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世界はつながっているー 弱い立場に追いやられている人たちほど、社会や経済の仕組みを知り、仲間と手を合わせて立ち向かい、そのシステムを越えるものをつくる必要がある ⑤-2

Fascism(ファシズム)は常に私たちの身の回り(多くの人々の心の奥底)にあり、最もイノセントな見せかけで戻ってくる。特徴とパターンをよく観察することが大切。

Fascism(ファシズム)という言葉も、どう定義するかは、専門家の間でも意見は分かれます。
さまざまな見方があるのがごく普通のことで、それらの人々がどういう角度や視点から見ているのか、といったことを考えながら、書いてあることの意味をよく理解し、自分の意見をつくっていくことが大切です。

ファシズムと聞くと、反射的にドイツのヒトラーや、イタリアのムッソリーニを思い浮かべるかもしれません。
怒鳴るかのような演説スタイルは似ていても、この二人が行ったことは、かなり違うようにも見えます。

Martin Wolf(マーティン・ウォルフ)さんは「Martin Wolf on democracy's year of peril(差し迫った危険がある民主主義の年)」というポッドキャストで、イタリア人哲学者・作家であるUmberto Eco(ウンベルト・エーコ)の1995年出版の著作、「Ur Fascism(英語では、永遠のファシズムという意味でのタイトルに翻訳)」を基に考えを展開しています。
ウンベルトさんは、ファシズムというのは、その中に相反するイデオロギーや異なった政治思想や哲学が無規則に集められたコラージュのようであり、多くの矛盾が集まった蜂の巣のようなものだと述べています。
ここからも、ファシズムが、イタリアのムッソリーニやアメリカの元トランプ大統領のように、さまざまな要素が混在したファシズムもあれば、ドイツのヒトラーのように、ソヴィエト連邦のスターリンが行ったtotalitarianism(トータリタリアニズム/全体主義)に近い、完結した政治的なプログラムであった場合もあるのは不思議なことではなく、ファシズムについてなんだか曖昧な印象を持つのも当然かもしれません。

マーティンさんは、「民主主義に差し迫った危険」という視点から、今現在、アメリカやヨーロッパに台頭したファシズムを分析していますが、ヒットラーやムッソリーニが主導したファシズムも現代のファシズムも、tenet(テネット/教義・信条)は同じだとしています。
前者の20世紀前半に台頭したファシズムは、軍隊を巻き込んだ集権的に組織されたものでしたが、現代のファシズムは、軍隊を巻き込む必要はなく、ソーシャルメディアが、プロパガンダや、人々を実際の行動に移す役割をほぼ果たしています
例えば、アメリカの202年1月6日に起こったアメリカ連邦議会襲撃では、軍隊が動いたわけではなく、元トランプ首相の演説が直接のきっかけで暴徒が連邦議会を襲撃し、死者を出しました。
そこにいたるまでは、ソーシャルメディアやテレビ・極右派のウェブサイトやポッドキャスト等でも、この襲撃を促す、或いは襲撃を正義と思い込ませるような多くのポスティングや拡散がありました。

現代のファシズムと20世紀前半のファシズムで似ている点は、どちらも、anti-liberal(アンティ・リベラル/反自由主義)の要素をもっていることです。
ナチスが台頭した時代は、その前にビスマルクがドイツを統一した(=自由主義、グローバルな普遍性)時代で、ナチスの台頭は、この新しい動きに反対するする反自由主義の要素が大きく影響しています。
この反自由主義の要素としては、以下が挙がっています。
これは、地球上のどの地域でも同じですが、現れ方はその地域の文化や歴史によって違ってきます。

  • 国民全体としての伝統的な社会のハイラルキー(特に、女性は男性よりも下)

  • 伝統的な社会行動(特に女性の性的な行動を男性によってコントロール)

  • 正統なリーダー

  • 新たな挙国一致の感覚

アメリカの場合は、ファシズムの台頭には、(捏造された)人種(実際には存在しなかった想像上の)素晴らしい過去、が関わっています。
アメリカは、アフリカから強制的に攫ってきた黒人たちを不動産扱いする奴隷制を用いて、豊かになった国であり、この奴隷制、人種(奴隷の所有主は白人、奴隷は黒人)は、経済の仕組みの中に根付いています。
この奴隷制は、とても少数の白人のプランテーション所有者に多大な富をもたらしましたが、圧倒的に多数の貧しい白人労働者を、黒人たちと結束してプランテーション所有者に抵抗をしないように、イデオロギーを必要としました

どんな民主主義システムの中でも、金権政治は多くの人々の支援を得る方法を探す必要があります。
実際は、少数のオリガークのみがすべての富を奪い取るとしても。
これには、大きく分けて二つの方法があります。

一つは、リベラル、保守主義、社会主義のやり方で、成功した経済をつくることです。
誰もがものごとは自分にとってうまくいっていると感じ、権威をもっている人たちはよい人たちで、好かれていて尊敬されているー私たち大衆によくしてくれるから。

もう一つは、アイデンティティーを捏造し利用することです。
これは、左派にも右派にも使われる手段です。
アイデンティティー政治では、Culture(文化)が大事な要素ですが、これは、捏造されたものでもあります。

マーティンさんは、もし、富がフェアに分配されていれば、ファシズムの台頭は起こらなかっただろう、としています。
マーティンさんのポッドキャストや記事からは、資本主義には富の分配が偏りがち等の問題はあるとしながら、資本主義と民主主義の組合せがベストであるとしているのをよく聞きます。

次に出てくるヤニスさんは、資本主義自体が問題だとしています。

マーティンさんの両親はユダヤ系オーストリア人でお祖父さんはヒトラーがオーストリアを支配することを知って、すぐに漁船を買い、家族・親族一同で逃げる算段をしましたが、ほかの親族は一緒には来ず、ほぼすべての親類は強制収容所で殺され、マーティンさんは終戦直後に家族が亡命したイギリスで生まれます。
こういった背景も影響しているのだろうし、1940年代や1950年代に生まれた人々は、西側社会にいた限り、資本主義のよいところを味わったせいか、資本主義を盲目的に信じているように感じることがあります。

ファシズムというと、ギリシャやスペイン、ポルトガルといった国がファシズムの特徴を色濃くもった軍事独裁政治からぬけだしたのは、そう昔のことではなく、1970年代前半のことです。
そのため、ギリシャ人経済学者・政治家のYanis Varoufakis(ヤニス・ヴァルファキス)さんがドキュメンタリー映画、「In The Eye Of The Storm」で語っていますが、子供の頃に軍事クーデーターが起こり、左派であると判断された父が突然軍隊警察に連れさられた日のことを覚えているそうです。
朝早くに、突然軍隊警察が家のドアを蹴り倒し、無理やり父を連れていく、という乱暴なものだったそうです。
父は、共産党ではない、という声明文にサインをすれば釈放してやると軍隊警察に言われたそうですが、「自分がたとえ仏教徒でなかったとしても、自分は仏教徒でないという声明文にはサインしない。誰もが、思想の自由をもつ権利がある」として、拒否したので6年近く投獄され、拷問も受け、実際に目の前で殺されていく人々もいたそうです。
命が助かったのは偶然ですが、このドキュメンタリー映画で撮影に協力した父は、今でも自分の信念を守ったことは後悔していない、としていました。
ちなみに、軍隊警察は、イタリアでは今でも名残は存在し、政府に所属する警察(Polizia/ポリツィア)と、軍隊に所属する軍隊警察(Carabinieri/カラビニエリ)が共存し、イタリア人たちに聞いても地域によったり、どっちの駐屯地が近いか等によって、犯罪や困りごとをどちらに報告するかは、まちまちなそうです。

軍隊の独裁政治が終わったからといって、瞬時にすべてが変わるわけではありません。
ヤヌスさんは、高校時代に左派の集会等に出ていたことで、突然警察に連れ去られ一日牢獄に入れられた後、釈放されたそうです。
彼がギリシャにこのままいると政府や警察に何をされるか分からないと悟った両親は、ヤヌスさんの身の安全のために、彼をイギリスの大学へと送ったそうです。

ウンベルトさんにもどりますが、彼は、幼少期に実際にイタリアでファシズムの時代を過ごしました。
ムッソリーニの影響力が強くなってきたのは1932年ですが、ウンベルトさんは、このころ既に10歳で、学校では、ムッソリーニの演説の一部を暗唱させられたそうです。
第二次世界大戦が終わった日は、国によって違います
日本では8月15日に天皇の終戦宣言がありましたが、イタリアの終戦は4月です。
他のヨーロッパの国々でも第二次世界大戦の終戦日はさまざまだし、ヨーロッパでも第二次世界大戦に加わらなかった国々もあります。
イタリアの場合、1943年にムッソリーニは政府から締めだされ、その時点でイタリアは日独伊の三か国連盟を抜けて、アメリカ・イギリス側につき、ムッソリーニは自分の政府を打ち立てましたが、1945年には殺害されました。

個人的には、ウンベルトさんの以下の記述は、今の状況にも十分合致すると思います。

ウンベルトさんは、このエッセイ(1995年発行)の中で、ファシズムを定義し、どのような特徴があるかについて説明しています。
なぜ特徴やパターンを見ることが重要なのかというと、ファシズムや虐殺は、特徴やパターンが同じでも、時代や地域が違えば、違った見かけをしていることがあるということからきています。

ウンベルトさんは、ファシズムは今でも私たちの周りに存在しているとしています。
普段着(=ファシズムであることを示す分かりやすい制服を着ているわけでない)で現れることもあります。
「もし誰かが、「またアウシュヴィッツを開きたい(=ナチスが行った大量虐殺場所)、イタリアの広場で黒シャツ隊のパレードをしたい(=黒シャツ隊はファシズムを主導した民兵組織で黒の軍服が制服だったことからきている)」と言えば、(ファシズムであると)分かりやすいですが、そういうわけではありません。
人生はシンプルではありません
ファシズムは、最もイノセントにみえる偽装をして戻ってきます
私たちの義務は、どんな新しい(ファシズムの)現れを、暴き、指さすことです。
毎日、世界のすべての場所で
Franklin Roosevelt(フランクリン・ルーズヴェルト)元アメリカ大統領の1938年に行われた演説は、思い出す価値があります。
「もしアメリカの民主主義が、大多数の私たちの市民の生活を、平和な方法で、昼も夜も常に良くする生きた力として前に進み続けることをやめれば、ファシズムは、私たちの国土に勢力を強めていくでしょう。Freedom(自由)とLiberation(解放)は、終わりのない仕事です」

ウンベルトさんは14のファシズムの特徴を挙げていますが、興味深いと個人的に感じたことのみ挙げています。※直訳ではありません。

  • カルト的な伝統へのこだわりと近代的・論理的なことへの嫌悪

  • 過去(多くは、実際には存在しなかった想像上の過去を崇拝

  • 論理的に考えることは「無力化・去勢」と観られ、知識人・知識層は疑いの目で見られ、公式なファシズムに属する知識人は、現代文化や知識人を攻撃することにもっぱら力を費やします。理由は、「伝統的な価値観」を裏切っているから、です。 

  • 近代科学では不賛成・違う意見をもつことは、改善のために喜ばしいこととされるが、ファシズムでは、国家への反逆

  • ファシズムは、人間のもつ自然な、違うものへの恐怖を煽り、それを利用・操作して大衆の同意を求めます。ファシズムの最初の現れ、或いは時期尚早の現れは、侵入者(敵対する国々の人々だったり、国内にいる移民、マジョリティーとは異なった宗教やアイデンティティーをもつ人々)に対する抗議・非難です。ここからしても、ファシズムは本質的に人種差別主義者です。

  • ファシズムは個人や社会の不満から派生します。歴史的なファシズムの最も典型的な特徴は、不満をもったミドルクラスへのアピールです。
    ミドルクラスは、経済危機から苦しんでいたり、政治的な屈辱を感じたり、下位の階層グループ(自分たちより貧しい/権力・経済力が弱い)からのプレッシャーに恐怖を感じています。私たちの時代では、古い時代の無産階級が、下位の小金持ちへと移行し、同時に社会の底辺にいた人々は政治に関る場面から大きく取り除かれます。明日のファシズムは、この新たなマジョリティーの中に聴衆・サポーターを見つけるでしょう。 

  • 明確な社会的なアイデンティティーを奪われたと感じる人々に対して、ファシズムは、人々のもっている唯一の特権は、最も共通のもの、同じ国に生まれたことだと語りかけます。
    これは、ナショナリズムの起源、「国」にアイデンティティーを与えることができる唯一のものは、「敵」です。そのため、ファシストの心理の根っこには、陰謀への執着があります。このファシズムのフォロワーは、(敵に)包囲されていると感じなければなりません。この陰謀を解決する一番簡単な方法は、xenophobia(ゼノフォビア/外国人嫌悪)です。でも、この陰謀は内側(=国内)からもこなければなりません。ユダヤ人は通常一番簡単なターゲットです。なぜなら、彼らは内側(=ユダヤ系ヨーロピアンは、肌の色といった見かけや、言語もほかのヨーロピアンと見分けはつかないし、その国で数世代に渡って暮らしていてその国の国民)でありつつ外側(=ユダヤ人というアイデンティティーを併せ持っている)でもあります。

  • ファシズムのフォロワーは、「敵」のこれ見よがしの富と力に屈辱を感じていなければなりません。
    例えば、ユダヤ人たちは金持ちで、極秘のお互いをサポートしあう複雑な仕組を通して(ユダヤ人間のみで)助け合っている、といったことを信じるように言われて育ちます。しかしながら、ファシズムのフォロワーたちは、(敵は自分たちよりも権力や経済力をもっているという教えとは反して)自分たちは、敵を倒せる力があると信じ込まされなければなりません。敵は強すぎる、同時に敵は弱すぎるという修辞的なフォーカスの間を絶え間なくシフトします。ファシスト政府は敵の力を客観的に判断することができず、戦争に負けて非難されます。

  • ファシズムでは、生きるための闘争はありませんが、闘争のために生きる人生となります。
    そのため、平和主義は、敵との不正取引とみられます。人生は、永遠の戦争です。でも、これは解決しようのない矛盾をもたらします。敵は(自分たちに)負けなければならず、最後の戦闘がなければならず、その後は世界を(自分たちファシストが)コントロールすることになります。でも、この「最後の解決」は、平和な世界となることを意味し、永遠の戦争という原則と矛盾します。この矛盾をうまく解決したファシスト・リーダーは、まだいません。

  • 弱者への憎しみ・軽蔑が強い。Elitism(エリーティズム/エリート意識)は、どんな反動的なイデオロギーにおいても典型的な側面ですが、貴族・上流階級が存在するには、下流市民が必要です。貴族的・軍事的なエリート意識は、必然的に、弱者への憎しみ・軽蔑をもたらします。

  • 上記のような見方のため、誰もが英雄になるよう教育されています。
    どんな神話でも英雄は例外的な存在ですが、ファシズムのイデオロギーでは、英雄になることが標準・普通となります。この英雄カルトは、厳密に死のカルトと結びついています。スペインのFalangism(諸説はあるもののファシズムのイデオロギーをもった政治的なイデオロギーの一つ)のモットーが、「Long Live Death/永遠の死を」というのは、偶然ではありません。ファシストでない社会では、普通の市民は、死は不快なもので、尊厳をもって立ち向かわなければならない、と言われます。
    でも、ファシズムの英雄たち(ファシズムの社会に生きる男性全て)は、英雄的な人生への最高の褒美として、英雄的な死に強く憧れます。
    ファシズムの英雄たちは、(早く)死ぬことに性急ですが、その我慢のなさは、しばしば他の人々を死に追いやります

  • 永遠の戦争と、英雄敵行為はとても難しいことなので、ファシズムは、権力への意志を性的なことに移転します。
    これが、machismo(マキズモ/女性への軽蔑と標準ではないとみなされた性的な慣習への不寛容さと糾弾)の起源です。

  • ファシズムでは、個人は個人としての権利や自由をもつことを許されず、Common Will(コモン・ウィル/共通の意思)をあらわす一体化した存在と見なされます。大多数の人々の意見が一致することはないので、リーダー(=独裁者)が、大多数の人々の意思や意見を代表して解釈するというふりをして、自分の権力を保つために都合のよい共通の意思を捏造します。市民たちは、意見や意思を委譲するという力を失っているので、(抵抗するような)行動はせず、ただ単に自分に与えられた役割を演じるだけの、舞台で演じる役者のようなフィクションのような存在となります。

  • 複雑でクリティカルな理由づけをする手段を制限するために、教科書に載せる言葉は貧相で単純な語彙と初歩的な構文とする、新たな言語を作り出します

ドイツの神学者だったMartin Niemöller(マルティン・ニーメラー)さんは、ナチスをサポートした時期もあり、当時多くの人々にしみわたっていたユダヤ人蔑視・差別の考え方ももっていたようではあるものの、ナチスが迫害対象をどんどん広めていくのを見ながら、「自分には関係ない(=自分は共産主義者じゃない、障害者じゃない、ユダヤ人じゃない)」とみて見ぬふりをしていたら、最終的には自分も迫害対象となったとき、そのときには自分のために声を上げてくれる人はいなかった、と言う内容の詩を残しています。
彼の場合は、運よく生き残ったものの、地球上のどこでも、ファシズムがまた違った形であらわれるのを防ぐ、或いは広がる前に消すためには、私たち一人一人の心の中の、他者に対する恐れや憎悪の正体をみて、問題の本質を見極め、経済システムや地球上の多くの人々を苦しめる抑圧に対してチャレンジすることが大切でしょう。
個人が日常的にできることの一つは、特に、誰が上で下か、といったヒエラルキーを作ること(権力の崇拝を作る)を、無意識・意識的にしないことは大切です。


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