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福島の町に動物たちと残り続けた男の物語:ドキュメンタリー映画『ナオト、いまもひとりっきり』バリアフリー版をめぐるシンポジウム

『ナオト、いまもひとりっきり』というドキュメンタリー映画の作品鑑賞会とシンポジウムが、2021年1月22日(金)に長崎大学で、2021年2月5日(金)にUniversity of North Carolinaで開催された。本作品は、2015年に公開、国内外でロングラン上映された『ナオト、ひとりっきり』の続編だ。福島の全町避難となった町に、動物たちと残り続けたあるひとりの男の日々を記録している。シンポジウムには監督の中村真夕さんと主演の松村直登(ナオト)さんが招かれ、当時の状況や映画について語らう時間が設けられた。今回上映したバージョンは、聴覚障害向け日本語字幕と日本語の音声ガイドがついたバリアフリー版となっている。

長崎大学での進行役は、シグロの山上徹二郎さんと長崎大学核兵器廃絶研究センターの教授で国際機構論、国際法、軍縮論を専門とする広瀬訓さん。University of North CarolinaではCarolina Public HumanitiesのアシスタントディレクターであるJoanna Sierks Smithさんをモデレーター、東アジアの宗教を専門に同大学で教授を務めるBarbara Ambroseさんをゲストに迎えた。どちらのシンポジウムも、中村監督がこの映画を撮り始めたきっかけと、ナオトさんが町に残り続けた動機の話から始まった。

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中村監督がこの映画を撮り始めたのは、もう8年も前のことになる。震災関連のドキュメンタリーを担当していた中村監督は、福島のことを調べていた時にナオトさんの存在を知った。しかしナオトさんを見つけたのは日本のメディアではなく、海外のメディアだった。というのも、全町避難となっている町に残ることは推奨されていなかったため、日本では政府の方針であまり報道できない状況に陥っていたのだ。しかし中村監督は、そんな状態をジャーナリズムの精神に反すると感じ、ドキュメンタリーをつくることを決めた。映画という形で、お金を払って観に来てもらうからには、テレビでは観ることのできないものを大事にしたかった。

話はナオトさんが町に残った動機に移る。はじめは町に残ると主張する母親のため、避難することができなかったナオトさん。しかし、何日か動物の世話をしているうちに、自分が出ていけば動物たちは皆餓死すると思い、置いていけなくなったのだという。原発事故が起きて10日ほど経つと、アメリカの大手通信社であるAP通信が取材に来た。その取材を受け、AP通信で記者会見を行なうと、世界中のメディアから取材依頼を受けることになる。

ここから、長崎大学とUniversity of North Carolinaそれぞれの大学での教授の見解や生徒からの質問、それに対するゲストの回答などをピックアップして紹介する。

コロナ禍で変わったこと、そして殺処分|長崎大学

まずは司会の山上さんが、この映画に存在するふたつの大きな話題を解説する。ひとつは、以前は震災や原発事故からの再生だったオリンピックのテーマが、コロナ禍ですっかり消えてしまったこと。もうひとつは、コロナになり東京の人間が差別されることで、差別の構造が相対的だとわかったことだ。

そして長崎大学では、動物の殺処分についての議論が多く交わされた。ある学生が、殺処分についての意見をナオトさんに問うと、ナオトさんはこう答えた。

ナオトさん「人間もふくむ動物の世界は命のやりとりだから、命をもらうということはあり得るが、むやみに切り捨てるのは違う。生きているものと常に触れあっていれば感じられることを世の中の偉い人は感じずに、生き物をお金で換算してしまったり数字のひとつとして見たりする」

ナオトさんのこの発言を受け、山上さんと広瀬教授はその犠牲者を人間とする原爆の話を挙げながら、以下のようにコメントした。

山上さん「長崎や広島に落とされた原爆についても、20㎞圏内くらいの人たちが被害を受けた。愚かなことを人間が繰り返しやってきているのは間違いない。アウシュビッツの例もあるが、“ジェノサイド”が行なわれている。想像してみれば、福島に残っている生き物の問題もふくめ、色んなことが陸続きだなと感じました」

広瀬教授「アメリカ政府は日本への原爆にたいして、被害を最小限に食い止めるために正しかったと言っているし、多くのアメリカ人はそう信じている。このように、リスクはあるけれど国全体の利益になるのなら、そのリスクも必要なコストだろうという暗黙の了解があるのではないかというところが引っかかります」

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またある学生が「“餓死して死ぬよりは殺されたほうがマシ”など、考え方次第で最善の策は変わってくるのではないかと思うが、自分が教員だとしたらどういう教え方をするのか」と質問すると、広瀬教授は「どんな状況でもどんなに苦しくても生きることに執着することが基本であることを教えなくてはならない」と、命の尊さについて説いた。これに対し中村監督もコメントを寄せた。

中村監督「福島に行っていて印象に残ったのは、殺処分に応じるも、応じないも、どちらもが苦渋の決断であったということです。正しい答えはなくて、自分で見つけるしかない。自分の正義は人の正義ではなく、歴史観も国や立場によってまったく違う。アルバイトで殺処分をしていた人が観にきてくれましたが、今でも悪夢を見ると言っていました。加担したからといって全面的に悪いわけではないのです」

最後に、今回鑑賞をしたこの映画がバリアフリー版であったことについての感想を山上さんが求めると、特別支援教育コースに所属する学生は「音声案内や字幕があるおかげで、障害がある人だけでなく普通の人たちにとっても理解しやすかった」と感想を述べて、授業は幕を閉じた。

宗教的背景、映像監督としての役割|University of North Carolina

University of North Carolinaでは、ナオトさんの宗教的な背景にたいする質問が挙げられた。

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学生「メディアは、松村さんがなぜ避難区域にとどまるという決断ができたのか、モチベーションがなんなのかということに対して理解が追いついていないように感じます。避難区域にとどまるという決断に対しては、宗教的な背景はあったのでしょうか。あなたが困難を乗り越えるための強靭な精神は何に支えられているのでしょうか」

ナオトさん「はっきりと言っておきたいのは、私は全く信仰的な人間ではありません。けれど人間のしたことで、動物を殺すのは間違っている。原発から20キロ圏内の動物は全て殺処分だという政府の声にも耐えられなくて、環境相や農産相に行って争っていました」

続いてAmbrose教授から中村監督へ、映像監督としての災害の記憶とそれにたいする関わり方について質問が寄せられると、中村監督はこう答えた。

中村監督「災害が起こったその時はニュースとして報道されますが、時間が経つにつれて忘れられていきます。日本は災害がとても多い国で、同時に日本人は災害の記憶を忘れやすいと思います。我々は、目の前にあるもの——今ではそれはコロナですが——に焦点を当ててしまいがちになります。映像監督の役割、特にドキュメンタリー作品においては、テレビで報道されない情報を提供するべきだと思います。そして、国や政府が行なっていることに対して問題提起をできなければいけないと考えています」

最後にSmithさんから中村監督に質問が投げかけられ、パネルディスカッションは終了した。

Smith「このドキュメンタリーは、人間の自然に対する支配のもろさ、自然の強さ、そういったものを鮮明に描き出していると思います。中村さんにとって、この物語がこれだけ切実で、日本だけでなく世界に発信しないといけないと思わせた動機は何なのでしょうか」

中村監督「はじめはこの作品がどのようなものになるのか検討もついていませんでした。水も電気もなく、そこに行くだけでとても過酷でした。私は、人間が自然や動物を汚染してしまったように感じています。そして作品を撮ることで、人間が自然に干渉し、汚染しているという事実を説教的でない表現で広めなくてはならないと思いました。福島に関するドキュメンタリーや映像作品をたくさん見てきましたが、多くは説教くさい表現で、個人的にはあまり好きではありませんでした。実際に福島の人は、ナオトさんも明るく前向きな人たちなんです。福島の人たちは自分のことを被害者だとは考えてはいないと思います。ただ日常の生活をしながら、動物の面倒を見ている。受け入れること、日常の生活を楽しむことが大切だということを彼らからは学びました」

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事後アンケート

シンポジウム後のアンケートでは、命にたいする考え方が改まったという感想が多く寄せられた。また、ナオトさんの行動に感銘を受けた生徒も多かった。

「実際にドキュメンタリーを鑑賞して、リアルな震災のあと、放射能との戦いの中命と向き合うなおとさんの姿を見て、命から逃げないことの大切さ、考え方を改めて考えることができました」

「今まで、震災で被害にあった地域には全く入れないと思っていましたが、今回の映画を鑑賞したことにより、まだ、日本は救える命を見捨てようとしているという事実を知ることができました。隠そうとしている日本に対してがっかりしたし、家に戻って、世話をする人がいて本当に良かったと思いました。私も、人ごとに考えてしまっている部分がまだあるので、何か行動を起こせる人になりたいと強く思いました」

「最初は(ナオトさんにたいして)「凄い人だろう」という思い込みがあったのが、実はある意味で「普通の人」というか、「当たり前のことをやっているだけ」という姿勢の方だとわかり、「当たり前」を「当たり前」に実行することの難しさと素晴らしさを改めて思い起こしました」

『ナオト、いまもひとりっきり』は、TfAで配信されている作品のなかで唯一、原子力発電所や東日本大震災について取り扱っている。これらの問題は、「被災者」という線引きによって、他人事になってしまいがちである。そんな現在進行形であるにもかかわらず忘れ去られそうになっていた問題に焦点を当てることで、自分もいち当事者となるような感覚を持つことができたと生徒たちは言った。

また、震災は、日本という地域に根ざした問題として捉えられがちなテーマでもある。そんな内容について、今回はアメリカと日本という状況が違う場所から対話が行なわれた。この2回のワークショップは、バリアフリーという取り組みが国境という垣根を越えて実現可能であること、そして国籍をこえて当事者性を育むことの重要さを示唆しているように思える。

“原発の問題を町の人たちや動物の視点から考えて欲しい”というシグロの山上さんの考えから企画されたシンポジウムは、学生たちに多くの気づきを与えた。日本とアメリカで開催されるなか、長崎大学では殺処分や人の正義といった倫理的な問題について、そしてUniversity of North Carolinaでは宗教的観点などもふくめた精神的な部分について多くの議論が交わされていたのが印象的だった。原子力の恐ろしさ、そして自然にたいする人間の無力さ、また人間のわずかな強さや大きな愚かさまでが淡々と滲み出るように描かれているこのドキュメンタリー映画は、これからもジャーナリズムの精神に基づいて、様々な感情や考えを鑑賞者に持たせ続けることだろう。




■ この記事は、令和2年度戦略的芸術文化創造推進事業『文化芸術収益力強化事業』バリアフリー型の動画配信事業によって制作されました。

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