最後の浮世絵師、月岡芳年の魅力⑤
長かったシリーズもようやく最後です。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
前回の分をまだ読んでいない方はこちらからどうぞ。
最終回では芳年晩年の作『新形三十六怪撰』からいくつかの作品を紹介します。
この作品は芳年の画業の最終到達地点とも呼べるもので、その想像力の多様さと表現力の巧みさには驚かされます。
今回の記事では特に芳年の作品の特徴でもある「線」に注目してみましょう。
硬質な線
芳年の作品の大きな特徴に「硬質な線」があります。
筆の打ち込みが強く、そこから直線的な線が小刻みに折れ曲がる独特な作風です。
それは主に着物の輪郭やひだを表す際に用いられますが、人物の筋肉やしわにも使われます。
特に『新形三十六怪撰』では、不必要に思えるほど書き込まれた細かいギザギザが絵の四方の虫食いを模した枠にまで及ぶ周到さです。
柔らかい線
「硬質な線」と同じく強弱はかなり強いものの、全体的には柔らかく長い線を描く場合もあり、それは主に女性の着物に多く見られます。
それは体のしなやかさを表現したいからなのでしょうか。
様式的な曲線で描かれた着物に包まれた女性像に、はっきりとした背景は描かれていません。
そんなものは美しい女性の前では無用だと言わんばかりです。
闇の中に動きを表現する
闇の中での激しい動きを表すにはどうしたら良いでしょうか?
日本絵画の手法には煙や霞、水や風を様式化して、写実的な絵の中に織り込むということが行われてきました。
芳年はその手法を効果的に使うことで闇の中の場面全体を動きのあるものとして描きました。
それはもはや現代のマンガのようです。
複雑な構図の極致
芳年の画面の構成力には本当に驚かされます。
どうやってこの構図を考え付いたのか、何枚下書きをしたのか想像もできない作品があります。
描かれているもののひとつひとつが別々の方向に動いているような場面を無理なく一つの画面に収めています。
もし芳年が現代のイラストレーターなら、これほどの画力、画面構成力を持つライバルは存在しないのではないかと思えるほどです。
『新形三十六怪撰』を発表している最中に芳年は再度精神を病みます。
恐らく鬱病のようなものだったでしょう。ですが直接の死因はよくわからないようです。
54歳というあまりにも早い芳年の死によって浮世絵の歴史が終わるとすれば、あまりにも短い画業に終わったのが本当に残念に思われます。
明治の日本は『歴史画』を必要としていた
最後に芳年に代表される明治の浮世絵の日本絵画史における今日的な意味について私なりの意見を述べます。
明治時代の日本では国民全員が“日本人”としての歴史を共有し、英雄たちの偉業を称え、新時代の道徳を広めることが求められていました。
また国学や尊王思想から影響を受けた維新を経て明治政府を打ちたてた人たちが、日本の歴史を視覚化したがったことは容易に想像できます。
そうした時代の要請に応える形で描かれたのが歴史画であり、西洋画でした。
19世紀のヨーロッパでは物語をリアルで劇的に描くアカデミックな画風が主流で、海外へ留学した画学生がそうした画風を日本に持ち帰ってきます。
そうして留学帰りの洋画家がまだ“ぎこちなく”日本の歴史を描いていた時、既に明治の浮世絵師たちは新時代の歴史画を世に送り出していたのです。
日本が生んだ歴史画家、芳年
芳年の描く歴史や神話の物語には、その絵が一つの芸術作品として十分鑑賞に堪えるだけの中身が備わるようになっていきます。
それはこの当時西洋でも好まれていた正統的(アカデミック)な絵画に匹敵する、非常に洗練された感性で描かれた絵画だったと思います。
ここまで洗練された表現で人間というものを描くことができた絵画は、世界では恐らく西洋絵画しかありませんでした。
それを明治初期の浮世絵師がやってのけたのです。
歴史画は本場のヨーロッパでも印象派の登場以降、次第に廃れていきます。
日本でもモダニズムの影響はすぐに画壇に広がり、歴史画が日本に根付くことはありませんでした。
日本の西洋画における歴史画の存在感は小さなまま終わったと私は感じています。
日本の歴史画を満足のいく形で世に残せたのは、洋画家たちよりもむしろ浮世絵師たちではなかったでしょうか?
私はそうした潮流の中の、ひときわ大きな星として芳年を挙げたいわけです。
そして芳年たち明治の浮世絵師のムーブメントは『新版画』というジャンルに引き継がれていきます。
これについてはまた機会があれば述べたいと思います。
最後は芳年の『歴史画』の傑作を見ながら終わることにしましょう。
静と動の対比、シンプルさに込められた多くの意図、作品全体から伝わる気品は、この作品が間違いなく日本を代表する歴史画の一つであることを私たちに伝えてくれています。
振り返って...
今回、私は芳年に集中して明治の浮世絵について述べてきました。
ですが芳年以外にも同様の作風を持った浮世絵師もいましたし、その後も新しい浮世絵の系譜は続いていきます。
何なら芳年の師匠・国芳も大変斬新な絵師でしたし、最近よく名前を耳にするようになった「絵金」こと弘瀬金蔵も“血みどろ絵”の先駆者と呼べる浮世絵師です。
日本の絵画表現には以前から大胆で、奇怪で、愉快で、深みのある感性が存在していたのでしょう。
月岡芳年の魅力を語るシリーズは以上です。
本当に長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださった方はお疲れ様でした。
いつかまた浮世絵を取り上げる時も、ぜひお付き合いくださいね。
それではまた!
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