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2022年9月3日

2022年9月3日、野田秀樹作・演出の芝居「Q: A Night At The Kabuki」を観る機会に恵まれた。

大好きな作・演出家であり、大好きな役者。いつも素晴らしい体験になる。

しかしこの日の体験は、想像をはるかに超えていた。

野田秀樹と私との出会いは、大学生の時だった。

もちろん、直接お会いしたことはない。
彼の芝居に出会った、という意味である。

その日は、授業開始時間が遅い曜日だった。

勤めに出ている父はもちろん家におらず、高校生と中学生の妹2人も不在。母もパートに出ていたので在宅は1人。

起き抜けに、なぜかNHKのBS(たしか1)にテレビのチャンネルを合わせた私の目に飛び込んできたのは、深津絵里主演の「半神」だった。

それまで、〝芝居〟については、文字通り「芝居がかった大袈裟な表現による営み」という印象であり、あまり好きではなかった。たいして芝居を観たことがないくせに、思い込みが激しく、距離を置いていた。

しかしBSが放送していた「半神」を観て、瞬時にテレビの前から動けなくなったことを憶えている。

「なんだこれは」

とんちに富んだ言葉遊び。意味のないような台詞が繰り返される中で意味を持っていく不思議。煙に幕くようで、終盤に向かって、すべてのシーンを夢のように巻き込み、怒涛の展開で速度を増し、既視感を利用した〝思い出〟を共有するような演出。観客を釘付けにする深津絵里の声の威力ーー。

カミナリに打たれた。カラダはうっすらと痺れている。1発で「この芝居を生で観なければならない」と決めた。

その日は強烈な体験に、しばし放心状態が解けず、大学の授業なんか行く気にならなかったことは言うまでもないだろう。

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そこからは血眼になって「次の野田秀樹の芝居」にアンテナを張った。今から約20年前。ネットはたいして発達していない。

「生で目撃しなければならない」
「現場にいたい」

運良く、松たか子主演の「オイル」がアルバイトをしていた街、渋谷で上演間近という情報にたどり着く。

チケットの予約販売は終わっていた。

友達と当日券のための長蛇の列に並ぶ。結果、幸運にも〝客席の合間の通路に座布団を敷くスタイルの座席〟を確保する。

後にも先にも、あんな席種を知らない。
よくあんな席を思いついたなと今は思う。

それでも「初めての野田秀樹芝居、生観劇」の衝撃は凄まじかった。

あの座布団の席に心から感謝している。

思考を促してくれるその快感の虜になった。

あれから、いくつ野田秀樹の芝居を観劇したか分からない。いくつかは抽選に外れ、涙を飲んだが、なんだかんだ、かなりの数を観ることができている。それでも、2022年9月3日の「Q: A Night At The Kabuki」での体験は稀有だったと思う。

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コロナ禍、飲食店だけでなく、芝居を含むエンターテインメントも憂き目に遭った。雑な「不要不急」という名のもと、芝居は人々の生活から締め出しを喰らった。

2022年9月3日、芝居を久しぶりに劇場で観た人も多かったろう。

私もそうだった。

野田秀樹演出は健在だった。

いつものように、ふざけていると見せかけて気がついた時には飲み込まれている。終幕に向かって加速していく台詞群から、色々な考えを想起するような詩的要素を孕んだ構成ーー。

最後の観客総立ちによるスタンディングオベーションは圧巻だった。拍手喝采は、一斉に万雷の手拍子に変わる。

「これすらも予め仕組まれた演出なのか?」

そう思えるほど鮮やかで、見事な手拍子への転換。観客からの恩返しだ。

全員で、何度も出演者たちをカーテンコールに呼んだ。

もう涙を止めるのは諦めた。

手拍子に、小躍りする出演者もいた。

楽しかった。

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芝居を通して考えたことは千差万別だろう。

「この芝居、素晴らしかったから、我々からその気持ちを芝居を作った側にも伝えるべきだ」

立ち上がった人々の思いは1つだった。

珍しい体験だった。

ありがとう。

簡単な言葉の共有が、これほど心を動かすんだと知った。

これからもできるだけ素直に、

思いは伝えよう。

難しい時もある。

それでも諦めるのだけはやめよう。

それが私の答えだ。

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