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未来型志向は、現状の破壊から

あなたは、いい結果が継続的に出ているとき「やり方」を変えるでしょうか?ホームランを連発するプロ野球選手が、普段の練習方法、1日のルーチン、食事、睡眠などに、今までとは違う新しい発想を取り入れるかどうか。模擬テストの偏差値があがり、あと少しで目標とする大学の偏差値に到達しようという学生は、テキストや講義などありとあらゆる勉強方法を試してきたため、開拓すべき新たな機会がなく、わざわざリスクを取る必要性も見当たりません。

「これまで通りのことをこれまで以上にがんばる」

うまくいっている人にとって、これが論理的に正しい戦略になるでしょう。ですが激動の時代を生きる私たち。「これまで通り」でうまく行くことはめったにないと言っても過言ではありません。変化する世界では、何かしら起業家精神の味つけが必要であり、新しいアイデアや知見をもってあらたなチャンスやリスクに備えることが求められると思っています。

努力を怠らず、誰よりも勉強して実践して、失敗して成長を遂げてきたと自負があれば、いつかどこかのタイミングで「知り尽くした」という感想を持ってしまう危険性があります。その前提に立っているとイノベーションは生まれません。このような前提にある組織もまた、改善を忘れ「いまのやり方が最高」と言って居心地のいい前提や安心できるシステムに依存し、危うい未知の領域に踏み込んで、自らの洞察や判断を試す機会を損失してしまいます。

去年「コンテナ物語」を読んで感動したことを思い出しました。「コンテナ」とは、あの立方体の箱。今までは屈強な港の男たちが人力で運んでいた荷物をコンテナ化して、鉄道との一体化を実現したり、運送業を、生産と消費者を結びつけるだけの異業種に依存した産業ではなく、独立した産業として逆に生産と消費のあり方を変えました。戦争での物資補給に使われて人命を救ったりもしました。

ですがコンテナが登場した当初は「反発」ばかりでなかなか浸透しません。乱暴に言えば、貨物の流れを断ち切ることで繁栄していたのがかつての港。運送業、卸売業、流通業などを一部に集中させ、流れてくる貨物を一旦せき止めて、あらためて送り出すという非効率が人々を潤していました。コンテナはその「間を抜く人」を排除するシステム。居心地のいい場所がコンテナによって荒らされるとしれば、反発しないわけにはいきません。

皮肉なことにコンテナの浸透が加速したのは「戦争」のおかげ。爆撃を受けて大きな損害を受けた港の復興は、更地というゼロベースから未来型の港を設計するというイノベーションを生みました。ロッテルダムはその象徴的な存在。当時、あたらしいハブ港として台頭、繁栄を遂げました。

居心地よく、楽しく、それほど苦労せずともなんとなく結果が出ていたのが他でもない私。もちろんそれなりに勉強し、動いたからこそという側面はあれど、「これまで通りのことをこれまで以上にがんばる」というメンタルだったことは紛れもない事実です。

個人的には「まだ若造」と思っていますが、世間一般的に見れば私は「おっさん」の部類に入るかもしれません。だからなのでしょう。「独立」という動きに懐疑的な視線を向けられることもしばしば。企業を頼りに定年まで走り抜くことがデフォルトであり、安全であり、家族がいればなおさら冒険すべき状況ではないというのが一般常識

「若い」という意識、そして数々の図書が教えてくれた「安心できるシステムに依存するリスク」が無意識レベルで体内に刷り込まれていたのかもしれません。危うい未知の領域に踏み込んで、自らの洞察や判断を試す機会を今、楽しめています。たとえはあまり適切ではないかもしれませんが、平穏な街を爆撃するかのごとく自分自身の現状を破壊して、ロッテルダムのように未来型の生き方を模索、設計していきたいと思います。

久保大輔




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