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アンティークショップで買った洋書から、100年前の持ち主だった少年を特定する話①

【経緯】

 2021年9月2日、名古屋市のアンティークショップ「GLITTER」にて、1915年に出版された「Sentence Analysis By Diagram」を購入。子どもたちの名前や住所、イラストなどの書き込みがあまりに可愛く、ヌガザカ氏(@NUGAZAKA)と二人でゲラゲラ笑って購入を即決。

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【この本の魅力】

 まずは、この本の痕跡本としての魅力をご覧いただきたい。
出版は1915年。児童向けの文法学習書のようだ。英語の構文を図解(ダイアグラム)で学ぶ方法論と、練習問題などが掲載されている。
この本で学んだと思われる子どもたちの落書きがもう、ハチャメチャに可愛い。彼らの書き込みを以下にご紹介する。

【3人の持ち主】


 本の書き込みから、少なくとも3人の持ち主がいたことが分かる。

・第1の持ち主:ジョン・F・ブックウォルター
 インク書きの筆記体の主。書き込み位置は表紙を開けてすぐの右側。

ジョン・フランシス改


 かなりこなれた筆跡で、解読に当たったヌガザカ氏も苦戦していた。他の書き込みから総合して、解読できた内容は以下のとおり。
“John F Bookwalter Springfield,Ohio July 1919”
(ジョン・F・ブックウォルター、オハイオ州スプリングフィールド、1919年7月)
 このことから、第1の持ち主はオハイオ州スプリングフィールド在住で、1919年の7月にこの本を入手したことが分かる。筆跡からして、この人物は成人しているか、若くともハイティーンといったところではないだろうか。

・第2の持ち主:A少年(仮)
 この本を最も魅力的なものにしている落書きの主。書き込み位置は表紙の裏、本文中、本文の後ろの空きページなど最も多い。

boyA表紙ウラ

 性別は不明だが、なんとなく男の子のような印象を受けたため、以後この書き込みの主を仮にA少年とする。鉛筆書きのブロック体。iやtの波打つような書き方が特徴的だ。彼の書き込みで一番笑ったのは次の箇所。

boyA住所

「この本をネコババしないこと。もし拾ったら、オハイオ州スプリングフィールド イースト・ハイストリート1054番地 J F Bookwalter 氏まで返してください。そして謝礼を受け取ってください。謝礼はこれです・・・“Kick”(尻を蹴られているイラスト)」

 "Kick your ass"をイラストで表現している。可愛い、可愛いぞ少年。住所を書くということは家の外に持ち出して勉強していたのだろうか。
 少年は返却先として、第1の持ち主であるジョン・F氏の名前を載せている。このことから、ジョン・F氏と少年の住所は同一、つまり家族ではないかと推測できる。父子か、年の離れた兄弟だろうか。父か兄の蔵書を気に入り、持ち歩いていたのかもしれない。

 そして、繰り返し出てくるのが「Yale‘23 Hill’19」「Lux et veritas」という文言。

boyA学歴


 Yaleといえばイェール大学のことだろうか。「Lux et veritas(ラテン語で光と真実)」は同大学の校訓である。空きページに繰り返し書いていることから、A少年はイェール大学にかなり傾倒しているようだ。志望校なのかもしれない。しかし、続く「‘23」は何だろう?また、「Hill ’19」とは?年号のようだが、1919年と1923年に何があったのだろう?

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 タイトルページでは、著者の名前をJohn F Bookwalterに書き換えてしまっている。この少年は第1の持ち主であるジョン・F氏に心酔しているようだ。
 また著者の経歴である「Instructer of ~」以降も書き換えられているが、ここは大人びた筆記体なのでA少年ではなく、別の人物のものだろう。
 その下の「Jack Bookwalter」という名前。ジャックはジョンの愛称だ。A少年自身の名前か、あるいはジョン・F氏を指していると考えられる。

・第3の持ち主:マーシャ・リース

マーシャ


「この本はオハイオ州スプリングフィールド、イースト・ユークリッド通り421番地のマーシャ・リースのものです。もし拾ったら上記の住所まで返してください。謝礼はこれです(尻を蹴られるイラスト)”Bang””Ouch”(銃のようなもので撃たれるイラスト)」
お前も蹴るんかい!ほんと可愛いなもう!

 前述のA少年と同じく鉛筆書きのブロック体だが、やや落ち着いた筆跡。名前からしても女の子のようだ。イラストは表表紙のA少年の書き込みからインスパイアされたものだと思われるが、彼女の絵の場合はドレスを着た女性が男性の尻を蹴り上げ、おまけに銃で撃っているなどパワーアップしている。負けん気の強い少女のようだ。

【特定作業】


 結論から言うと、3人の少年少女のうち2人は、本を購入した9月2日のうちに特定できた。特定できたのは、
① 第1の持ち主、ジョン・フランシス・ブックウォルター氏(1901~1978)
② 第2の持ち主、マーシャ・リース嬢(結婚後はべセル夫人)(1921~2016)
の2名である。以下に、特定に至った経緯を記す。

【前史:オハイオの華麗なる一族】


 最初に分かったことは、ジョン・フランシス・ブックウォルター氏(以下ジョン・フランシス青年)がかなりのお坊ちゃんであったという点だ。少し長くなるが、後の話につながってくるので、まずは彼の家系について把握していこう。
 「Bookwalter Springfield Ohio」で検索すると、最初にヒットするのが1897年8月3日付ニューヨーク・タイムズ紙のアーカイブだ。
「怒れる大富豪ジョン・W・ブックウォルター、スプリングフィールドときっぱり手を切る」との見出し。
https://www.nytimes.com/1897/08/03/archives/an-angry-millionaire-john-w-bookwalter-quits-springfield-ohio-for.html
 記事の内容は同紙のサブスクに入らないと読めないようだ。記事を購入するかどうかは後ほど検討しよう。


 この記事が報じたのはジョン・W・ブックウォルター氏。ミドルネームは「F」ではないが、苗字が同じであることと、一族の中でファーストネームを代々受け継ぐ習慣があることから、親戚である可能性はありそうだ。
 この「大富豪」ジョン・W氏を調べていくと、彼の訃報が出てきた。
同じくニューヨーク・タイムズ紙の1915年9月28日付の記事。これによると、彼は1839年インディアナ州生まれ、就学期間は短いものの、叩き上げの実業家として頭角を現し、水力発電事業で30代にして億万長者になったとある。

https://www.newspapers.com/clip/59560891/obituary-for-j-w-bookwalter/

 筆者は工学用語についてはよく分からないが、オハイオ州で最初のタービン水車とケーブルによる送電技術を用いたと書かれているようだ。その機械を提供したのが、同州スプリングフィールドにあるラッフェル機械会社だ。ジョン・W氏は同社の社長令嬢と結婚して経営陣に加わり、州知事まで務めたという。町の名士といったところか。
 しかし過去15年間はほとんどヨーロッパで過ごして、スプリングフィールドには寄り付かず、イタリアのサン・レモにて没したとのこと。町を離れた原因は冒頭の記事に書かれている何らかのトラブルだろう。

 さらに、スプリングフィールドの文化財として、ブックウォルター邸なる建造物があるらしい。
https://www.ohiomemory.org/digital/collection/p267401coll36/id/7607
 この屋敷を建造したフランシス・マリオン(F・M)・ブックウォルター(1837~1926)は上記のラッフェル社の副社長であった人物だ。Fのイニシャルを持つ人物が現れた。

 ジョン・Wとフランシスの関係を調べる。二人は過去、共同で特許を出願した記録があり、兄弟と仮定していいだろう。
https://books.google.co.jp/books?id=zSHRAAAAMAAJ&pg=PA36&lpg=PA36&dq=francis+m+bookwalter+john+w+bookwalter+springfield+ohio&source=bl&ots=G6DjAXuKQa&sig=ACfU3U1VcJYQGDtVitmKP4mLOamoHDgx7Q&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjNnsqswOLyAhXBZ94KHf8DB6sQ6AF6BAgUEAM#v=onepage&q=francis%20m%20bookwalter%20john%20w%20bookwalter%20springfield%20ohio&f=false
(36ページ真ん中下あたりに、二人が連名で水車の特許を出願しているのが確認できる)

 恐らくは弟のジョン・Wとともに働き、弟の結婚とともに、兄フランシスもラッフェル社の経営陣に加わったと考えられる。ショーニー河のほとりの丸太小屋で生まれた兄弟が、富豪一家の一員となったのだ。

 この兄、フランシスの息子にジョン・アーマイン(アーミン?)・ブックウォルター(1874~1926)なる人物がいる。アメリカの名門大学の卒業生を取材した書籍「Universities and Their Sons」にその名を見ることができる。このジョン・アーマインは1895年にイェール大学で機械工学と哲学の学位を取得している。
https://www.ebooksread.com/authors-eng/joshua-lawrence-chamberlain/universities-and-their-sons-history-influence-and-characteristics-of-american--mah-268/page-44-universities-and-their-sons-history-influence-and-characteristics-of-american--mah-268.shtml


 このほかにもGoogleブックスで検索すると、イェール大学の卒業者名簿や学友会の会報に彼の名前がぽつぽつ現れる。
 卒業後はスプリングフィールドで事業をしていたとあるから、機械工学の知識を生かして、父と叔父の事業を継いだのだろう。

 家系調査サイト「PeopleLegacy」のデータベースに収録されている彼の情報も、おおむねこれと一致する。
https://peoplelegacy.com/john_armine_bookwalter-2C0N2h
 そして、このページの「子供」の項目を見て欲しい。
「JOHN FRANCIS BOOKWALTER」とある。「J・F」のイニシャルを持つ人物だ。

【1人目の特定へ】


 このジョン・フランシス・ブックウォルターについての基本データは、別の家計調査サイト「ancestry」に収められている。
https://www.ancestry.com/discoveryui-content/view/148129445:60525
 これによると、ジョン・フランシスは1901年にジョン・アーマインと妻グウェンドリンの息子としてオハイオ州スプリングフィールドに生まれた。1978年にフロリダ州ポートシャーロットで亡くなっている。書き込みのあった、1919年7月時点では18歳。高校を卒業して、秋から大学に通い始めるという時期にこの本を入手したようだ。

 父ジョン・アーマインと同様、大学の卒業記録を調べる。富裕層の子息で父親がイェール出身となれば、ジョン・フランシス自身もそこそこの大学を出ている可能性が高い。第2の持ち主A少年(仮)の「Yale」「Lux et veritas」の書き込みを思い出す。父と同じイェール大学出身ではないだろうか。

検索すると、
https://library.princeton.edu/mudd-dbs/memorials?page=90

 なんと、ジョン・フランシスはプリンストン大学出身だった。1925年に卒業している模様。父に負けず劣らずの名門校、町の名士である一家に恥じない秀才ぶりだ。

【「Yale‘23 Hill’19」の謎】
 しかしここで一つの疑問が生じる。上で触れたA少年の書き込みだ。

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「Yale‘23」・・・これは、1923年に誰かがイェール大学を卒業したことを示す書き込みだと思っていた。そして、筆者はその人物をジョン・フランシスだと仮定していた。1919年夏に高校を卒業して同年9月にイェール大学に入学したとするなら、順当に行けば書き込み通り、1923年に大学を卒業する計算になるからだ。

 また、アイビーリーグと呼ばれるアメリカの名門校では、親が同じ大学を卒業していると子の入学の際に有利になる。父ジョン・アーマインがイェール出身であれば、息子のジョン・フランシスも同様にイェールを目指す可能性は高いと思えた。何より、A少年の書き込み・・・力強い筆致の「Yale’23」と、幼い筆跡ながらラテン語の校訓まで覚えて繰り返し書き込んでいる点が、この父子のイェールへの強い傾倒を伺わせた。まるで、ジョン・フランシスが1923年にイェール大学を卒業してくれることを、強く期待していたかのようだ。


 しかし、現実にジョン・フランシスが卒業したのはプリンストン大学。彼の死を報じたネブラスカ州の地方紙「ベアトリス・デイリー・サン」紙の記事もこれを裏付ける。
https://beatricedailysun.newspapers.com/clip/43526823/obituary-for-john-f-bookwalter-aged/
 また卒業年も1925年と、2年ずれている。この食い違いは何だろう?
さらに、「Hill‘19」については依然謎のままだ。

【謎、解ける】


 1977年のプリンストン大学学友会の会報「Princeton Alumni Weekly」に掲載された追悼記事が、上記の謎を解いてくれた。
https://books.google.co.jp/books?id=exZbAAAAYAAJ&pg=RA21-PA28&lpg=RA21-PA28&dq=john+francis+bookwalter+springfield+ohio&source=bl&ots=qAUgFm6d2D&sig=ACfU3U1fp0YGOKlolLoFN7lBhb91sauiFg&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwitj-3PzuDyAhUM_GEKHT2OAtcQ6AF6BAgjEAI#v=onepage&q=john%20francis%20bookwalter%20springfield%20ohio&f=false


 第78巻、28ページ右下段に彼に関する記述がある。「彼はThe Hill Schoolで中等教育を受け、イェール大学に入学したが、junior year(3年生)の秋にプリンストン大学に転学した」とある。
 The Hill Schoolとはペンシルベニア州にある名門寄宿学校で、アメリカでは通称である「The Hill」と言うだけで通じてしまうらしい。日本でいう灘や開成といったところか。 

 これで「Hill’19」の謎が解けた。この書き込みは、ジョン・フランシスが1919年にヒル寄宿学校を卒業したことを示していたのだ。また、当初の読み通り、彼は一度はイェールに進学していた。転学(transfer)とあるが、実際は専攻を変えて1年生から再入学したか、取得単位数の関係で卒業が2年延びたのではないだろうか。

 これで一通りの説明がついたし、スプリングフィールドという町でここまで経歴が一致する人物も他になかろう。第1の持ち主については一旦、特定完了とする。

 続いて特定できた第3の持ち主、マーシャ・リース嬢については次の記事で紹介したい。オハイオの華麗なる一族が輩出した秀才青年、ジョン・フランシス(及び、住所を同じくすると思われるA少年)の後に、この本を引き継いだマーシャとはどんな少女だったのか?特定作業を進めると、我々の想像を超えるドラマが待っていた。


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