チェロと宮沢賢治 を読んで

チェロと宮沢賢治 ゴーシュ余聞 著者:横田正一郎(1998年)  
という本を読了した。

これは宮沢賢治の生涯、思想についての研究書の一つと言えるだろう。しかし、実際に賢治が所有していたチェロを鍵として、自身も趣味でチェロを弾くという朝日新聞記者であった筆者が、賢治とチェロの出会い、チェロが賢治の思想や文学に与えた影響、はたまた賢治のチェロの腕前はどうであったか、など今となっては知る由もない当時の様子を資料や関係者の遺族へのインタビューから謎解きのごとく紐解こうと試みたユニークな研究書である。

読後、とくに印象に残った箇所を健忘録としてあげておく。概要や要約ではない。
・宮沢賢治の世界展が1995年から1996年まで日本各地を巡回したが、東京57246人、名古屋24000人、大阪23000人等に比べて京都9914人、という入場者数の少なさに言及。「こんなところにも「わび」とか「さび」とかの日本の伝統文化とは異なる賢治の特質が現れているようなきがするのだが、どうだろうか。」(引用)とある。 なるほどなぁ~。

・宮沢賢治は当時最高級ランクの鈴木バイオリン製(1926年製)チェロを購入している。筆者は購入年度、店や購入価格を当時の記録に探るが、結局真相は不明。東京で新品を値引きしてもらって購入したか、中古を購入していた可能性あり。 当時の鈴木バイオリン価格表の写真も掲載されており、詳しい人には興味深い資料だと思う。

・ 「セロ弾きのゴーシュ」はなぜ「チェロ」ではなく「セロ」表記なのか。筆者によると、celloはイタリア語(原語)では「チェロ」と発音されるが英語ではスペルのとおり「セロ」と発音される時期が時代的にあった。(現在は英語でも「チェロ」と発音変化) 賢治の時代はアメリカから入った「セロ」発音が日本で使用されていた時代。その後1940年戦争中に日本の音大の資料から「セロ」表記が消え「チェロ」に統一されている。 敵国語を避けた模様。とのこと。
  面白い話だ。 「チェロ弾き」よりも「セロ弾き」のほうが語呂が良くて音のイメージ的にもオノマトペ好きの賢治好みだったのかもしれない、と思った。

・賢治は「チェロ学習ノート」を残しており、その写真が掲載されている。
右手の弓の持ち方をイラスト付きで図解している。著者の感想として「かなり考えながら消化しようとしている(引用)」とある。 
 う、、、 30過ぎでチェロを始めた賢治の苦心の様子が、大人チェロあるあるすぎて、私には手に取るように分かる、、、。

・賢治は音楽教師である親友、藤原嘉藤治がピアノ、バイオリン、チェロを弾いていたことからチェロが身近だったようだ。 賢治は自分の高価なチェロを嘉藤治のおんぼろチェロと交換している。 嘉藤治のチェロは横に穴があいていたので、それが「セロ弾きのゴーシュ」のチェロのアイディアになったのだろう、とのこと。 嘉藤治に譲られたチェロは、その後藤原から賢治の遺族に返還されて現在は宮沢賢治記念館に展示されている。一方、嘉藤治の穴あきチェロは空襲にあった宮沢家で焼失した、とのこと。
 賢治は自分の腕前にはこの楽器は分不相応と感じて譲ったのか、チェロ自体にもう飽きてしまったからなのか、きっと2年ほどやって上達しないのであきらめた部分もあるのだろうと同情してしまう。でもおかげで貴重な賢治のチェロは空襲による焼失を免れることができたのだから、大きな力に導かれて助かったのだなぁと不思議な感覚になる。

とりあえず、今日はここまで。(2022年3月10日)
また追記する予定。



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