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君は完璧で究極のアイドル(『森 麻季ソプラノ大阪リサイタル2023』感想文)

公演『森 麻季ソプラノ大阪リサイタル2023』(住友生命いずみホール)へ行ってきました。本公演のプログラムは次のとおりです。

・C._グノー:歌劇《ファウスト》(CG 4) より〈宝石の歌〉
・J._S._バッハ,_C._グノー:《アヴェ・マリア》(CG 89a)
・M._レーガー:《素朴な歌》(Op._76) より〈マリアの子守歌〉
・J._ブラームス:6 つの小品 (Op._118) より第 2 曲;間奏曲イ長調※
・J._ブラームス:《ドイツ・レクイエム》(Op._45) より〈あなた方は、今は悲しんでいます〉
・C._ラフマニノフ:10 の前奏曲 (Op._23) より第 4 番ニ長調※
・F._レハール:喜歌劇《メリー・ウィドウ》より〈ヴィリアの歌〉
(休憩)
・C._ドニゼッティ:歌劇《シャモニーのリンダ》より〈この心の光〉
・中田喜直:《さくら横ちょう》
・R._ワーグナー,_F._リスト:《イゾルデの愛と死》(S._447,_R._280)※
・G._F._ヘンデル:オペラ《ジュリオ・チェーザレ》(HWV 17) より〈がっかりさせないで〉
・G._F._ヘンデル:(前出)より〈麗しき瞳よ〉
・J.-P._ラモー:新グラヴサン組曲 (RCT 6) よりエジプトの女※
・G._F._ヘンデル:(前出)より〈つらい運命に涙は溢れて〉
・G._F._ヘンデル:(前出)より〈嵐で難破した船は〉
(アンコール)
・越谷達之助:《初恋》
・山田耕筰:《からたちの花》
・G._プッチーニ:歌劇《ラ・ボエーム》より〈私が街をあるけば〉
※伴奏者によるピアノ・ソロ

 しっかり予習をして臨んだつもりでしたが、事前に確認していたチラシでは演目が一部しか公表されていなかったため、正式なプログラムで知らない曲名を目にして、なかば面食らいつつ、なかば胸を弾ませつつ席に着きました。本公演の副題には「(”生没周年” 作曲家の名歌たち)」とあり、演目は、今年が生誕後または没後の節目に当たる作曲家で揃えられています。とはいえ、これまで森麻季さんが公演で何度も歌ってきたり、音源として出版したりしている、いわば「持ち歌」を取り揃えた、という側面の方が大きいと感じられました。
 事実、開幕直後に歌われた〈宝石の歌〉は伴奏に声が負けている印象を感じ、少し不安になったものの、続いての《アヴェ・マリア》(CG 89a) を聴いて、それが杞憂だとすぐにわかりました。楽曲の解釈等の深いところに立ち入れない私ですが、彼女がこの歌を歌い慣れていて、余裕をもって発声していることはすぐにわかったものです。
 伴奏者の山岸茂人さんによるピアノ・ソロがあることも、私にとっては嬉しいサプライズとなりました。ブラームスの作品で粘つくほどの叙情性を醸したかと思えば、対照的に、ラフマニノフを弾いては軽快なパッセージないし装飾で楽しませてくれたと覚えています。彼は声楽の伴奏を主な仕事としているそうです。ソリストとしての演奏でも、悪い意味での我を出さず、楽想に忠実で、なおかつ曲の良さを聴き取りやすい弾き方をされているように感じました。
 前半のハイライトは〈ヴィリアの歌〉でしょう。この曲は息の長い旋律が続くアリアで、レガートによる声の伸びが聴きどころではないかと思います。森麻季さんの歌唱では、とりわけ高音の伸びが最高でした。彼女がパッサージョで高音を発すると、その声が煌びやかな反物になり、それがそのまま途切れることなくこちらへ伸びてくる…… そんな幻覚を見さえしたものです。

 森麻季さんの生歌を初めて聴いて、たったの一時間弱ですでに魅せられるというより安心して聴いていられるという心地でしたが、後半に入ってから《さくら横ちょう》を聴いて、その思いをいっそう強くしました。なんとどっしりした低音でしょうか。量感のある声量が、まるで喋っているかのようになんら苦を感じさせることなく続いていきます。思えば、これまでの曲でも、ここに彼女の魅力がありました。発声に地力があるというのでしょうか。この土台がしっかりしていてこそ、その上に乗っかった様々な技巧がじゅうぶん活きるのだと思います。途中、歌詞のイメージに合わせて花びらを手のひらで追いかける素振りをしながら声を上下させるアレンジを取り入れた箇所では、憎いほどの余裕を見せていたかと思います。また、歌詞の聴き取りやすさに驚きました。これまでディクションを意識していなかったのは私がイタリア語やドイツ語等に疎いためであって、そうでなければ他の曲でも同様のことを感じられたかもしれません。
 再び山岸茂人さんのピアノ・ソロです。《イゾルデの愛と死》は彼のハイライトだったかもしれません。この曲は、多様な技巧を用いることでオーケストラに匹敵するような分厚い音色と目まぐるしいうねりとを表現する難曲です。彼の演奏は、この一般的な説明がじゅうぶん納得できるものでした。これまで何度か聴いた同曲の魅力が、過不足なく正確に蘇ってくる思いがしたものです。
 ヘンデルによる《ジュリオ・チェーザレ》のアリアは、来月の BCJ との共演(兵庫県芸術文化センター)で森麻季さん自身がクレオパトラ役を演じるために挿入されたものでしょう。私は同公演のチケットをすでに購入していて、プログラムに「ジュリオ・チェーザレ」の文字を見た時点で、いわば特別に「下見」をさせてもらえるような気持ちでした。結果としては申し分なく、少なくとも彼女に関しては安心して来月の公演に望めることを喜んだものです。ヘンデルや同時代の作曲家が書いていたダ・カーポ・アリア(”A–B-A’” 形式)は、繰返しの部分 (A’) における綾の付け方に声楽家の魅力が表れてくるかと思います。森麻季さんの歌い方は最初から余裕綽々で、当該部分においても多様な技巧による装飾をいとも容易く表現しているようでした。また、〈つらい運命に涙は溢れて〉での対照的な A と B との歌い分けや、それぞれの曲が歌われる場面に合わせた身振りもすでに「完成」していて、そのまま舞台を移し替えても通用すると感じたものです。ただ、〈嵐で難破した船は〉については Danielle de Niese さんの名演 (2005) が最高だと感じているため、どうしても比較して、たとえばアジリタの華やかさに不足があると感じざるを得ませんでした。その辺りは、来月の公演で実際の舞台に立った彼女に期待しましょう。

 そしてアンコールです。これまで実力に裏打ちされた安定感や余裕を感じさせていた森麻季さんが、解放的になって観客を積極的に誘うかのようなステージでした。《からたちの花》では「からたちの花が咲いたよ」の繰返しを左右のバルコニー席に向かっても語りかけながら、前述のどっしりした声を響かせたかと思えば、〈私が街をあるけば〉では劇場さながらのコケティッシュな演技をしつつ、最後に、大迫力の高音で本公演を締め括ってくれました。地力があり、ステージで終始余裕を見せ、そして多彩な技巧と観客を魅了させる遊び心とを兼ね備えている…… 本公演の森麻季さんは、私にとって完璧な「アイドル」でした。

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