルみたいな風貌だったんですけどね。これがオーストラリア本国でトップ10のヒットになりまして、成功の手がかりをつかみます。

 ただ当時、「オーストラリア」といっても、成功の手立てがない時代です。こんな風に美人で歌も上手い人のわけだからポテンシャルを感じてまわりはほっておかないわけですけど、そこで白羽の矢が立ったのが「カントリー」でした。

どっちかというと、本格デビュー当時はフォーク寄りだったオリヴィアですが、アメリカでフォークだとライバル多すぎてきついと思われたか、カントリーを選ぶわけなんですが、これが大成功します。この当時、カントリーからポップにクロスオーバーしたジョン・デンヴァーがアメリカで大人気だったんですが、オリヴィアがそれの女性版的な形でアメリカに進出したら、これがすごくウケたんですね。

1973年のうちに、もろカントリーの「Let Me Be There」で全米トップ10、翌年には「I Honestly Love You 」で初の全米1位を獲得。これで世界的な存在へとなっていったわけです。

 で、75年に、

この、もう一回、かけますけど、「そよ風の誘惑」が彼女にとっての2曲めの全米1位を取るんです。このときに日本でもかなり売れまして

1976年には、この「ジョリーン」が日本で大ヒットします。これ、カントリーの大御所、ドリー・パートンの代表曲のカバーなんですけど、日本では圧倒的にオリヴィアの曲として有名です。

これ、日本としてもタイミング良かったんですよ。なにせ

ダニエル・ブーンの「ビューティフル・サンデー」が、なぜかカントリーの曲なのに日本でバカ当たりしてオリコンで1位になってたり

なんとなあく、ファッションとか、フォーク、カントリーのテイストの曲など、似た雰囲気を持った太田裕美が大人気の頃ですからね。

あと、あの当時の雰囲気をなんとなく覚えてる身からすると、オリヴィアって、あの当時の洋物カルチャーで人気の女の子と並べるとはまる雰囲気があったというか

「ロミオとジュリエット」のオリヴィア・ハッセーとか「小さな恋のメロディ」のトレイシー・ハイドとか、あの当時って、日本の少年たちが外国人の少女に憧れる雰囲気があって。なんか、そのライン上にオリヴィア持ってったらハマりがいいんですよね。

で、音楽でいうと、そこに

カレン・カーペンターがいる感じですよね。もう、話してるだけで、「日本の洋物70s」の匂いプンプンなんですけど、こういう流れで愛されていたような気が僕にはします。

そういうこともあってか


「そよ風の誘惑」のあと、実はアメリカでは少しこけていた、このあたりのアルバム、「Cleary Love」「Come On Over」がオリコンだとトップ10に入る、ややビッグ・イン・ジャパンなヒットまで記録してたんですよね。

ただ、それが1978年になると

「グリース」が1978年に記録的な大ヒット。ジョン・トラヴォルタとのデュエットの「You're The One That I Want」が彼女にとって3曲めの全米1位になります。

それ以降もヒットは続いて

このあたりの曲がヒットします。下の「マジック」が4曲めの全米1位。このあたりから、もう完全に脱カントリーでして

このあたりはもう、完全にAORとかニュー・ウェイヴの影響受けたサウンドで、いずれも全米トップ5、入ってましたね。

83年秋から翌年にかけての「Twist Of Fate」。これがバキバキの80sシンセポップなんですけど、これがラストヒットでしたね。


 ただ、84年に結婚して以降、ちょっと活動がスローダウンするんですよね。あんまりガツガツ活動しなくなったというか。まあ、あの当時、40歳超えた女性のポップヒットもほとんど前例ない時代だったし難しかったのもあるかもしれませんが、それに加えて90sには乳がんも発症して。それは克服もして、彼女はがん撲滅の啓発キャンペーンのキャラクターにもなるんですけど、ポップ・ミュージックの現役のシーンとは縁遠くはなりました。

 オリヴィアの場合、たとえば、70sといってもジョニ・ミッチェルとかパティ・スミスとか、ケイト・ブッシュみたいな評価のされ方はしません。やはり自作自演の人じゃないし、「音楽シーン」を切り開いたわけでも、フェミニズムに訴えるタイプでもないので。あと、「ミュージカルで売れた」といっても、ライザ・ミネリみたいな本格派なわけでもないし、「カントリー」といってもドリー・パートンとかロレッタ・リンみたいな、その筋のコアな層からのリスペクトもない。というわけで、どこのラインからも遠くて、それで所属するシーンがなく孤立する存在ではあるんです。 

 ただ、そんな彼女にすごく合う器がじつはあるんです。それが「洋楽」ですね。「どんなジャンルでも、日本人じゃなければオッケー」という、受け皿の大きさ。彼女にはこれがすごく似合ってたと思うし、70sから80sという、国際的なポップ・ミュージックの受容がおおらかだった時代に、すごくフィットしたんじゃないかと思います。ちょっと白人のステレオタイプへの羨望は入っていたとはいえ、あの当時に欧米の女の子の理想像をあらわした風貌も効果的だったと思います。

そして、「カントリーからポップに飛躍した先駆例」としてのオリヴィアがあったからこそ、日本の今日の音楽ファンがテイラー・スウィフトを比較的抵抗少なくすんなり受け入れられた、という見方もできるような気がしてます。テイラーの方が自作曲派で音楽的進化の幅も大きいといえば大きくはありますけど、結びつけたくなる気持ちはわかります。

 あと、全米5曲1位って、今でこそそこまで珍しい記録ではないんですけど、80sにマドンナ、ホイットニー、ジャネット、90sにマライアと出てくるまでは女性アーティストでそこまで1位になれる人って少なくてですね。スプリームスは例外としても、他にそれくらいの1位の数がある人といえば、まあ元スプリームスのダイアナ・ロスがソロで4曲、シェールがたしか全部で5曲、バーブラ・ストライザントが3曲ですから、そう考えてもすごいんですよね。やはり功績は大きいかと思います。

 そして日本の洋楽リスナーとしては、カーペンターズやクイーン、ABBA、ビージーズ、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエルなどと日本で「洋楽」を盛り上げた立役者としてずっと愛されると思いますね。改めてご冥福を祈りたいと思います。










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