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正解があっさり陳腐化してしまう時代で僕たちはどのように思考すべきか?


予想もしていなかったいことが
毎日たくさん起きます。

あたらしい挑戦をしているときは
なおさら。

正解」がわからないので、

こっちに進んでは戻り、
あっちに進んでは戻り、

一向にスピード感がでてきません。

でもなんとなく
「いつか来た道」という感覚もあります。

過去に経験したことを
論理化して引き出しにしまっているので、

まったくあたらしい事象に出会っても、
「いつかどこかで見た風景」のように思える。

なのである程度確信をもって、
素早く意思決定できる自信があります。

そういう意味では、

経験したことは、
「そのまま」ストックするのではなく、

「論理化」しておくことが大事。

具体的なままでは、
他のあたらしい状況に対応できないですから。

具体のストックは単なる「雑学」

得られた経験は

ワンパターでしか使えず、
あたらしいパターンに応用できません。


■予測と構想。

前者は「未来はどうなるのか」
後者は「未来をどうしたいか」

「こういうものがあったら素晴らしい」

と夢見て構想したうえで、
発信して働きかけて、多くの人の共感を得る。

僕はこっちのスタンスが好きです。

正解」は探すものではなく、
自らつくり出すもの。たぐり寄せるものだと思います。

「これイケそう」

と思ったら迷わず実行。

「それ、うまくいくの?」

と問われれば、

「うまくいくようにする」

としか答えようがありません。

ユルイと言われればそうかもしれませんが、
それでいいと思っています。

徹頭徹尾、自分の頭で考えて
正解を求めるという態度は

悪いことではないですし
否定される理由もありません。

ですが、

最適解をすべて自分で導き出せる
と考えるのはちょっと「?」とも思います。

というか最適解って
事前に見つかるものなのでしょうか?


■今

あたらしいプロジェクト
に関わっていて

参加してくださっている人から
いろんな意見をいただいています。


「どうなるんでしょうか?」

と不安を言ってくださって
「どうなるのか」を知りたいと訴えます。

ただ、できる回答は

どうなるかわかりませんが、
僕はこうしようと思ってます

これ一択になります。

無責任と言われるかもしれませんが、

仕事は自由意志でやるべきだと思ってるし
自分はこうしようと思う」を貫くべきだと思ってます。

結果的に正しいかどうかは
わからないけど、「僕はこうする

現時点で、プロジェクト立ち上げ時点で
正解」を求めることはありません。


■僕は

マーケティングを学問として勉強し
仕事という実践の場で使ってきました。

世の中的にはたいした成果ではありませんが
一定の、社内では評価されうる数字は残してきました。

マーケティングというのは言うまでもなく
正解」を探す営み。

営業をする前に
うまくいくための確率をできるだけ上げる。

そのためにあれやこれや
準備に準備を重ねるわけですね。

ところがこの「打率」
よくて3割、せいぜい2割と言われています。

ピッカピカに磨き上げたマーケティングプロセスで
極めて理論的に正解を追求しても

10回の打席で
ヒット性の当たりは2割か3割。

でも何もしなければ1割5分です。

つまり「5分~1割アップ」させるのが
マーケティングの役割。

野球をイメージすれば
「違い」の大きさは明らかです。

なのでマーケティングは大事。
されどその程度、という前提は持っておくべき。

いくら論理的に「正解」であっても
それが他社と大同小異であれば

そのような「正解」に価値はありません。

マーケティングは優秀な家来であり
主人はあくまでも自分(自社)

自分はどうしたいのか?

主体的に想い、考える力をもって
未来を構想すべきだと思います。


■そんな

偉そうなことを言う僕も
かつては勉強ばかりで頭でっかちで

正解探し

をずっと考え続けてきた人間。

自らの五感を働かせて未来に思いを馳せる
なんてこと一切してきませんでした。

でも

少子高齢化社会とか
年金がどうとか

経団連から
年功序列、終身雇用の崩壊が叫ばれ

自然災害やリーマン

昨今のコロナ禍による
変化のスピードを目の当たりにして

正解」を出すことに意味があるのか?

と強く思うようになりました。
だって正解はすぐに書き換わる(陳腐化する)から。


僕は今まで
知的格闘から逃げてたんだと思う。

目の前に起きることを

シンプルに計算して、
ゲームのように正解を探して

断片的なデータを用いて
人生を生きてきました。

ある地点まではそれでよかった
のかもしれませんが

これからはそんな単純化モデルが
逆に自分を追い込むことになるのでは?

という恐怖にかられるようになりました。
だって正解はすぐに書き換わる(陳腐化する)

からです。


■そんなこんなで

挑戦の名にふさわしいプロジェクト
に携わり、もがく毎日です。


サッカークラブやサッカービジネスの「常識
から考えたら極めて異質

そんな取り組みに
嬉々として日々向き合っています。

見送っていい「常識」と
疑うべき「常識」

この二つを見極める選球眼
めちゃくちゃ重要ですが、

僕たちが当たり前の前提として
所与のものとして捉えている「常識」は

「今ここ」でしか通用しない
局所的、局時的な主観に過ぎない、

という場合もあります。

誰もが疑うことなく
信じ切っている前提や枠組みを

一旦、距離を置いて俯瞰して
相対比してみる。

「常識」や「正解」を
盲目的に価値とするのではなく、

「非常識」や「不正解」を
「常識」や「正解」に変えていく姿勢

を大切に、みんなで考え
前進していくプロジェクトです。

興味がある方はぜひ。
ただいま無料キャンペーン中です。


今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。

それではまた明日。
おつかれっした!




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