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首相交代 ー イタリアの場合

イタリア人の夫の家族の家に1週間ほど滞在していたのですが、政治を皮肉ったり揶揄する番組では、新首相のGeorgia Meloni(ジョルジア・メローニ)さんがベル(手にもてるサイズの小さいもの)を渡されて、鳴らす場面がよく使われていました。
この意味が最初は分からなかったのですが、イタリアでは伝統的に、首相交代の際に、前首相から新首相へとこの小さなベルが手渡されるそうです。
このベルは、閣僚会議の際に、議論をコントロールするために使われるそうです。(みんなに静かにしてほしいときや、議会を始めるとき等)

イタリアも他のヨーロッパの国々同様、国民間での断絶がとても大きくなっていて、今回は、移民問題や家族に焦点を当てたファシストと見なされている「fratelli d'italia (フラテッリ・ディ・イタリア)ー直訳はイタリアの兄弟ですが、日本語ではイタリアの同胞と訳されているようです」の党首のジョルジアさんが、当選しました。

イギリスや他のヨーロッパの国々では、このファシスト政党の台頭により、イタリアの政策がどう変わるのか不安を感じている人が多いものの、この小さなベルを前首相のMario Draghi(マリオ・ドラギ)さんから手渡され、笑顔で小さくベルを振っていたジョルジアさんの姿は、イギリス首相交代の仰々しさ(日本と似ていて国王や女王に報告した後、大きなスピーチ)に慣れている目には、簡素で民主主義的で、ほほえましくも映りました。
このファシスト政府の台頭を不安に思っているイタリア人たちには、もちろん、微笑ましくもなんともなく、忌まわしい姿でしかないので、風刺を行うコメディアンたちは、これを皮肉に使っています。
私は、イギリスのスタンダップコメディーのSatir(風刺)が大好きですが、イタリアの場合は、言葉だけでなく、もっと身体を使った(ダンスや歌等)Satir(風刺)が多いかなという印象があります。

ちなみに、イタリアは第二次世界大戦後の国民投票で王室を廃止し、Republic(民主共和国)を選択したため、大統領と首相が存在します。
首相が頻繁に変わることで有名なイタリアですが、歴代大統領は今までのところ、常に国に安定をもたらす役割を果たし続けていて、国民からの信頼は篤いそうです。

前首相のMario Draghi(マリオ・ドラギ)さんは、Technocrat Goverment(テクノクラット政府ー専門性、特に科学や技術的な知識や経済の専門性、に基づいて選ばれた決定者たちで形成される政府)での首相で、日本発ゲームの「スーパー・マリオ」という愛称があり、経済を安全な方向へと舵を切ったという定評はあるようです。

なぜ、ジョルジアさんは、今回多くの票を集めたのでしょうか?

理由はいくつかあるものの、他の右派の政党(例えばLega(同盟))に普段は投票している人々が、「イタリアの同胞」に大きく流れたと見られています。
「イタリアの同胞」を除く右派は、ドラギ前首相の政府に連立政党の一つとして存在しながら、移民問題や経済問題についても決定的な手を打てなかったという定評があります。ジョルジアさん率いる「イタリアの同胞」は連立政権には過去に一度も加わらず、常にOpposition(オポジションー反対)政党としてあり続けたことが有効に作用したのではないかと見られています。

また、イタリアの中道派や左派が、彼らの中でうまく協働できなかったのも、一つの原因ではないかと見られているようです。アメリカでもイギリスでも同じなのですが、保守党は自分たちの党が勝つためなら、かなり違った意見をもっていてもあっという間に団結します。でも、民主主義派は、内部で意見が分裂し、ごちゃごちゃとして一つの方向でメッセージを運ぶことが得意ではありません。
ある意味、民主主義は、さまざまな人々の異なる意見を尊重しつつ、誰もが生きていける(お互い譲れることができ、みんなが平和にある程度決定や結果に満足・納得して同じ社会で生きていける)範囲での決め事をしていくので、そういったごちゃごちゃさはある意味健康な証拠なのですが、選挙となるとどうしても勝つことが難しくなります。

ジョルジアさんが首相としてどのぐらいもつかは、とても難しい状況で疑問も持たれています。

新政府での連立政権に入っているLega(レーガー同盟)の党首のMatteo Salvini(マッテオ・サルヴィーニ)さんは、ジョルジアさんの存在にはハッピーではなく、また、ジョルジアさんの「イタリアの同胞」内の極右派もジョルジアさんの少し中央よりの政策や態度(十分にファシストではないと見なされている)には不満を示しているようです。
マッテオさんは、ポピュリストとして知られており、移民問題が大きく扱われるようになるまでは、政党の名前は「Lega Nord (北の同盟)」ということで、「貧しいイタリア南部の怠け者たちがイタリア北部の働き者たちの税金を無駄遣いしている」ということを掲げ、北部の人々に人気が出るように、南部の人々を非難していたようです。移民問題が大きくなると、国民の投票・人気を得るために、政党の名前からNord(北部)を落としシンプルにLegaとし、キリスト教の極端な古い儀式を取り入れたりして、イタリア全土からの支持を受けるようになりました。
私のイタリアの家族が住んでいる地方は、このマッテオさんの出身地であり、政党の本拠地でもあったので、車道の道標に突然、その地方の方言がイタリア語と並べて表示されるようになったりもしました。これは、ナショナリズムの一つで、移民が多くなってきた(=自分たちの今まで当たり前と思っていた生活や人々の服装・言葉や肌の色等の全体の景色が変わるように感じる)ことに不安を覚える人たちにも、大きな魅力となったようです。
ちなみに、この地方は昔はハプスブルク帝国の一部だったので、方言には、ドイツ語と似たような単語や発音も多く混ざっています。この地方の方言の「U(ウ)」は、他のイタリア地方の「U(ウ)」とは違って、少し奥まった音の「U(ウ)」で特徴的なのですが、実は日本語の「う」という発音とよく似ていて、「(この地方の)方言も話せるのね」と言われたこともありますが、残念ながら私には話せないし理解はできません。

イタリアでは、多くの人々がファシズムをサポートしているのでしょうか?

私が知っている限り、非常に少数派のファシスト(独裁者のムッソリーニを崇拝するような人々)だけでなく、ごく普通の主婦や働く人々も、ジョルジア・メローニさんの政党に投票したようです。彼らは、ファシストではありませんが、突然大きく変わっていく国の景色(移民が増える=特に黒人やアジア人で肌の色が違う人々、宗教が違う人々)への漠然とした不安や、変化(グローバル化)についていけないことへの不満、国の経済状態や労働市場が良くないこと等への大きな不満(正当な理由のある不満)をもっています。これらを、右派の政党やメディアが、すべての原因は移民であるかのように扇動して、本当の問題から国民の目をそらしている結果、ファシスト政党のスローガン(移民を追い出す/イタリア人のためのイタリア等)に、人々が巧妙に誘導され、投票へとつながったようです。
イタリアは出生率がとても低い国であり、ヨーロッパの中でも特に高齢化が急速に進んでいる国です。私の7歳の姪っ子の住む村では、移民の子供たちなしでは、その村の小学校を維持することはできません。20人ぐらいのクラスのうちの3分の1以上は親か両親が移民(ヨーロッパ内からの移民も含めて)だそうです。小さい頃から、さまざまな肌の色、宗教や慣習、イタリア語を母国語としない人々と一緒に勉強し暮らしていれば、見かけが違うことなんて、なんとも思わないでしょうが、現在40代ぐらい以降の人々がこの村で育っているときは、外国人どころか、他のイタリア地域からきている人々もほぼいない状態だったそうなので、老いるときの通常の反応(=変化を嫌うようになる)もあるし、見かけが違う人々を見るだけで不安や不満を感じる(自分たちがマジョリティーであるのが当たり前だったのに、それが違ってきて、外国人に侵略されたように感じる等)のも、人々が地球を移動する際に、世界のどこでもある程度は仕方のないことなのかもしれません。

ある意味興味深いのは、イタリアも自分たちがエチオピアやソマリアの一部を侵略して、植民地化した歴史をもっていることです。これは数百年前の話ではなく、第二次世界大戦の終わりぐらいまでの話です。
でも、自分たちの都合の悪い過去を考えたくないのは、どこの国でも同じなのかもしれません。

私のイタリア人の知合いの両親(生きていれば100歳ぐらい)のように、植民地時代にエチオピアに家族で渡り、(現地のリソースや人々を搾取して)財産を築いて、イタリアに富を持ち帰ったケースも珍しくありません。また、昔のロンドンに住んでいた友人で、エチオピア人の母とイタリア人の父(エチオピアがイタリア植民地だったときに家族で移住し住み続けたが、エチオピアの国政が不安定になったときに子供を連れてイタリアに帰国)を持ち、イタリアで育ったケースもありました。20年ぐらい前は、イタリアでの人種差別はかなり大きかったようで、履歴書と電話でのインタビューでは受かるのに、実際に就職面談に行くと、顔を見ただけで驚かれ、「なぜ(黒人なのに)イタリア語を母国語レベルで話せるのか?」という質問が多く、結局は、ロンドンで働きながら大学で勉強・卒業し、卒業後もロンドンで働いていました。
また、イタリアは戦後の貧しい時代に、北アメリカや南アメリカ、他のヨーロッパの国々へと多くの人々が移民としてわたりました。私のイタリアの家族の一部もヨーロッパ内のさまざまな国に移民しており、これは他のイタリア人の友人たちの間でも同様です。
歴史を見れば、彼らだって、人々がいつも動いていた(世界は変わり続けている)のは明らかだとは思いますが、それでも、自分たちが当たり前だと思っていた景色が変わっていくこと、自分たちがマジョリティーでなくなるかのような感覚(=特権が奪われる気がする)は、感情的に耐えられない、というのは、難しいところです。
イスラエルの歴史家、Yuval Noah Harari(ユヴァル・ノア・ハラリ)さんの著作の中にあったように、移民が実際にその国の普通の景色となるには、100年近くかかるというのは、多少は仕方のないことなのかもしれません。





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