20230108 「劇場なんか行かないーーNo.1:今年は観劇します」

団体:ニットキャップシアター
演目:補陀落渡海記(第43回公演)
料金:3500円(一般・当日券)
劇場:THEATRE E9 KYOTO
日時:1/8 13:30開演
時間:100分(予定)
座席:最前列シモテ2列目

 席位置、劇場的制約のせいかもしれないけれども、音響の圧が足りなかったこと以外には失点がなかった。おそらくだが、今回使用されていた楽器の多くがE9のような建築物を想定しているものではなかったのではないだろうか。お寺は言うまでもなく、木造建築である(最近は近代化されてしまってはいるが)。使用されていた楽器たちは、そういう建築物でこそ映えるよう設計されたものではないのだろうか。それらは、収音マイクで拡張されてはいたが、生演奏であっただけに余計にショボさが際立つ結果になったのではないだろうか。この点を除けば、あとは個人的な、好みやその日の気分に合致するかというところだが、そこはゼロだった。小劇場にかんしては、たいへんな偏食家なのでそのところは諦めなければならないと、最近は割切りつつある。 美術の構成は、最近よく見る低コスト×多様な場転に対応可能な、「中央そりたつ壁型」で、表現の手数が多く、俳優の連携が取れる座組、場所が頻繁に変わる戯曲と相性がよいものであった。加えてアップしているので俳優が大きく見える。

 また、E9での観劇はルドルフ以来で、こちらも仏教風+中央そりたつ壁型美術だったので、個人的には「またか」という気持ちになってしまった。ジャングルジム型も、全国学生演劇祭の幻灯劇場『DADA』(2017年)やサファリ・Pの『怪人二十面相』(2019年)で見た手法で、こちらも運動量の多い俳優を擁する団体が好むものである。偶然なのか、この二つの作品も、今回の作品も、赤色が中心の舞台だった。このように、個人的に既視感の多い演出だった点が、残念でならない。今更、「アッと驚くような何か」を求めることに意味がないのかもしれないが、戯曲の背後にある思想か、演出上の新規性か、この二つのいずれかで突き抜けるものがほしい。

 ・・・・・・とくにこれ以上言いたいことはない。これは作品の問題というよりは、小生の感受性の問題である。有料有観客日本語の舞台となると、一年ぶりの観劇になってしまった。かなりのあいだ、自分の演出作品しか観ていない。流行り病は関係がない。演劇よりも遥かに上質で手軽で安価な娯楽がほかにあるという、絶対的現実を自ら受け入れたのである。きちんと引きこもり、配信で映画やアニメばかり観て、とても満足していた。気がつけば本も読まなくなってしまっている。

 自分でも驚いたが感受性というものは、放置しておくと腐って死んでしまうようで、演劇のための感受性はもう生きていない。いや、それは、E9に半年ほど毎週通っていた頃からだったのかもしれない。自分がよいと思える作品に一つも出会えず、劇場に行く気持ちが完全に折れてしまった。観に行って、参加している面々が楽しそうだったら、まぁそれでいいか、お疲れ様、という具合だった。それからというもの、どういう作品なら、自分は「よい作品だ」「よい体験だった」と言えるのかということを真剣に考えたうえで、劇場に行こうと思い、そしてようやく見えてきたところで2020年だった。それでもう一周、ぐるっとまわって考えることになった。そして、ついに2023年になったが、結局結論は同じだったようである。このあたりで今回はヨシとしよう。

 『文化なき国から』にご出演いただく西村さんはじめ、全員安定感のある俳優のように見えた。ニットキャップシアターは、これも随分前の『ねむり姫』(第37回公演、アイホール、2016年)以来である。客席も含めて、小生のような人間が居てはならない空間である。先日の劇作バトルでの平田オリザ氏のごまのはえ氏に対してした、ある発言も、ここにきてなるほど、と思える部分もあった。作家としては、今回の収穫はまずまずといったところだ。個人としては感受性に新しく命を吹き込むためにも、リハビリを続けねばならない。

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