見出し画像

今に繋がる価値観を培った大学時代

僕は、新潟にある大学を卒業しました。当時としては、地元・新潟市内としては初の私立大学。卒業してから、もう25年以上が経ち、この度、母校の学校パンフレットの取材を受けました。

この記事は、取材された内容を自分で勝手に書き起こしたものです。写真については、以前に取材してもらったthingsさんから借用させてもらいました。その節は、素敵な写真と素晴らしい記事をありがとうございました。

小林 友さん|1998年卒業(新潟県立新潟南高等学校出身)

現在の仕事は「企画・デザイン会社」

僕は、今、新潟を拠点に、出版物や動画、Webサイトの制作をする「テクスファーム」でディレクターとして働いています。新潟国際情報大学(通称NUIS、以下NUIS)の卒業後に会社員をしながら、遊びでフリーペーパーの制作を手伝っていたことがきっかけで、広告やデザインの勉強はしないままに、今の会社の立ち上げに参加して、もう20年以上になります。

代表作は『美少女図鑑®︎』

会社のスローガンは「COOL LOCAL」

自分たちが暮らす街をもっと好きになってもらいたい。その思いを起点に、すべてのメデイアコンテンツを作っています。例えば、街にいる若者をモデルにしたフリーペーパーを創刊したのも、佐渡ヶ島ではない方の新潟の離島・粟島のプロモーションも、日本一のニット産地・新潟県五泉市の工場とブランドを立ち上げたのも、根っこには同じ思いがあります。

人口400人にも満たない小さな離島・粟島のプロモーションは2016年から担当
新潟県五泉市のニット工場・高橋ニットとの共同プロジェクト「toiro knitwear

地方都市には、素晴らしいものがたくさん埋もれている。それを正しく伝えたい。特に、五泉市のニット産業については、ある種の使命感を持ちながら取り組んでいます。

新潟県は、日本一のニット産地ながら、それを県民自身もよく分かっていない。聞けば誰もが知っている一流ブランドの製品も作られているのに、その事実も、技術の高さも伝わっていない。だから、僕は「有名ブランドにも負けない最高品質のニットを作って、わざわざ全国に流通させることなく、生産地だけで販売してみてはどうか」という企画を提案しました。そのニットを買うために産地に訪れ、工場の存在を感じたり、工場見学をして、その上でニットを購入する。実感や体験が伴うことで、地元のニット産業を少しずつ、正しく伝えていきたい。

こういう価値観は「都会への憧れ」や「数の論理」とは、真逆のベクトルかも知れません。現代社会では、主流の考え方でもない。大きな成功を掴むのも難しいと実感しています。しかし、それで良いと思ってます。成功のカタチも、それを得るための方法も、同じだという世の中なんて面白くもない。

この考え方に至るには、自分自身の経験が大いに反映されてます。10代の大学進学のとき、20代の就活のとき、そして、仕事が上手くいって東京進出の誘いがあった30代のとき、そのすべてのタイミングで、悩みながらも「地方都市の暮らし」を選んできました。

僕は、都会の高層ビルで休みなくバリバリ働いて高級車に乗るより、自分のペースで好きな仕事をして、週末は家族と過ごし、中古のバイクに乗って、昔の友だちに会いにいく。そんな暮らしにこそ魅力を感じるんです。この価値観は、大学時代に決定づけられました。

大学時代の小林友さん(写真一番右|初年度入学者である1期生のご友人と共に)

大学時代の僕ら

僕は、NUISの1期生だったこともあり、先輩もいない白紙のような大学で、いろんなことを自分たちで考えて行動することが出来ました。大学には、当時のMacの最新機種があったので、そのソフトを使って自主映画を作って大学祭に大講堂で上映させてもらったり、後夜祭と称して校内でDJイベントをさせてもらったり。

NUISは、自由で、大らかで、やりたいことを後押ししてくれました。僕のベースは、間違いなく、あの大学での4年間に培われたと思います。

大学時代の小林友さん(写真一番右|初年度入学者である1期生のご友人と共に)

NUISを目指す皆さんへ

大学は、一生の友だちさえも作れる場所。NUISで出会った友だちは、今もよく会う大切な存在。まだ何者でもない頃の、損得勘定のない人間関係を築くのは、社会に出てからでは難しい。自分の「やってみたい」を声に出せば、同じ思いを持つ人たちは、意外に近くにいるもの。

前述の自主映画にしても、僕が言い出しっぺだから、脚本みたいなものを書いて、監督みたいなことはしたけど、撮影したカメラは、友だち(医者の息子)のものだったし、編集したPCは大学のもので、編集したのもMacに詳しい友だち(卒業後は照明と映像の仕事に就て、今は家具職人)です。やりたいという思いは、口に出して、行動を起こして。失敗と成功を繰り返して、実現に近づいていく。こういう出会いや経験が、社会に出たときに、大きな財産にも武器にもなる。少なくとも、僕は、今もそんな感じで仕事をしています。

大したことない、地方都市の三流大学ですが、だからこそ、ちょうどいい。適度に自然があって、ちょっと足りないくらいの都会感は持っている。そういう新潟の、ゆっくりとしたペースに身を委ねる。四季を感じながら、その時々のイベントを自分たちの手で作る。

例えば、夏は授業をサボって大学近くの海に行ったり、冬は大学駐車場に降り積もった雪と除雪で積み重なった小さな雪山を削って、スノボのジャンプ台を作る。そういう、どうでもいい何かに夢中になれる友だちとの時間。25年以上経った今も大切な思い出です。僕のやっている仕事も、遊びも、家族との時間も、すべては、大学時代の延長線上にあるような気がします。

誰かに用意してもらった便利なエンタメを消費するより、不便から何かを創造する。一緒に楽しむ友だちを見つけるには、ちょうどいい大学。すべての人に、お薦めすることは出来ませんが、僕にとっては、何ごとにも代え難い素晴らしい4年間を過ごすことが出来ました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?