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戦術を語るのもいいけど、戦略を語ってみてはいかがでしょうか?


イングランドにいたときは
各地のスタジアムを訪れました。

もうずいぶん昔の話なので、

現在のようなハイテク化されたスタジアム
との出会いには恵まれませんでしたが、

食事を楽しむスペースがあったり、
豪華な個室スペースに興奮したのを覚えています。

スクエア型の古き良きスタジアムの外観は

建設当時の趣を残しつつ、
室内は現代風にアレンジするヨーロッパスタイル。

街中を見渡しても
古い建物が林立してて、

それでいて内装はピカピカに改装するスタイルは
スタジアムにも転用されていました。

当時の日本にあるスタジアムといえば、

スタジアムと称するには
かなり違和感を覚える昭和の忘れ物。

メインスタンドの屋根は
申し訳なさ程度に、

背もたれのない座席が当たり前でした。

トイレの衛生管理は十分とは言えず、
飲食スペースすらないケースも。

「体育」と訳されてしまった
欧州のスポーツは、

厳しい修行、鍛錬を通して精神を鍛え、
人間教育をになった反面、

「観る」という側面においては
マイナスに作用したのか?

「観客にも鍛錬を要求する」という表現は
中らずと雖も遠からず。

そんな環境はかなり改善され、
今や懐かしい思い出になりました。

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■長崎の

スタジアムシティプロジェクトは
複合型コミュニティセンター。

サッカーを核としない
サッカースタジアムです。

コンサートができたり
ショッピングモールが併設されていたり
ホテルから試合が見れたり

サッカーはこれら数多いコンテンツの
ひとつにすぎません。

人々が集まる場所、
人々に居場所としての機能を持ち

昔より自由になって
同時に多様化が促進されて、

自分はどう生きるべきか
独り悩み、不安を抱える人々が

その日だけでもホッとできて

ここでしか会わない仲間と一緒に
話して、笑って、飲んで、食べて。

成熟した社会は
かつてのような「大きな物語」を見失い

自由に生きていい、という押しつけが
生きにくいキツイ環境を生みだしました。

そんな心の問題を解決する装置として
長崎の取り組みは注目に値します。


■こうやって

なぜ複合型スタジアムなのか?
という問いに対する答えを

自分なりに言語化して、

時代を超えて汎用性のある本質
をとらえておくことはとても大切なことです。

じゃあ次は映画館?
ボーリング場、カラオケ?

社会の課題解決につながれば
何だっていいと思います。

ですが施策やアクションプラン
ばかりに目を向けていると

なぜ複合型スタジアムなのか?
という本質が置き去りにされないか?

この手の話、議論をみていると
そんな感想を持ってしまう。

そしてそれはスタジアムに限らず、

スポーツクラブ関連で盛り上がる
IT、デジタル、顧客管理、SNSマーケなど

戦術面での新規性を競い合うような
情報交換に似ている。

スポーツクラブの存在価値、
なぜスポーツクラブを経営するのか?

サッカーを魅せるだけなのか?

競技の優位性を作り上げるだけで
地域の人々は満足するのか?

そうではなくて…

戦略や本質を正確にとらえ
戦略にひもづく戦術を企画できなければ

木を見て森を見ず
になってしまわないだろうか?


■こちらのサロンでは

そんな心配をよそに
確固たる軸を言語化しています。

認め合い、支え合い、応援し合う

というコンセプトをもとに
人、街、文化を育んで

日本一住みやすい場所づくり
を目指すコミュニティです。

大学生が増えてきました。
経営者や弁護士もいます。

いろんな人が、いろんな強みを持ち寄って
共創しています。

興味ある方は私までご連絡ください
丁寧にご説明いたします。


今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。

それではまた明日。
おつかれっした!




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