自己紹介

家でオンラインの舞台や、映像作品を見ることが多くなりましたので、日記を書きます。何かをみたら人と感想を言い合う、という何十年やってきたことができないconfinementの今。

まずは、ピナバウシュ財団のHPから『パレルモパレルモ』。ひゃっほーやっとみられる。ピナの作品については、80年代以降、来日公演はほぼ全部見た。浅田彰さんが書いた批評も読んだ。自分の20代の経験と、50代のいままで見てきたものの蓄積が違うので、感じることがすこし当時と違うと思うけど、いまならはっきり言えるのが、ピナ・バウシュの舞台は、論理の批評を寄せ付けない。勝手にピナの気持ちがこうじゃないかと代弁させてもらえば、「論理にからめとられるくらいなら、最初から自分の作品なんて作ってない」。言葉で説明するものをつくるくらいなら、最初から踊りの舞台を作らない、というか。

論理をもちだす批評ではなく、ピナが自分の舞台に持ち込んだのはそのこらへんの「まちばにおちている人生」。それをみずからの体の記憶としてもちこんだダンサーそれぞれの人生のかけらを、人の生きる世の中のなかでもっとも甘美である官能と美を柱として、舞台上で生かす。官能とは、生きていること、つまり死があることで輝くもの。生と死の狭間で立ち上る、気づく人だけが気づくもの。美に関係しているものと言える。なんでだ。そこはまたあとでよく考える。パレルモパレルモにあるのは生と死のはざまにある甘美な官能と、緊張とゆったりとしたかろみの行ったり来たり。失敗の連続というか。ピナの他の作品も、la vie, la vie とそこにいる人間に語り掛ける作品だ、そういえば。なので、2時間の舞台をみて、観客のひとりである私は、そうだよ、舞台は、こっちの頭の中に立ち上るものを、自分の想像力で言語化したり、そこからいろいろ本を読んだり、書いたりするためにあるんだよ、と思うわけです。それを生で、同じく見た人たちとその場で話せない現在のコロナ禍。なのでnoteですな。

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