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目標宣言と練習の取り組み方について


論文を短時間で大量に。
今年の習得目標にしようと、ほぼ思いつきで決めました。論文なんて、一般的には好んで読む人はいません。普通の本と違って平坦な文章が多くて無機質。感情が動くこともなくて、よっぽどの理由がない限り、眠くて読み切れるものではないでしょう。

「査読」といって、客観的な視点で厳しい審査を受けたものだけが論文として認められるのですが、中には「?」と思ってしまうようなクオリティであることも少なくない。すべての論文が科学的に高い再現性があって、世のため人のためになるというものではありません。数十本に1本。きわめて意義ある論文となるとひと握りだと思います。

つまり、時間もお金も労力もかかるのが、論文からの情報収集。研究者、もしくはよほどのモノ好きでなければ手をつけないであろう、それが論文の閲読です。したがって質が高く社会貢献になる情報であっても日の目を見ないこともあるかもしれません。でも研究成果が実際に、社会や経済を発展させるものであるならば非常にもったいないこと。

私はスポーツビジネス領域で研究をすすめていますが、そんな小さな産業ですら、論文を手に取って情報収集をする人はきわめて少ないことを実感しています。現場の人間として、サッカークラブに勤務していたころの自分ですら、大学教授との打ち合わせほど退屈な時間はありませんでした。とても失礼な話、いまとなっては反省しかありません。

博士論文を書くようになって感じる「贅沢」
誰から命じられたわけでもない、自分だけの問いを自分で解く。そんな道楽をして誰に文句があろうものか。こんな贅沢は他にありません。「そうだったのか!」という腑に落ちるカタルシスほど、今の私にとって価値ある報酬はありません。そしてそのプロセスで出会う質の高い論文の数々。これをどうにかして現場に伝えたい。

ビジネスにおける実践と学術。その乖離は予想以上に大きく、原因は上述のとおり、論文の性質、前提や偏見があるからなのかもしれません。アカデミック側からみると、「読んでもらいたい」という承認欲求はあれど、現場の拒否反応を敏感に察知してか、積極的に現場に伝える研究者はけっこう少ないように感じます。プライドが邪魔するケースもあるでしょう。

論文を短時間で大量に

量をこなして質の高い情報をくみとり、必要とする人たちに伝えること。そこに一定のニーズがあるのではないか?そしてそれを担える人材はほとんどいないという未開拓市場において、「自分が生きる場所を見出せる」という仮説を立ててみたい次第です。

いずれにしても短時間で大量に論文を読む力を身につけることが先決。計画的にトレーニングに取り組む決意とともに、まずは一日15分、論文の閲読に取り組みます。モチベーションが高くても低くても、調子がよくても悪くても、焦らず「15分」を守って、80日程度続けてみます。無理をしてストレスや飽きを起こさないように慎重に。

時間を増やすことなく、短時間で負荷を高めていく。5ページが楽に読めるようになれば、1ページずつ増やすとか。15分以内で負荷をあげて、15分後には「ふー」っと息をついて疲労感を得られるような練習を毎日続けてみます。

6月くらいには、15分で論文一本を軽々読めて要約できるように。その後はプラス15分にして、英語の論文にチャレンジしてみます。9月ぐらいまでには、30分あれば日本語と英語の論文を1本ずつ読めるように。とりあえず今年はここまでいけたらOKでしょう。

フォロワーの皆さまにも進捗を共有して、自分にプレッシャーをかけてみよう。そして同時に、「何かにがんばる人」の励みになればうれしい。とにかくがんばってみます!

久保大輔




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