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あなたの「勇気」を磨き方

FROM ボブ・バーグ

私は流行りものには疎いので、「ゲーム・オブ・スローンズ」と聞いたときはテレビゲームか何かだと思っていたくらいだ。というのも、私が「勇気」というものについて調べていたときに、その「ゲーム・オブ・スローンズ」というドラマで重要人物であるブランというキャラクターの、こんなシーンがあることを知ったのだった。

「何かを恐れていても勇気があると言えるのか」とブランは考えた。しかし、父はこう応えた。「むしろそのときこそ、人が勇気を見せるときなんだ」

真の勇気とは何なのか?


そう、こういうくだりがあるのだ。話は飛んで、私が子どものころ父から教わった人生の教訓の中には、勇気に関するものがあった。それは「勇気ある者とはどういう者か」という問いに対して、父が教えてくれた定義は「勇気ある者とは、恐れを知りながらも、自分の務めを果たそうとする人物である」というものだった。さて、私の父が言ったことと、ブランの父が言ったことには何か共通点がありそうだ。

確認のために「勇気」という言葉をオンライン辞書で引いてみたのだが、辞書の定義では「恐いと思うようなことをなせる能力」と載っていた。この定義もまた、ブランの父の教えと私の父の教えに一致していることがわかる。

しかしながら、多くの場合「勇気がある」イコール「恐れがない」…というふうに解釈されてしまいがちだ。だが、恐れとはだれだって抱くものだ。そして、そうした恐れを抱きながらも行動できるかどうか、これこそが大事なことなんだと思うのだ。それこそが本当の勇気であり、勇敢であるということなのだ。

生存するために培った恐怖というシステム


私たち人間は、恐れを抱く生き物だ。まだ洞穴に住んでいたころからずっと、この「恐怖」があったからこそ、我が身を守れた。そして、次世代へと命をつなげていくことができたのだ。

今ではこうした「生きるか死ぬか」の状況に日常的に陥るなんてことは、まずないだろう。しかし、昔の本当のサバイバルの時代を生き抜いてきたのに役立った恐怖というシステムは、いまだ私たちの中で幅を利かせているものだ。

この恐怖のために、本当に必要な決断や行動ができなくなってしまう…これは問題だと言っていいだろう。積極的な意思決定や行動ができず、自分の人生にさらなる価値を与えることができないでいると、ほかの人の人生に価値を与えることはなおさら難しいものだ。

あなたは「勇気・勇敢さ」を発揮できているか?


恐怖は、こうした消極的な態度に結びつく。ただ、現代においては「生きるか死ぬか」という状況に対しての恐怖というより、自分自身の自尊心に結びついて恐怖が現れる。「プレゼンに失敗したらどうしよう」「電話をしても相手にされなかったらどうしよう」なんて形で現れるのだ。

もちろん、すべての恐怖が悪いわけではない。ときには一目散に逃げることが必要なこともある。また、恐怖の根元に立ち向かうことが常に正しいわけではない。

けれども、恐怖を感じたり、気づいてたりしても、前に進もうすること。これこそが重要なのだ。『トム・ソーヤーの冒険』の著者マーク・トウェインもこう言っている。「勇気とは、恐怖に抵抗することであり、恐怖を克服することである。恐怖を抱かないことではない」。そう、繰り返しになるが、恐怖は誰しもが抱くものだ。だが、そのような感情を抱きながらも、進もうとすること、これこそが真に勇気ある者だ。恐怖を理解できないばかりに、無鉄砲に進むことができても、それは勇気と呼べるものではない。

恐怖を乗り越えて自分の為すべきことを為す。あなたはこのことについて、どう思われるだろうか?

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