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芸術は、必ずしもすべての人々が賛成しない多様な世界で、人々が出会える重要な橋となりうる

コソボ出身芸術家 Petrit Haliajs(ペトリ・ハリアジュ)さんは、イタリア・ドイツ・コソボを行き来しながら活躍する芸術家です。近年では、Tate St Ives(テイト・セントアイヴス美術館)で、展覧会を開きました。ここから、Youtubeで展示の中で展覧会について説明するジャコモさんのインタビューをみることができます。
ちなみに、このSt Ivesはイギリスの西の果てにあるコーンウォール地方の一つで、海の目の前に立っている美しい建物です。家族の仕事の関係で、コーンウォールとロンドンを行き来していた期間があるのですが、中心地のFalmouth(ファルマス)あたりは、海沿いを歩ける遊歩道もたくさんあり、近くの島々も小さなボートで簡単に訪れて歩くことができ、自然の中を歩くことが好きな人、海の好きな人にはお勧めです。ロンドンからは、電車で6時間近くかかりますが、途中のDevon(デヴォン)地方を通過するときには、海の真横を電車が走り、長時間の旅行も苦にはなりませんでした。夜行電車も運行しています。

ペトリさんに話が戻りますが、ペトリさんは、1986年に現コソボ共和国で生まれます。
ペトリさんは、コソボ・アルバニア人で、1998年のコソボ戦争の際には、コソボ・アルバニア民族に対する虐殺がセルヴィア系民族によって起こり、13歳のときに、母と兄弟・姉妹とともに、国境を越えてアルバニアの難民キャンプへと命からがら逃げます。父は、コソボに残っていたそうです。実際は、戦争が突然起こったというよりも、戦争に至るまでに、子供時代の多くは、コソボ・アルバニア民族の文化や慣習に関する活動・言動は厳しく検閲され、伝統行事も全て禁止されていて、子供心に常に恐怖を感じながら過ごしていたそうです。
「自分が自分である」ということが許されないし、表現することも命にかかわるような状況だったそうです。虐殺が起こる過程は、どの民族や世界の地域で起こるかに関わらず、まず最初に特定の民族やグループを非人間化する言葉から始まります。ホロコーストでは、ユダヤ人は人間じゃない、というプロパガンダが長期間行われ、現ロシアでも、ウクライナはフェイクの国でウクライナ人は存在しないというプロパガンダが長年行われています。そのため、こういった特定のグループの人々を非人間化する言葉には、とても気をつけなければいけません。

ペトリさんが難民キャンプにいる間、イタリアから精神科医、Giacomo Poli(ジャコモ・ポリ)さんが子供たちを助けるために2週間難民キャンプに滞在しました。
ジャコモさんは、子供たちに紙と絵具/クレヨン等を配り、みんなで絵を描いたそうです。
言葉ではなく、絵を描くということは、ペトリさんをとても助けたそうです。
ここで描いた絵は、実際に見た兵士たちの姿や建物が焼き払われたり、景色の絵だけでなく、想像で描いた絵も混ざっています。子供の頃は、見たこともないオウムが大好きで、オウムの絵やオウムが住んでいるだろうと想像した熱帯地域のような景色を描いた絵もあります。
また、この絵のうちの一つは、Runic House(ルニック・ハウス)と呼ばれる建物ですが、焼き払われたと聞き、悲しくなり、実際に見ることなしに想像して描いたそうですが、後年になって、実際に焼き払われた建物が自分の想像で描いたものとほぼ同じで驚いたそうです。
上記のテイト美術館のYoutubeのインタビューでは、難民キャンプから報道された当時のニュース番組のクリップがあり、13歳のペトリさんが「いろんなことが不安だけど、絵を描いている間は悲しくない。」と言っているインタビューがありました。

この展覧会では、この難民キャンプで描いた38枚の絵を元に、展覧会を組み立てます。
子供時代の絵を振り返ることを思い立ったのは、今でも世界中で起こっている、ディプロマシー(外交)で解決できない抗争や紛争が終わらないことからだそうです。ペトリさんが子供の頃に、大人たちが解決できなかったことに振り回されたように、多くの抗争や紛争で大きな犠牲を払うのは、立場の弱い子供たちや女性たちです。

ペトリさんは、以下のように述べていました。

2つの異なったグループが同じことをみることができないか、同じことに対して完全に異なったものを見ているとき、癒すには長い時間がかかる。これらの視点を変え、新しい視点を持ち込む、だから人々は何か新しいものをみて、再び、それぞれが必要なお互いのスペースを認めることができる

僕は、必ずしも全員が賛成しない、異なったシステムと異なったグループの組み合わせを信じている。芸術という行動は、このみんなが出会える場所としての重要な橋となりえる。

展示は、難民キャンプで描いた子供のころの絵をとても大きくして切り抜き、美術館の天井からつるし、人々は、これらの絵の間を歩くことができます。
同じ絵を見ても、何を思うかは違うでしょう。
この中には、子供のペトリさんが泣いている絵も含まれています。
多くの兵士やタンク、焼け落ちた家々に混ざって、想像したカラフルなオウムや熱帯地域の景色も混ざります。

多くの独裁者は、芸術家をひどく恐れて迫害しますが、この展示会でも、一瞬で直観的に、さまざまな人々の立場や視点から痛みや悲しさといったことを感じることを可能とします。
この芸術家たちの人々の心に一瞬にして直観的に働きかけることのできる力は、どんなに権力や兵力を持っている独裁者にも確かに恐れるべきことであり、私たち市民の大きな力となるでしょう。

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