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【旗揚げ公演】『アイカとメグミ』を終えて【脚本編】@志月ゆかり

 おはようございます。お疲れ様です。志月です。
 今日は、以前予告していた通り、また、聞いていただけていた方には先日私と夜矜ちゃんとで行ったアフタートークで言っていた通り、『アイカとメグミ』の脚本について話したいことをどんどん話していこうと思います。
 アフタートークで既に話したことは省略していたりもするので、是非そちらも併せてお聞きください。ゆめのあとのX(Twitter)にスペースのアーカイブが残っております。2時間の少し長めのお話なので、お時間のあるときにごゆっくりどうぞ。

 ただ、これからする話の前に述べておかないといけないのは、脚本というものは、完成品を読んで、もしくは上演されたものを観劇して、読み手や観客が受け取ったものが全てだということです。私の設定と自分の解釈が違ったからといって、こちらを優先させなければいけないわけではありません。「公式が勝手に言ってるだけ」というやつです。ちょっとした裏話程度に聞いていただけますと幸いです。

 さて、「『アイカとメグミ』脚本誕生について」で述べました通り、『これだけはいらない』と『告解とラブレター』という二本の脚本は、書き上げられた順番こそ『これだけはいらない』が先でしたが、プロットとしては『告解とラブレター』の元となる原案が最初に生まれたのがこの世界でした。
 以下、原案で書いていた台詞の一部です。

「私ねえ。地獄の炎を抜けてきたんです。すごいんですよ、熱いのは当然熱いんです。熱いっていうか、もうそのレベルじゃなくて、痛いんです。ただただ激痛。熱すぎると痛みになるって本当なんですね。けどそれだけじゃなくて、こう、音が、鼓膜ゼロ距離で空気が、ごあーって、ぐおーって。あんな大暴れするんですね、空気って。空気って暴れるんですね。いやあ台風とか竜巻なんかも確かに暴れてると言えば暴れてるんですけど、比じゃないですよ。あんなの息できないですもん。ま、この通り、五体満足無事なんですがね。って無事じゃないか。死んでるし。っていうかあれって灼熱地獄っていう地獄の一つかと思ってたら、ただの通り道なんですね。意外~。あそれとも灼熱地獄は別であるのかな?」

 ……誰? みたいなね。
 元は、主人公が地獄の業火を抜け、どんな罰を受けるのか沙汰を待つ間、観客に向かって話しかける脚本でした。四枚のラブレターを携えて、それを『告解とラブレター』と同じように読み上げながら。でも、ここでのこの主人公は、今の恵とはだいぶ人格が違います。前に名前がないって言ってたんですけど、プロット段階では名前つけてなかったのに、脚本には雑に名前がつけられていました。「直」です。「素直」の「直」です。めちゃくちゃ嘘つきなのにね、という理由で安直につけたような記憶がよみがえりました。個人的には「恵」の方が、愛花との関係性を強調するようで好きです。

 この原案の脚本は、2ページしか書いてません。流れは全部プロットにありますが、1枚目の愛花への手紙を読むまでに至ってすらいません。だっていかにも面白くならなさそうだったから。どうしてそう思ったのかと問われれば、まあ感覚でしかないんですけど、一番は、ラストに至るまでに全くと言っていいほど山も事件も緩急もつけられそうになかったからでしょうか。ずっとつらつらと、へらへらと、観客に向かってしゃべって、手紙を読んで、思い出話をするだけの直。誰が見たいですかね。少なくとも私は別に見たくないです。そう思ったのでこの脚本はほとんど没状態でした。
 でも、この頃から、直の周りの人間たちはほとんど今と設定が変わっていません。手紙の内容が変わっていないのだから当然です。愛花は直(恵)のものを何でも奪っていた、要領の良い可愛らしい子でしたし、主人公の初恋の相手の名前はリク君(漢字は振っていないようです)だったし、愛花は直(恵)の彼氏を奪って、直(恵)は彼氏を殺して愛花にその罪を擦り付けて服薬自殺を図ります。ただ、二点違う点が、主人公の名前以外にもあって、愛花はリク君を振らずに小学五年生にして初彼氏ができていますし、直も啓介が初めての彼氏じゃなかったみたいです。原案のプロットを見ながら、「へーそうだったんだー」と今書きながら思っています。
 でもこのプロットにもいくつか興味深い台詞がありました。いやまあ、個人的にそう感じるだけですが。「だって、もういいでしょう?私はもう十分肩代わりした。私は愛花の奴隷じゃない。お姉ちゃんでもない。お姉ちゃんだってここまでやってくれないでしょ?だから、最後に一回くらい……ね」とか。あ、お姉ちゃんじゃないって言ってる! 恵より冷静だ! ってね。あとは「私と言う盾がなくなって、それが剣に変わって、彼女、どうやって乗り切るつもりなんだろう。それを見届けることができないことだけが、心残りかな……」とか。きっと薬を飲んで酩酊していなければ、こういうことを言えたんだろうなって思いますね。

 こっちの脚本では、上演された『告解とラブレター』と違って、本当に愛花と直、どっちが啓介を殺したのかわからない構造にするつもりでした。直が言うことがもっと二転三転して、最後には観客に「ねえ、どっちが殺したんだと思います?」と問いかけていたようです。これはもう直が死んで地獄に来ているから言えることですね。仮に直が殺していなかったとしても、直は自殺をしているわけですから、例えばキリスト教的にはどっちにしろ地獄行きですし。
 「罰だなんて、ひどいと思いません?私は何にも悪いことしてないのに。でも仕方ないの。だって彼女の罪を、私が全部被ってあげたんだから。彼女の罪は私の罪。だから真実がどっちかなんて、どうでもいいことなんですよ。罰を受けるのは私だけ……私、優しいでしょう?お姉ちゃんだから」

 没にしたプロットの話はこれくらいにして。

 夜矜ちゃんに脚本をあげる段階になって、このプロットをもう一回書き直すことを試みた話は既に前の記事でした通りです。「視点を愛花に変えた方が面白いんじゃないか」というひらめきは本当にふとした瞬間に突然やってきたので、どうしてそう思ったのか、私にもわかりません。でも、結果的に夜矜ちゃんに合う形の脚本が書けた奇跡を素直に喜びたいと思います。
 『これだけはいらない』の「これ」とは勿論、最後に愛花が死んだ猫の傍に置いていった薬瓶のことです。恵からあらゆるものを「ちょうだいちょうだい」と奪ってきた愛花が、「これだけはいらない」と捨てていく、恵の悪意。というつもりでタイトルをつけました。タイトル関連で言うと、対になる『告解とラブレター』の恵よりも、実は愛花の方がよっぽど素直に罪の告白=告解をしています。どうしてこうなったんでしょうね。恵が嘘つきだからですね。
 舞台のイメージは、縄手通り商店街からさらに裏路地に入った、本当に暗くて狭い道です。あのあたりだから猫が結構たくさんいるんですね。猫のイメージはやせぎすの黒猫か、薄汚れた白猫でした。たぶん黒猫の方だったんじゃないかと思います。その方が不吉だし。
 なぜ猫に話しかける形にしたのかというと、まず、『告解とラブレター』の原案と違って、こちらの舞台は現代日本、現実の世界ですので、観客に話しかけるわけにはいきません。それに、仮に人間相手だとしたら、愛花はあんなにはっきりと自分の罪を話さなかったでしょう。かといって一人きりで待ちぼうけをくらっても、愛花は黙ったまま恵に鬼電鬼LINEをかますだけでしょう。というわけで、丁度いい独白の聞き役として、猫を登場させることにしました。猫を相手に喋ることで、素舞台でも役者が少しでも動きやすいように、という意図もあります。「好奇心は猫をも殺す」とかいう素敵ワードが存在するので、いくらでも深読みは可能だと思います。
 劇中で愛花が「なんか君、私みたいだね」と言うように、愛花はどこかこの猫を本能的に自分と似た存在だと思っているようです。この猫、ずっと愛花の鞄に入った何かをほしがっていますしね。そういうところが重なったのかな。あ、これは脚本を書いているときじゃなくて、今ふと思ったことです。こういうことが無意識にできちゃうのが私のすごいところですね(自画自賛)。

 でも、『これだけはいらない』では、元々『告解とラブレター』の原案でやりたかった、「『ラブレター』を読み上げることで思い出話につなげる」とか、「嘘を交えての罪の告白で観客を混乱させる」みたいなことが全くできなかったんですよね。それが心残りで、もう一度『告解とラブレター』を復活させることを試みました。
 『これだけはいらない』を書き上げたことによって、『告解とラブレター』は『これだけはいらない』と対の形を取るという選択ができるようになりました。それによって、地獄へ落ちた直ではなく、今まさに『これだけはいらない』で愛花を待たせている恵が誕生したわけです。結果的に、観客という話しかける相手はいなくなってしまって少々やりづらくなりましたが、恵の愛花への並々ならぬ執着によってそれも解決。その場にいない愛花に延々と話しかけ続けることでどうにかしました。実際、最後の意識を失う直前のシーンでは、観客席の奥に本当に愛花の笑顔が見えたような気がしました。
 アフタートークで夜矜ちゃんが言っていましたが、恵は嘘を吐くのが本来とても上手い子でした。愛花と啓介が浮気をしていることを気づいていると、元々聡いはずの愛花に全く気付かせないほどには。けれども恵の方は、それを自覚してはいませんでした。それは、幼少期、愛花がした悪戯の濡れ衣を着せられたときの経験が関係しています。学校から連絡を受けた恵の母親は、自分の娘がそんなことをしているとは思いませんでした。だって、幼児期から娘から何でも奪っていく子供の存在を知っていたから。だから、「本当に恵がそんなことをしたの?」と尋ねるし、恵がそれを肯定しても、納得はしませんでした。だから恵は思うわけです、「自分が嘘を吐いても、母親には、大人にはバレバレなのだ」と。だから、愛花に一瞬だけでも殺人の疑いを向けさせるために、「嘘っぽい自白の手紙」だけでは不十分だと考えた。そのため、愛花に預けるバッグの中に薬瓶を仕込んだし、愛花と啓介が待ち合わせをしているはずの時間に啓介を殺したわけです。アリバイをなくさせるために。もちろん、啓介の遺体を調べれば、恵が殺したことは明白でしょう。それでも、一瞬、ほんの一瞬、愛花を動揺させることができれば、恵はそれで満足だったのです。
 恵は基本的に自分に自信がありません。物事に対する関心も、対愛花を除いてはあまりありません。良い大学に入れる程度の頭の良さはありますが、応用力はなく視野も狭いです。そうでなければ、こんな事件は起こらなかったでしょう。
 また、これだけは話しておきたいのですが、『告解とラブレター』は、あれでも少しわかりやすくなった方です。本当は、原案のように、『告解とラブレター』を観ただけでは、どっちが啓介を殺したのかわからなくする予定でした。けれども、何もわからない、解決しない脚本は私の自己満足に過ぎなくて、観客のことを何も考えてない、きっと面白くならないという結論に至って、稽古を始めてから結構後になって、終盤に長台詞をひとつ追加しました。決定的に、恵が啓介を殺したのだとわかるように。それまでは「愛花の罪は全部私が背負ってあげる」と、あたかも愛花が啓介を殺したかのような言葉と、愛花への愛の言葉を最後に残して意識を失う予定でした。愛花への無自覚な悪意と、真実の告白を込めた台詞の追加は、大正解だったと今では思います。

少し長く語り過ぎてしまいました。ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

 私が脚本を書くときは、理性的に考えることももちろんたくさんありますが、同じくらい感覚で書いていることがたくさんあって、後から「あ、これってそういうことなんだ! 私すごい!」と自賛することがよくあります。なんなら人に「これってこういうこと?」と聞かれて「あ、そんなつもりなかったけど、でもそういうことにしよう!」となることもあります。今回の二本の脚本も例に漏れずそういうことが何回かありました。本当はそういうところも全部自分でコントロールして書ければもっとすごいんでしょうけど、今の私はまだまだということで。でも、それだけ世界と人物がしっかり設定されているということなのかな、とか、好意的に解釈しておきます。
 もし、今回の脚本について何か知りたいことがあったら、志月に直接問い合わせてくれればいくらでも答えますので、お気軽にご連絡ください。

 また、今回の公演を観られなかった方や、物販にて脚本をお買い上げにならなかった方。今回のnoteを読んで、一体どういうお話なのか気になった場合、志月が脚本の在庫をまだ持っていますし、いくらでも追加で印刷は可能なので、是非ゆめのあと又は志月ゆかりに直接お問い合わせの上、脚本をお買い上げください。一冊500円、『これだけはいらない』と『告解とラブレター』の二冊を同時にお買い上げいただいた方には、ちょっとした特典付きです。何卒ご検討ください。

 それでは、旗揚げ公演に関するnoteはこれが最後となります。
 次の企画のお話をするときに、またお会いしましょう。
 志月ゆかりでした。


〈ゆめのあと お問い合わせ先〉
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Mail: theater.yumenoato@gmail.com
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