渡米の思い出とハードロック

かれこれアメリカに来て5年が経ってしまった。Jビザのうちに次のポストを見つけておこうと思っていたのに間に合わなくて、H1Bに切り替えてもらった。それに付随してポスドクからResearch Scientistなる地位になり給料も上がってしまった。助けてもらったのに待遇が良くなった。気を取り直して就職活動をしながら新しいデータを貯めている。人生設計も研究もなかなか思い通りにならないけれど、なんとかやっていくしかない。そういうものだ。

思えば5年前はバタバタと住まいを畳んで渡米してきた。そのときも自分の任期が切れて給料が無くなるというのであわてて仕事探しをした。ボスが引退間近だったおかげでいずれにせよ出て行かざるを得なかったので海外に決めた。12月ぐらいに今のボスにメールして年明けに決まった気がする。大変右往左往していた。特に家具やらなんやらを処分するのでてんてこまいになり、夫婦でズタボロになった。ある日なんて、荷物を片付けながら妻がひとり部屋で泣いていた。

手がちぎれそうなぐらい重い荷物を抱えて成田空港まで行くのも心が折れそうになったけれど、もう家を解約したあとだったので完全に根無草だった。びっくりするぐらい心細かったけれど退路は断たれていたのでやるしかなかった。荷物を預けてなんとか飛んだデルタ航空はプレエコのおかげで少し広かったけれど、妻の座席は壊れていて座席のリクライニングが勝手に上がってきた。CAさんに文句を言うとマイルをあげるわねと言われ、そのままチケットの半券を持っていった。そして半券は2度と帰ってこなかったし、もちろんマイルも貰えなかった。

乗り継ぎで着いたデトロイト空港は4月だというのに雪だった。乗り換え時間が90分しかないのに入国審査で90分以上かかった。挙句に激重の荷物を一度受け取らねばならぬ。絶望しかない。ヘタクソな英語でカウンターの人に助けを乞うとあっさり次の便にしてくれた。次の便とはいえ登場まであと20分ぐらいしか余裕がなくて、巨大な荷物を抱えたまま巨大なデトロイト空港を疾走した。しんどいし惨めで心が折れそうになりながら最後の力を振り絞って搭乗口に着いたら、乗るはずの便は見事に遅延していた。突然現れる1時間の余裕。遅延してるかもなんて当時は思いつきもしなかった。そもそもイミグレで90分かかるなんて思っていなかったし、リクライニングシートはコントロールできると思っていた。何も把握できていない自分があまりにも情けなかった。とりあえず水でも買おうと思い自販機を見つける。あまりにオンボロの自販機にクレカを入れなければならないのはめちゃくちゃ怖かった。水すら自信を持って買えない。

その後もNYでフライトが遅延し、結局のところメイン州に着いたのは23時過ぎだった。強風のなか雪が残る空港から直結のホテルに移動して、チェックインする頃には日付も変わっていた。いったい自分が今どこにいて何をしているのか全然理解できないままカウンターで手続きをしていると、ホテルのスピーカーからラジオでFoghatのFool for the Cityが流れる。全くもって予想外の選曲にびっくりした。ああ、自分はロックの国に来たんだなと心の底から理解できた瞬間だった(Foghatはイギリスのロックバンドだし全然Going to the Cityでもなんでもなくてこれからド田舎に住むんだけど)。ちなみにFoghatは日本では特に知名度のないバンドではあるけれどアメリカではどうかといえばたぶんアメリカでも微妙なところで、地元の古いロックばかりかけるラジオ局を聴いていても1年に1回流れるかどうか、というところである。ちなみにVan Halenは1時間に1回は流れる。

その後すぐに車を買ったはいいものの、もちろんCDなんかは日本に置いてきたのでそれ以来ずっとラジオを車内で流している。前述のローカル局はびっくりするぐらいアーティストも曲もバラエティがなくて、下手すると1日に何度か同じ曲を聴くこともあっる。ロックに理解のある妻ですらチャンネルを変えてくれと言ってくる。とはいえやはり、今ロックの国に住んでいるんだなと心から実感できるのはこのラジオを聴いているときなのである。AC/DC(オーストラリア)、Led Zeppelin(イギリス)、Def Leppard(イギリス)、Rush(カナダ)と多国籍ではあるけれど、不思議とアメリカを感じるのである。


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