劇場なんか行かないーー No.2:缶々の階『だから君はここにいるのか【客席編】』
団体:缶々の階
演目:だから君はここにいるのか【客席編】
料金:3,000円(一般・前売り)
劇場:THEATRE E9 KYOTO
日時:1/14 18:00開演
時間:60分
同世代からの評価がそこそこあって、気にはなっていたのだが、個人的に行く気にならない情宣の雰囲気の団体だった。しかし、2023年はいろいろ観に行くつもりだったし、60分とスケジュールしやすいランタイムが事前に発表されていたので、観劇した。
ランタイムを事前に発表しておくのは当然のことだと思っていたのだが、そうでもない。事前のランタイム発表がない団体は様々な意味でギリギリのクリエイションであることが伺えるわけである。それが即、作品の質に結びつくわけではないが、観客への配慮ができるだけの余裕を持ったスケジュールで創作しているのだろうと推察する。もちろん、今回の劇の切り口の一つでもあった、「再演」であればこのような配慮はもっとしやすくなる。余裕のないのは嫌だ。
さて、開演して開口一番のセリフから、二人の俳優の演技体は徹底的に不自然であることがわかる。戯曲も同様だと感じた。かりに、観劇に行って、劇が始まらないだとか、誰もいないだとかいう状況になったとしても、こんなふうに話しかけて、会話が弾むということは起こらない。平田オリザが「ご旅行ですか?」と声をかけるかどうかみたいな話をいろんなところでしているが、この時点で小生のうちにある「リアリティ」はこの劇にはないと思ってしまった。
それでも「演劇とは何か」論にまつわる哲学を聞きやすい会話に入れ込む文体にはじめのほうは惹き込まれた。しかし、開演から30分を過ぎた頃、確かバークリーの話が出てきたあたりから、作家の「手癖」のように続くセリフに飽きてしまい、付き合いきれなかった。出演の七井悠の問いかける発語が終始クリアで聞きやすかったのもあって、戯曲の味気なさが際立った。何の前情報もない状態でも、幕が開いて客席が出てくるという構造は誰にでも予測可能な展開であるから、そこに至るための作為を感じ取りたかった。
「ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、もうひとりの人間がそれを見つめるーー演劇行為が成り立つためにはこれだけで足りるはずだ」。あまりに有名なこのピーター・ブルックの言葉を真に受けてしまって、呪いにかかったように(観客にとって)意味のない問いに挑んで葛藤する作家の姿を、この劇に見て取った。最終的に勝利するのは、それを作為と思わせない作為ができる作家たちである。あと数歩で「こんなに悩んでる私って素敵でしょ」的な作品になりかねなかっただろう。「ないもの」の話をしても仕方がないのかもしれないが、この手癖の文体のままで、90分で創れば、そこにかなり肉迫したかもしれない。【舞台編】もあるので、そちらも観れば印象が変わるのかもしれないけれども、今回を観るかぎりでは作家の頭と本棚だけで十分完結できてしまいそうな内容であったので、そちらにも出向いてみようとまで思うことはできなかった。個人的にはもう少し味の濃いものが好きなので、真摯に問題に向き合う以上の何かを求めたい。
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