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おっぱいと私のヒストリー

こんにちは、Miyuです。
なぜおっぱいZINEを作ろうと思ったか話します。
きっかけは、NYのアジア系アメリカ人の大学のお友達がインスタグラムで胸を小さくする手術をしたという報告とその理由を投稿を読んだ時です。理由は

・胸が重く腰に負荷がかかる
・小さい時から大きい胸がコンプレックスで男の人は私を好きなのか私の胸が好きなのか分からなくなり異性を信じられなくなった。
・アジア人にしては胸が大きすぎる、本当にアジア人と言われ傷つく。

と言う理由で20歳になったと同時に手術をした。
手術をすると知る前に私たちは巨乳の大変さの話をしたり、ブラジャーどこで買ってるかなど話したり、「みゆうは自分好き?」など聞かれたこともあったが彼女が手術をしようとしているくらい悩んでいるなんて知らなかった。
なぜなら私にはいつも明るく写っていたからだ。今思うと心が苦しい。20歳という若さで胸を小さくする手術を決意し実行した意思の強さとコンプレックスをまるで大好きなように明るく振る舞う苦しさを私は誰よりも経験しているからだ。手術を決断する気持ちが苦しいくらいわかる。NY留学をしていなかったら私も同じことをしていただろう、、

中高時代、自分の大きい胸が大嫌いで6年間ずっとコンプレックスだった。
女子校であったからまだ男子からの言葉より傷つかなかったと思うが、それでも傷ついた。
「本当にみゆう巨乳だね」
「分けて!」
同級生に全く悪気はなく褒めてくれてるのだろうが、心にグサッとくる言葉。
(分けれるものなら分けたい、なくしたい。。。)心の中ではそう思っていても、”明るいお調子者キャラ”の私は「ありがとう、大きいでしょ〜」と笑い冗談で返す。
家に帰ると突如くる絶望感。
自分の大嫌いな大きな胸を無理やり自分のチャームポイントにして笑いをとってる学校での自分に苛立ち、母に何かと反抗するという日々を過ごしていた。母に内緒で隠れて胸をどうしたら小さく見せられるかという研究をしていた。ベルトで強く締めてみたり、ガーゼを巻いてみたり、わざと小さいブラジャーをつけて押さえつけみたり。そんな乱暴に扱われた私の胸は皮膚が限界に来ていました。

6年後の今、私は自分の大きくてふくよかな胸が大好きです。
心からチャームポイントだと思うし、胸に自信を持って生きています。手術しなくて良かったと思っています。そう胸を張って笑顔で言えるようになったのも1、2年前です。体の中で一番壮絶なヒストリーの持ち主。邪魔者のようにみていた胸が今や私の目にはキラキラ見えます。胸を嫌っていた時期があるからこそ今がある。自分が大嫌いだった時期も含めて自分が大好き。

今こうして人生で秘めてきた”嫌いだった自分”を堂々と話せるようになったのは自分の中で信じられません。当時の自分に言ってあげたらどんなに救われたか、「たった数年後には自分の胸を心から愛せてるよ」と。当時の私は信じられもしなかっただろう。

Self-love matters, Miyu 

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