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人生の伏線とは、回収されるまではなかなか理解できないもの


AX(アックス)

遅まきながら読了しました。
推薦してくれた友人に感謝。

時間間隔を忘れてしまうほど
のめり込んでしまって、

今思い返しても
ゾクゾク感がとまりません。

かっこいいなと感じたのは
伏線」の張り方。

さらっと書かれた一文が
あとで重要な意味を持つ(伏線が回収される)

さらっと書いている割には、
なぜか記憶の檻にへばりついて、

引っ張って引っ張って出されたお預けは
感動を増幅させます。


人生も同じ。

人は意識するしないに関わらず、
重層的に伏線を張って生きています。

毎日
どんなことをして過ごしているのか?

将来の方向性を考え、
数年後に

「そういえばあのとき、夢を描いて
あんなことやってたよな。

それがこんな形で実現するなんて」

といった感慨。

このような「事後的」にわかることは、
必ずしも「事前」に考えていたことと一致しません。


「結婚」という人生の伏線もそうです。

結婚生活の成否は、
結婚してからお互いにどれだけがまんして、

努力して理解しあって助け合って、
という「事後能力」によるところが大きく、

結婚前に抱いた
相手の印象、理想、予想で押し切ろうとすると

うまくいかないと思います。

事前に考えていたことは、
いつか限界を迎えます。

伏線を回収するためには、
それなりに努力が必要とういわけですね。


■なので今、

ムダに思われる、
あるいは意味がないと感じられることも、

続けているとそれが伏線となって、

早ければ数週間、数か月、
遅ければ数年、十数年、

場合によっては十数年の歳月を経て
回収されることだってありえるわけで、

そのときはじめて

「ムダに思えたあの努力が、
こうやって繋がるのか」

と理解できるんだと思います。
伏線の回収には時間的な奥行きがあります。


■学校の勉強だって、

やたらめったら暗記させられて、
化学とか物理とか将来の何の役に立つんだよ(怒)

って先生にイキリタッテいた自分
を思い出しました。

先生からしたら

「いや、今お前に説明して理解できんのか?」

という感想だったと思いますが、

温かく抱きしめるように接してくれて
感謝しかありません。

今の人生、仕事の成果は

過去の無数に張りめぐらされた
伏線の数々が有機的に折り重なって結実したもの。

私はかつて国語が大嫌い。
読書なんか強制されなければ読みませんでした。

ですが「英語」に興味を持ち、
学んでいくうちに

「こりゃ日本語ができないとムリ」
ということに気づき、乱読がはじまります。

それが今の仕事
(戦略ストーリーを考えたり、ライティングしたり)

につながりました。

英語という伏線が、
なぜか日本語執筆能力という形で回収
されるなんて、

当時知るよしもありません。


■これに限らず、

先生や両親、師匠、友人より、
直接に、あるいは間接に敷いてもらった

人生の伏線は数多い。

自分の人生に、
それまで気づけなかった意味が付与されて、

驚きや感動、よろこびを味わう。

この瞬間こそ
人生の醍醐味といえるのかもしれません。


お世話になってきた人たち
からもたらされた人生の伏線を、

すべて回収することが恩返し。

これからは伏線を回収する旅、
そして同時に、

周囲に伏線を敷いてあげられるような
人間になりたい。


今日も一秒もムダにすることなく
がんばろうと決意した

清涼の朝です。


今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。

それではまた明日。
おつかれっした!




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